第一章 その五
昼下がり、とある駅前のオフィスビル、その一、二階を占めるハンバーガーショップ。少々雲はあるが、窓から差し込む陽光は暑いくらいだった。二階の窓際に陣取った、フリース姿の小太り中年男性は、ブラインドを半ばまで下ろし窓外をじっと見下ろしていた。二人掛けテーブルの上には、コーラが入ったサイズLの紙コップと、フライドポテト。本来なら飲み物だけでよいのだが、それだけでは寂しいからと余計に頼んでしまうが故の体型だったが、一人暮らしをしている今では、更に拍車が掛かっていた。
かれこれ三十分も駅から姿を現す人影を追っていたその双眸が、ようやく目当ての人物を捉えた。その間も忙しなくフライドポテトや紙コップを口に運んでいた右手が止まる。その人物は、未だ二十代だろうチャラそうな若者だった。ストレートの黒髪には赤や緑のメッシュが入り、両耳にはイヤリングをしている。柄物のシャツの上にはグレイのジャケットを羽織り、鞄を手にしている。真っ直ぐ、ハンバーガーショップへ向かって来ていた。それを確認すると、今度はその背後や周辺に視線を向けた。若者の後を尾けていそうな者、視線を投げ掛けていそうな者など。当の若者はといえば、全くそういった事に無関心の風だったが。間もなく若者はビルの死角に入り、見えなくなった。それから十分と掛からず、紙コップと鞄を片手に階段を上がってきた。
「こっちだ」
見当違いの方向を見ている若者に、短く声を掛けつつ手を振る。振り向いた若者は、嬉しげに足早で近付いて来た。
「お久し振りッス、田ノ中さん。二年振りくらいでしたっけ?」
中年男性の対面に腰掛けつつ、弾む様な調子で若者は話し掛けてきた。鞄を足下に置いた。
「そうだな、もう二年か…」
田ノ中と呼ばれた中年男性は、少し遠い目をした。
「あれから呼ばれてません?連中、お構いなしッスからねぇ」
「幸いにな。本当に業腹な事だよ」
田ノ中の表情が一瞬、険しくなる。不愉快な記憶が脳裏を掠め、しかし直ぐに表情を緩めた。
「小隈君こそどうだ?やっていけてるか?」
ストローに口を付けていた若者に問い掛ける。後嶋が電話を掛けた小隈武見こそ、この若者だった。
「それは、自分で食ってけてるか、って事ッスが?」
「そうだな」
そう答えた田ノ中は、年齢こそ小隈より一回り余り上だったが、ある面では彼より後輩だった。二人は二年余り前、あるシチュエーション下で出会った。それは彼が想像も、望みもしていなかったもので彼の人生を狂わせ、そして今も彼を苦しめ続けているのだった。
「そうッスね。ホームページの作成とか、イラスト描きとか、依頼されてやってます」
あくまで軽い口調で小隈が答える。
「そんなに実入りは良いのか?」
「まずまず、ってところスかね。結構イラストとか、昔から得意で、幾つか投稿サイトに掲載してたら好評で、うちで使いたいって依頼があって。その流れで」
「そんな才能があったのか…」
「そうッスね。向こうじゃ活かす機会無かったから」
少し嬉しげに紙コップへ手を伸ばし残りを重さで量ると、ストローを口へもってゆこうとしていた小隈を見やる、田ノ中の面に翳りが差す。
「そうか…そういう才能があるから、君は”長老会”の世話にならずに済んでいるのだな?」
「へ、”長老会”、ッスか?」
小隈の手が止まる。
「そうだ、知っているか?」
問われ、どこかで聞いた事があると、頭脳を回転させていると一瞬、その言葉が誰かの声で脳裏に再生された。
「ああと、聞いた事ある様な…」
声の主が誰だったか、思い出そうとする様に首を捻ってみせる。
「無理に思い出さなくて良い。これから説明する」
「そうッスか」
アッサリと努力を中止する。そのあっけらかんと振りに、田ノ中は思わず失笑した。
「ははは…さて、”長老会”についてだが。まぁ、一言で言えば、ベテランを中心として私達”闘士”の、こちらでの生活をサポートしてくれている組織だ。一種の互助会的なものだ」
「へぇ…ベテランって、結構頻繁に呼ばれてるんスか?」
