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1話 溢れ者同士の縁談


 闇の中に、ぽつりと一つ小さな光が見え始める。

 馬の蹄が堅い地面を蹴るカッカッという音が、トンネルの岩の壁に大きく反響する中で、私は馬車の中で一人じっと息を潜めていた。

 ともすれば震え出しそうになるのを必死に堪えるために、自分の身体を両腕で抱き締める。ストロベリーブロンドの髪が枝垂れ落ちてきて、気休め程度に視界を塞いだ。

 やがて、ついに闇が終わる。トンネルの出口に到達したのだ。

 こちらの気持ちになんて一切構わず、私を乗せた馬車が意気揚々と光の世界へ飛び出そうとした、その瞬間。

 来た道を未練がましく振り返った私の青緑色の目に映ったのは、無情にも、ただ一縷の希望さえ拒絶するような圧倒的な闇だけだった。


「もうすぐ着くよ、パティ。疲れたかい?」

「……いいえ、叔父さん。平気」


 トンネルを抜けてすぐに声を掛けてきたのは、恰幅のいい身体を御者台に押し込めて手綱を握る壮年の男だった。

 パティというのは、私――パトリシア・メテオリットの愛称である。そして、現在進行形で御者を務め、私をここまで連れてきたのは父方の叔父だった。

 山を一つぶち抜いて作られたトンネルの先に広がっていたのは、周囲をぐるりと高い山脈に囲まれた盆地。

 ここーーシャルベリ辺境伯領も、私が生まれ育った大国アレニウス王国の一部である。

 ただし、王政の目が届きにくい土地柄のため、代々統治を担う領主の一族シャルベリ家には〝辺境伯〟の称号が与えられ、何百年もの間自治が認められてきたらしい。

 アレニウス王国では新国王の即位が一月後に迫り、早くもそれを祝う飾り付けが国中で始まっている。シャルベリ辺境伯領も例外ではなく、人々の表情にはどこか祭を前にした高揚感が見えた。

 シャルベリ辺境伯領の真ん中には大きな貯水湖があった。その中央の浮島に作られた小さな神殿には竜神が祀られているという。

 海からの湿った空気は高い山脈を登っていく過程で冷やされ雲を作り、山脈を越える前に雨を降らせてしまう。その結果雨雲がやってこず、シャルベリ辺境伯領はかつて深刻な水不足に苦しめられていた。

 そのため貯水湖が干上がると、神殿に生け贄を捧げて竜神を呼び寄せ、雨乞いをしたらしい。

 そんな伝説を思い出しながら、私は馬車の窓から件の神殿に視線をやった。

 少しだけ立派な東屋といった程度の簡素な神殿の周りには、黒い軍服の集団ーーシャルベリ辺境伯軍の軍人らしき人々がたむろし、何やら上の方を指差して議論を交わしている様子。

 彼らの指差す先をよくよく目を凝らして見てみれば、神殿の屋根の一角が崩れているのが見て取れた。

 どうやら、軍人達は屋根の修繕の相談をしているようだ。そう合点が入った私だが、ふと、神殿の中に納められた石像と目が合った気がして震え上がる。

 蛇みたいに長い身体を生け贄らしき女性の像に絡ませた、竜神を象った石像である。

 私は視線を引き剥がすように慌てて目を閉じたが、脳裏に焼き付く竜神の鋭い眼差しに、心臓がドキドキと煩かった。

 幸いなことに、現在ではシャルベリ辺境伯領の水不足の問題は解決している。

 山脈にトンネルを掘り、北側から水を引いて南側を経由して海に流すことで、貯水湖の水量を一定に保てるようになったのだ。

 私を乗せた馬車が今まさに通ってきたのも、元はと言えば人工河川を通すために掘られたトンネルだった。

 町中には、貯水湖を丸く囲むようにして、石畳を敷いた広い大通りが整備されている。

 この大通りを東の方角へと進んでいくと小高い丘があり、そこに一際大きく佇んで見えるのがシャルベリ辺境伯邸。私にとっては、生まれ育った王都を汽車で出発し、馬車を乗り継いで丸一日かかった旅の終着地だ。

