第六章 その二
後嶋達はハイム プリマヴェーラに戻って来た。大山達に場所の割れているアパートに戻るのは危険ではないか、と安藤は危惧を口にしたが。
「いや、少なくとも、あんな目にあって直ぐ、ってのはないっしょ!」
気楽そうに小隈が否定した。玄関ドアを開けた後嶋が、二人を先に入らせた。勝手知ったる、とばかりに上がる小隈に対し、良い思い出のない安藤は躊躇した。
「どうぞ」
軽くジャケットの後ろ襟に触れつつ後嶋が促す。GPS発信器を回収したのだった。そんな後嶋の仕草に疑問を感じる事もなく、安藤は上がった。
ダイニングのテーブルに一同が着席するのを待ち、後嶋は口を開いた。
「さて、問題は今後どうするか、ですが」
向かいの安藤に優しい視線を向ける。安藤は恐縮した様に視線を下げていたが。
「知らなかったとはいえ、貴女の窮状を信じてあげられなかった事には謝意を表させて貰いますよ」
安藤が視線を上げると、後嶋は小さく頭を下げた。彼女の心は微妙に揺れた。部屋を放り出された時の怒り、惨めさを忘れた訳ではない。しかし彼の言葉通り、自分でどうにかすべきだったのだ。結果的にこうして救われる事になったが、それは単なる幸運に過ぎなかっただろう。まさかGPS発信器を仕込まれていたなどとは夢にも思っていない彼女だった。
「…いえ、貴方の言った通り、自分でどうにかすべき、だったんです。少なくとも、貴方に縋るべきじゃ、なかった…」
自分で口にしているうちに、どうしようもなく惨めな気分になってくる。一体どうすべきだったのか?何が間違っていたのか?
「そうですか…ともかく、こうなってしまった以上は、善後策を考えなければ」
「ここは知られてるッスよね?」
「私の家も…」
「それでは、他に頼れる人は?一般人は難しいでしょうが…山神さんなどは?」
山神は”長老会”の幹部クラスらしい。ならば保護して貰えるのではないか?しかし、安藤の表情は冴えない。
「…連絡は、取れると思います…でも、出来れば止めておきたいんです」
溜息混じりに言葉を紡ぐ。
「なぜッスか?」
不思議そうに小隈が訊ねた。後藤の話では、信頼出来そうな印象があったのだ。
「”長老会”の上の人達は、基本的に私達を厄介者扱いですから。成功すれば支援はして貰えるでしょうが、そうでなければ、”闘士”達を窮地に追い込む事態になりかねないとして、私達を切り捨てるかも知れません。山神さんが、そういう考え方をするのか、判らないですけど」
「なるほど…ではホテルでも泊まり歩きますか?」
「それは…その、お金が…」
落涙しそうだった。
「ああ…小額ならば、お貸し出来ますが…」
「いえ、結構です…何とか、なりますから」
預金残高を思い浮かべ、暗澹たる気持ちになりながらもそう答えた。”長老会”への連絡は出来た。自分を保護してくれるかは不明だったが(大山達に対し、敵対意思の表明と取られかねない)。とにかく、ここで更に借りを作りたくはなかった。どうしようもない駄目人間になってしまうと思った。
「本当に?」
本心から心配そうに訊ねてくる後藤。先日あれほど冷淡に閉め出したのと同一人物とは思えなかった。彼にとってはよほどの失態を、自分が犯したという事なのだろう。
「だったら、暫くここで世話になったらどうすか?」
気楽そうに、小隈が提案する。二人の驚いた視線が彼に集中した。
「いや、連中がこのまま諦めるか判らないじゃないッスか?だったら後嶋さんの所にいれば安全っしょ!宿泊費も要らないし」
「え、でも…」
これ以上迷惑を掛ける訳にゆかない、と考えていたばかりの安藤だったが、また心が揺れ出す。ここに二人きり、暫く暮らす…その間に何かあったら、と。
「ここは割れているんだぞ?だったらお前の所ならどうだ?」
後嶋が球を投げ返す。しかし小隈はとぼけた様に。
「いや、うちワンルームッスから。後嶋さんも知ってるっしょ?相手が野郎ならまだしも、ねぇ?」
「それはここも同じだろう。そもそもお前と違って、私は日中は会社にいるんだぞ?安全性も保証はしきれない」
「人の目のあるうちは、連中も無茶はしないっしょ!相手が一般人ならともかく、魔術士相手なんすから」
奇襲を掛けるのも難しく、戦闘ともなれば大騒動になりかねないのだ。今行なうにはリスクが大きすぎる筈だった。
「たとえそうだったとしても、お前が言った様に男女二人きりになるんだぞ?非常時だったとしても、やはり問題だろう?」
「いや違うッスよ。ここ部屋も幾つかあるし。布団さえありゃ、何とかなるッスよ!」
「他人事だな?これは私より彼女の方に問題があると思うが?」
安藤の方を指さす。安藤は暫く困惑した様な表情を浮かべた後、口を開いた。
「あの…宜しければ、こちらでお世話になれませんか?」
「え?いや、それは構いませんが…宜しいのですか?」
少々困惑気味に後嶋が訊ねる。
「ご迷惑、だと思います。でも…一人で居るのは…」
どこに隠れようと、もし居場所が割れた場合、大山達の襲撃に遭うかも知れないのは大して変わりがない。何より、一人きりで見知らぬ部屋に居るのは心細かった。