「いや、ベテランというのは、引退を許された者達の事だ。宣誓書の下賜によって、もう呼ばれる事はない」
「そうなんスか?だったら、早く俺も欲しいッスね」
「みんなそうさ。連中め、こちらの事情にお構いなしに呼び出すせいで、私達の人生は台無しだ。君も判るだろう?」
「そりゃ、そうッスよ。定職に就くのは難しいし。でも、キョヒれないしなぁー」
右手で軽く頭を掻く。
「そうだ。不満があっても、誓約の首輪のせいで逆らえない。結局は連中の言いなりで、魔獣と戦わされるハメになる」
「ほんと、理不尽ッスよねぇー」
苦笑してみせる小隈。しかし何処か余裕がある様に、田ノ中には感じられた。
「…連中は褒賞を与えているなどと嘯くが、連中の通貨なんぞ、我々にとって全くの無価値だ。地球上のどんな通貨にも交換出来ない、ただのくず鉄だ」
鉄じゃないッスけどね、と小隈は胸中で突っ込みを入れた。
「金とか銀なら、まだましッスけどね」
「その通り!そこで、”長老会”はずっと前から、政府に極秘裏に打診してきたらしい」
「何をすか?」
「何処か、田舎や山奥でも良いから私達の、”闘士”の為の特区を設定して、交換所を置く事を許して欲しい、と。そこは”闘士”による自治も認められる様に、と」
「そんな動きがあったんすか?」
思わず身を乗り出す小隈に。
「いや、動きも何も。ずっと無視され続けているからこその、この現状だ」
憤懣やるかたなし、とばかりに歯噛みする。
「そりゃ、そうッスね」
コクコクと頷く小隈。その様子が何とも切実さに欠ける様に、田ノ中には思えた。
「君の中に怒りはないのか!?私達をこんな惨めな状況に追いやっている者達に!」
「いや、だからって」
どうしろと、と言い掛けるが。
「”長老会”の中にも、我慢ならない者達は大勢いる。だから決意した、立ち上がる決意を!私達の力を、無視してきた奴らに見せつけてやるべき時だ!」
「ちょ、ちょっと、田ノ中さん!?」
大声を張り上げ、腰を半ば浮かし掛けた相手を、宥める様に両手を差し出す小隈へ。
「あのう、申し訳ありませんが」
いつの間にか、傍らに女性店員が中腰になっていた。
「もう少し、お静かにお願い出来ますでしょうか?」
困った様な笑顔で注意され、周囲の状況に二人は気付いた。そこに居合わせた客の多くが、こちらに好奇や不快、不審を宿した視線を送ってきている事に。ぎこちなく、二人は居住まいを正した。
「いや、申し訳ない」
田ノ中が小声で謝ると、笑顔を残し女性店員は去っていった。
「ったく、勘弁して下さいよぉ」
口を尖らす小隈に、田ノ中は面を伏せた。
「いや、すまん…しかしだ、とにかく私達が動かなければ、何も動きはしないのだ」
「何をするつもりなんすか?」
「具体的な内容は、今詰めている所だ。だが一つ言えるのは、ド派手なデモンストレーションを行なう、という事だ。もう誰も無視できないほどド派手な、な」
言いながら、凄味を利かせた双眸で凝視してくる。小隈には、嫌な予感しかなかった。
「そ、そうスか…で、俺に用事、ってのは」
言うやがばっ、とばかりに身を乗り出してくる田ノ中に、小隈は思わず身を引いた。
「もちろん!君にも参加して貰う為の勧誘だ!是非とも力を貸して欲しい!君の人となりも戦い方も理解した上での勧誘だ!!」
手を取られそうになり、慌てて小隈は両手を引っ込めた。悪い予感は的中していた。
「あのー、えっと…」
曖昧な笑顔を作りながら、小隈は対応に困っていた。話を聞くんじゃなかった、と後悔しても後の祭り。正直なところ、彼には興味の持てない話だったが、内容が内容だけに下手な断り方をすればそれこそ、話を聞かれたからには生かしておけない、となるかも知れなかった。さすがにここでは自制するだろうが、何処かで戦いになるだろう事は、容易に想像出来た。彼はこの現実では戦いたくなかったのだった。
「えっと…ああ、俺、いいんスか?”長老会”とか関係ないんスけど」
「”長老会”など関係ない!あいつらはのらくらと、協力するかどうか明言をしない、いい加減うんざりだ!むしろ、君の様な部外者こそ隠し球になり得るのだ!!」