 いよいよ間近に迫ってきたシャルベリ辺境伯邸に、私はぐっと下唇を噛んで身を固くする。

 そんな私を見て、緊張し過ぎだよ、と叔父が笑った。


「それにしても、小ちゃいパティがもうお嫁に行くような年になったんだと思うと、感慨深いねぇ」

「小ちゃいって言わないでよ、叔父さん。私が気にしているの、知ってるでしょ?」

「いやはや、君の縁談を取り持つ日がくるなんて……そりゃあ、叔父さんも年を取るはずだよ」

「縁談なんて……」


 若い頃に世界中を漫遊していたらしい叔父は、やたらと人脈が広くてあちこちに顔が利く。そのため、アレニウス王国だけに留まらず、世界中の国々で上流階級の縁談を取り持つ仲人を務めていた。

 婿養子としてメテオリット家に入った私の父とは双子の兄弟のはずだが、見た目も性格も全然似ていない。

 アレニウス王家の末席に連なるメテオリット家は女系で、代々女が家督を継いできた。現に、前の当主は母だったし、今の当主には二人の兄達を差し置いて三番目の子供であった姉が就いている。

 私の五つ年上の姉マチルダ・メテオリットは、身内の贔屓目を差し引いてもたいそう美しく立派な人だ。

 アレニウス王国軍参謀長を務める第三王子リアム殿下とは元々幼馴染の関係だったが、昨年家督を継ぐとともに夫婦になった。現在では彼の右腕として軍属し、即位を控えた王太子殿下からの信頼も厚いという。

