エピローグ
エピローグ
76(ななろく)、すなわち大山が消息不明となって、対テロ特殊対策室は色めき立っていた。海外渡航を始め判明している限りの立ち回り先の確認が行なわれ、いずれも痕跡なし、との情報が上がってきたのだった。
「二年一ヶ月ぶり、って事だね」
オフィスの自分のデスクで資料を確認しつつ下山。椅子を借りた洲堂も横から、その資料を覗き込んでいた。
「新しい隠れ家でも、用意したんでしょうか?」
「さぁね。あるいは、密かに国外へ出ているのかもね」
背もたれに上体を預け、下山は大きく伸びをした。
「…今度は、戻って来ない、とか?」
資料を閉じ、洲堂はデスクに置いた。
「さぁ、どうだろう?何か画策していた気配は濃厚だけど、それを掴んでいた訳ではないし。早急に逐電しなきゃならない理由は、うーん、思い付かないなぁ。あるいは」
頭の後ろで両手を組むと、それきり黙り込む。
「そうですねぇ」
資料の表紙を撫でつつ洲堂。何度目かの事態ではあるが、今回は事情が異なる気がしていた。大山と後嶋、そして安藤。短期間のうちに安藤が、この男達の間で動いているのだ。まるで中間子の様に、二人を結び付ける形に。大山の消息不明に、この事が何か関係しているのではないか?自身の監視体験や印象から納得度は低く、また物証の欠如から単なる憶測に過ぎないが、大山は、後嶋と安藤の共謀によって殺害され、密かに死体を遺棄されたのかも知れない。そうする動機もまた不明だが(痴情の縺れ、の類だろうか?)、最悪の場合、そういった可能性もあり得る。もっとも現状ではあくまで可能性の一つに過ぎず、また軽々しく口にして良い内容でもなく、彼女は発言を控えた。あるいは、下山の脳裏にも同様の想像があったかも知れないが。
「…まぁ、とにかく。中断していた57(ご なな)との接触、明日からまた再開するから」
きちんと座り直すと表情を引き締め、下山は洲堂に言った。洲堂の表情も引き締まる。
「はい、頑張ります」
「宜しく頼むよ」
下山は軽く、洲堂の左肩を叩いたのだった。
ドアを開いて、河島こと洲堂は即座に後嶋を発見出来た。彼がバー スプリングフィールドに立ち寄るのを確認してから向かったのだ、当然の事ではあったが。
「あ、この前はどうもすいませんでした、後嶋さん!」
言いつつ隣のカウンター席に腰掛ける。アパートで会ってから五日が経っていた。
「ええ、あの時はお構いも出来ずに、すいませんでしたね」
グラスをコルクのコースターに置き後嶋。
「いえいえ、こちらこそ!不躾に押しかけてしまって」
マスターにカシスオレンジを頼み、洲堂は小さく頭を下げた。
「まぁまぁ…ところで、今藤さん、と言いましたか、貴方の上司の方は」
「え、ああ、はい。余り名前で呼ばないもので、つい」
一瞬、何の事かと素に戻ってしまい、下山の偽名である事を思い出した間の言い訳をする。後嶋はただ一度、頷いて見せただけだった。
「…機会があれば、是非ともお話ししたいですね。貴女の事や、仕事の事など」
「そう、ですね。話しておきます」
少々ぎこちない笑顔で適当に受け流す。そういう状況には、まずならないだろう。そんな様を、後嶋は横目で眺めていた。それからはぽつぽつと、仕事の話などを交し。
「…ところで、ちょっと出ませんか?」
洲堂が呑み終えるのを見計らい、後嶋は洲堂の耳元で囁いた。来た来た、と洲堂は内心身構えた。お持ち帰りするつもりか、と。
「え?」
「少し、話したい事があるので」
言って、返答も待たず後嶋はマスターを呼ぶと二人分の精算を済ませた。席を立つと、洲堂もそれに合わせ二人して店を後にした。
後嶋の行動は、洲堂の予想とはかなり違っていた。店を出て直ぐの、狭い路地に入って行く。街灯の光もろくに届かない闇へと。乱暴されるのではないかと、いざという時には攻撃をする覚悟を決める。と、不意に後嶋は立ち止まり。
「きゃっ!」
洲堂は背中にぶつかり立ち止まった。
「…以前、貴女は自分が母親に似ている、と言いましたね?」
言いつつ、ゆっくりと後嶋は振り返った。
「え?ええ、はい」
そういえば、そんな事を言ったな、などと内心呟きつつ、頷く。
「…それは、嘘ですね?いや、嘘ではないのかも知れない。ただ、少なくとももう一人、貴女によく似た人が、身近に居ましたね?例えば、お姉さん、とか」
背筋に電流が走る。この男は由加莉の、姉の事を、確信を持って言っている。もはや他人の空似、などという話ではないのだ。自分がどんな表情をしているのか気になったが、この暗がりでは動揺を悟られてはいるまい、と祈る様に考えた。必死で心を落ち着け、口を開いた。
「いえ、私に姉はいません」
我ながら平静に言えたと思ったが。暗闇の向こうから、微かな溜息が聴こえた。
「嘘は結構です。芝居も無用にお願いします。それでもまだ、自分に姉はいない、と?」
「はい…」
胸が痛む。本心では職務を投げ出し、姉について知っている限りの事を聞き出したかったが。この会話は聴かれているのだ。
「そうですか…では、全て忘れて下さい。私の勘違いだった様ですから」
そう言って、彼女の横を通り過ぎようとした。その刹那。
「いつか、再会出来ると良いですね」
耳元で、辛うじて聞き取れる程の囁き。我知らず溢れ出る涙を止めるのに必死で、洲堂は背中で遠ざかる後嶋の足音を聴いていた。
END
これでこの物語は完結となります。お楽しみ頂けたなら幸いです。
平成中に完結させるつもりでしたが、令和元年一日となったのも何かの縁かと。
また新しい物語でお会い出来たら喜ばしい限りです。