また声が大きくなってきたので、小隈はもっと小声で話すよう口パクで促した。我に返る田ノ中。その様子を見ながら、小隈はある口実を思い付いた。
「…そういう事だったら、後嶋さんに相談して良いスかねぇ?」
後嶋の名を口にした時、チクリ、と胸が痛んだ。尊敬する人をこの様な面倒事に巻き込んでしまうと、良心が疼く。
「誰だね、後嶋さん?」
「そうッス。初めて呼ばれた時にお世話になって。”長老会”には、お世話になってないッスよね?」
「そうだな…聞いた事はないな。で、何でその人に相談する必要があるんだ?」
「もちろん、とても優秀だからッスよ!後嶋さんが参加してくれれば成功間違いなし、ッス!」
自信ありげに言う小隈に、田ノ中は少々嫌そうな表情を浮かべた。お前達だけでは不安だ、と言われているのも同然だった。そもそもこの若者がこれ程までに主張する者を内部に入れては、意志統一が阻害される可能性も高くなる。
「ほぅ?では訊くが、その後嶋さんは、何度呼ばれたんだ?私や君より多いのか?」
それが勲章でもあるかの様に訊ねてくる。その為に人生に難渋しているというのに。
「十年前に一度きり、の筈ッスけど?」
「一度?十年前に!?」
「そうッスけど、何か?」
あからさまに驚く様な田ノ中の態度に、小隈は酷く不愉快なものを感じた。悪意が垣間見えた気がした。
「それは、要するに十年前に一度きり、呼んでみたが使えなかったので、二度と呼ばなかった、という事ではないのか、あちらとしては?」
小隈の眉根に、きつく皺が寄せられる。
「何言ってんすか?十年前、俺は行動を共にしてたんすよ!?あの人の勇姿を、この目でしっかりと見届けたッス!」
しっかりと、の部分を強調して畳み掛ける。しかし田ノ中の嫌な感じは変わらない。
「それは君の贔屓目、というものではないのか?君とその後嶋さんの間に、どんな事情があったのかは知らないが」
下卑た笑顔を浮かべる。小隈の表情が、更に険しくなった。
「何すかそれ!俺はともかく、後嶋さんへの侮辱は見過ごせないッスよ!!何も知らないくせに!!!」
「ほう?では訊くが、あちらはそんな優秀な人材を、なぜ十年前に一度呼んだきりなのだ?幾らでも手が欲しい場面はあった筈だが?」
「知らないんだったら教えるッスよ!それは」
腰を浮かしかけ。
「お客様、誠に申し訳ありませんが」
先程の女子店員の、少し険のある声が会話を中断させる。横へ顔を向ければ、マニュアル通りの姿勢、笑顔で、しかし目は笑っておらず冷たい視線を投げ掛けている。
「もう少し、お静かに、お願い出来ますでしょうか?」
念を押す様な調子だった。
「いや、失礼」
「申し訳ないッス」
二人が再びぎこちなく居住まいを正すと女子店員は、いつもの笑顔で「ごゆっくり」などと会釈しながら立ち去っていった。
「…ああ、小隈君、是非とも」
「不愉快ッス、帰ります」
皆まで言わせず、鞄と紙コップを手に小隈は立ち上がった。もはやどんな言葉も聞く耳を持たず、ゴミ箱に紙コップを捨てると階段を降りていった。暫く動けずにいた田ノ中だったが、階段の陰に姿が見えなくなって初めて、大切な事に気付いたのだった。小隈は自分達のテロ計画について知ってしまったのだ。たとえ脅迫めいたとしても、口止めをしておかなければならなかった。性格的に警察当局等へ通報する様な事はない筈だったが、自分は彼を怒らせてしまったのだ。自分より恵まれていると思える小隈や後嶋に、大人げなく嫉妬してしまった為とはいえ、事もあろうに勧誘相手を侮辱したのだ。窓から外を見るが、人混みに識別は困難だった。トレイもそのままに立ち上がり、慌てて席を離れた。早足に階段を降り店を飛び出す。駅へと向かうその後ろ姿を、レジ横の座席スペース陰から見送った者がいた。当然ながら小隈だった。
「…こりゃ本当に、相談だな」
溜息混じりに、小さく呟く。スマホを取り出し、電話帳を開くとある人物へと電話を掛けたのだった。