 今回私は、そんな姉が相手を決め、叔父が取り持った縁談に臨むために、こうしてシャルベリ辺境伯領にやってきたのである。

 しかしながらこの状況、私にとってはまったくもって本意ではない。

 それを知っている叔父は、苦笑いを浮かべつつも諭すみたいに言った。


「メテオリット家自慢の秘蔵っ子が、そんなしけた顔をするもんじゃない。夫君に会うまでには、ちゃんと引っ込めるんだよ?」

「これから会う人が私の夫になるって――結婚するって、まだ決まったわけじゃ……」

「おやおや、舐めてもらっちゃあ困るね、パティ。叔父さんはね、まとまらない話は扱わないんだよ」

「でも私、ここで……シャルベリ辺境伯領でやっていける自信なんてないもの……」


 一族の末っ子として兄姉や大人達から猫可愛がりされてきたせいで、少々甘ったれな自覚はある。

 十七年過ごした家からも王都からも離れ難かったし、見知らぬ土地で見知らぬ人々とはたして上手くやっていけるのか……正直言って不安しかない。

 それなのに姉からは、新国王の即位式までーーつまり、今日から一月の間、シャルベリ辺境伯邸に滞在して縁談相手と親睦を深めるよう申し渡されていた。

 そんな私にとって最大の鬼門は、このシャルベリ辺境伯領を牛耳っている、とある存在。


「む、無理、絶対無理! 私が敵うわけない……」


 さっき目が合ったような気がした竜神の石像を思い出しただけで、ぶるぶると身体が震え出す。

 この日のために姉が新調してくれた華やかなワンピースに皺が寄るのも構わず、私は自分の膝をぐっと握り締めた。

 そうこうしているうちに、ついに馬車はシャルベリ辺境伯邸の表門へと辿り着いてしまった。



 *******



「ようこそ、シャルベリ辺境伯領へ」


 シャルベリ辺境伯邸の応接室に通された私と叔父の前に、カツカツと軍靴を鳴らして現れたのは、黒い軍服に身を包んだ背の高い男だった。

 豪華な飾緒は上級軍人の証だ。腰に提げたサーベルが、身体の動きに合わせてカシャンと音を立てた。

 シャルロ・シャルベリ――現シャルベリ辺境伯の三十歳になる嫡男で、年内に家督を引き継ぐことが決定している。

 現在、辺境伯軍の軍司令官を務め、部下からも領民からもたいそう慕われているという、黒い髪の美丈夫だ。

 彼の空色の瞳にちらりと一瞥されて、とたんに緊張が増す。

 ただ、握手のために差し出された手は、私よりも一回りも二回りも大きく、そして温かかった。


「いやはや、閣下。ご立派になられましたなぁ。最後にお会いしましたのは……確か、姉上のご成婚の際でしたか?」

「ええ、その節は大変お世話になりました。卿に良い嫁ぎ先を紹介していただいたおかげで、姉も幸せにやっているようです」


 叔父は彼を、軍司令官という立場に敬意を表して〝閣下〟と呼び、私もそれに合わせることにした。

 その閣下は笑みを浮かべたまま向かいのソファに座り、隣を見れば叔父もまたにこにことしている。

 面会は恙無く和やかに始まった――かのように思われたが、何故だか私にはどちらの笑顔もひどく白々しく見えて仕方がなかった。

 この違和感の原因は、すぐに判明することになる。


「しかしながら、さすがの卿も今回ばかりは見込み違いをなさったようですね。華やかな王都で生まれ育ったご令嬢には、このような僻地に足を運ぶことさえ、さぞ不本意でいらしたことでしょう」


 にこやかな表情とは裏腹に、閣下の口から放たれた言葉の端々には棘があった。どうやら彼は、私がこの度の縁談に乗り気でないことに気付いているらしい。

 うっと返事に窮した私の隣で、叔父が身を乗り出す。


「いえいえ、とんでもない。だってここは、アレニウス王国内で唯一国王陛下から自治を認められた特別な土地ですよ? 私兵団を持つことを許され、国王陛下のおぼえもめでたいシャルベリ辺境伯家に嫁ぐことを誇りに思わぬ娘などおりますまい」

「はは、お世辞は結構ですよ、卿。目の肥えた中央の方々にとって、王都から遠く離れて不便なばかりのこの地は何の面白みもございませんでしょう」

「おやまあ、ご謙遜を。閣下のご評判だって、遠く王都まで響いておりますのに。閣下はいまや王都の若い娘達の憧れの的――僕もあなた様にならば、可愛い姪っ子を安心して預けられます」

「いや、それこそお世辞が過ぎます――って……え? 姪っ子!?」


 閣下はここで「ん?」という顔をする。

 私も心の中で「は?」と叫んで叔父を見た。


「お待ちください、卿。私の縁談のお相手は確か、マルベリー侯爵家の令嬢でしたよね? 卿の姪御とは、初耳なんですが!?」

「ま、待って、叔父さん! 今回私は閣下ではなく、閣下の弟君――ロイ様との縁談のためにシャルベリに来たのよね!?」

「わあ、息ぴったり! よかった! 二人とも気が合いそうだね!!」


 閣下と私の声が被る。それに、叔父はパチパチと両手を打ち鳴らしてはしゃいでから、悪怯れもせずに事の次第を語り始めた。

 そもそも叔父は、まず閣下とマルベリー侯爵令嬢との縁談話を進めていたらしい。

 マルベリー侯爵家は、優れた文官を数多く輩出している名家である。

 ようやく話がまとまり、叔父がシャルベリ辺境伯家に縁談の日取りを通知した矢先のこと。

 肝心のマルベリー侯爵令嬢が「辺境伯領なんて僻地に嫁ぐのは嫌!」と暴れた上、懇意にしていた使用人の一人と駆け落ちしてしまった。

 さらに、姉からの依頼で私と閣下の弟君――ロイ・シャルベリの縁談もまとめようとしていたのだが、ここでも問題が発覚する。なんと、ロイ様はすでにシャルベリ辺境伯家を出ており、現在は恋人と一つ屋根の下で商いをしながら夫婦同然の生活を送っているというのだ。

 縁談が二つも御破算になりそうになって焦った叔父は、とんでもないことを思い付く。


「閣下とパティ――溢れ者同士で縁談を組み直しちゃえば、万事解決じゃあないですかっ!!」


 ポンと手を打って、これぞ名案とばかりに言い放たれた叔父の言葉に、溢れ者呼ばわりされた私と閣下は、ただただ唖然とするばかりだった。



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