「そうですか…では、とりあえず一段落付くまでここで匿いましょう。まぁ、何をもって一段落付いたとするのか、今は何とも言えませんが」
言って小さく溜息をつく。
「すいません、ご迷惑お掛けして…」
安藤が頭を下げる。
「お気になさらず。ここで暮らすに当たって、ルール決めをしなければ。宜しいですね?」
安藤は頭を上げ、暫く後嶋を見詰めると一つ頷いた。後嶋も頷き返す。
「それじゃあ、俺はこの辺で失礼するッス!」
小隈は殊更大声で言いつつ立ち上がった。
「ああ、気を付けてな。ここは見張られているかも知れない」
少し不安げに、後嶋が視線を向けてくる。
「そうッスね、気ぃつけます!」
確かに、見張られてるッスけれどね、と胸中で呟きながら、ダイニングを出て行く。靴を履いていると、後嶋が出て来た。
「それじゃあ、何かあれば連絡してくれ」
「OKッス。後嶋さんも。いや、俺が言うまでもないッスね!」
「なんだ?」
「じゃ!」
少し怪訝げな後嶋を後目に、小隈は玄関ドアを出て行ったのだった。
ダイニングへ戻ってきた後嶋は、安藤正面の椅子を引くと腰掛けた。
「さて、話の続きですが」
話し始めた後藤を、安藤は右手を挙げ制止した。
「ちょっと待って下さい。その前にお訊ねしたい事が」
「何ですか?」
何かを誤魔化す風もなく、後嶋は訊ねてきた。つい一時間ほど前、爆弾発言をしておいて、と(実際にしたのは小隈だが)、安藤は少々苛立った。
「いえ、公園で話していましたよね?呼び出しを拒否する方法がある、と」
「ああ、その事ですか…あそこで話すべきではなかったろうに、小隈君は」
苦笑する後嶋。他人が知ったところで、余計な希望を抱かせるだけの罪作りな話だと思っていたのだ。
「お願いです、教えて下さい!代価が必要だと仰るなら、私でも出来る限りの事は」
「いえ、勘違いなさらないで下さい。代価など一切無用です。出来るならばSNSで公開しても良いくらいなのです。ただ…先程言った通り、”闘士”の誰にでも可能かは判りません。それで失望させたくはないのです」
「それでも結構ですから!」
上半身をテーブルの上に乗り出す。後嶋は逡巡後、気乗りしなさげに重たい口を開いた。
「呼ばれる時に、何が起こるかはご存知ですね?」
「『P波』と『S波』の、事ですか?」
もちろんそれは”闘士”間での符牒だった。P波は地震の初期微動、S波は主要動で検知される波動の事だ。後嶋は一つ、頷いた。
「呼ばれる時にはまず、不意に話し掛けられた様な囁き声が聴こえてきますが、これが『P波』ですね?なぜこれが必要なのか、もちろん向こうの連中が説明する事はありませんが、私は一種の位置確認だと考えています」
「つまり、呼び出す相手をロックオンする、といった?」
「だと思っています。そしてそれから数秒から、長くて数分後に、『S波』が来る訳ですが」
安藤は少し口惜しげに顔を顰めた。
「あの、頭が割れそうな程の声に、意識さえ保てれば…少しは状況も違うでしょうに」
「そうですね…恐らくは、あれが呼び出す為の力の表出なのでしょう。召喚に関する一切の情報は、例のいけ好かない貴族達の専売特許ですから、詳細は不明なのですが。ともかく、呼び出される際の現象が判っていれば、対抗手段はあるかも知れない、と考えた訳です」
「え、あの『S波』に耐えられる方法ですか!?」
頬を上気さえさせ、安藤は身を乗り出してくるが、後嶋は小さく首を振った。
「さすがに私でも、それは無理だと思います。協力者の存在なしには」
「協力者?誰ですか、それは!?」
逸る安藤。しかしその問いに答えるのに、後嶋は躊躇を覚えた。その存在こそが、この方法最大の難問なのだ。
「…相棒、ですよ。貴女はお持ちですか?」
「はい、ゴンちゃんです。陸ジェリーフィッシュの!」
呼び出されない方法を、もはや手にしたかの様な興奮ぶり。その表情が直ぐに翳るだろう事を、後嶋は予期していた。
「…私の方法を、最初から説明しましょう。ご存知でしょうが、こうしている今も、私と相棒は魔力、命の絆で繋がっています。私が『P波』を受け取ると同時に、交感能力でそれを知った相棒がほぼ自動的に『S波』干渉術式を私に対し展開し、その魔力を大部分霧散させてしまうのです。そうなれば、当然呼び出しの術式は、実行されません」
その説明を咀嚼してゆくうち、安藤の双眸から光が消えていった。
「…あの、あの『S波』を、大部分霧散させてしまえる、魔力って…私レベルの”闘士”で、最低数十人分は必要なのでは?」
「そう、だと思います」
安藤は、完全に面を伏せてしまった。重たい沈黙が暫し、落ちてくる。こういう気まずさを避ける為、小隈以外に話した事はなかったのだった。
「…一つだけ、判った気がします」
ポツリ、安藤は呟いた。
「何でしょうか?」
「後嶋さん、貴方は誠実な方なのですね。確かに、徒に人に希望を与えるだけの様ですね。でも、他人を利用する餌として使えるかも知れないのに、そうしては来なかった」
「…直ぐに容易ならざる方法だと判明するのですから。余計な厄介事を抱えたくないだけですよ」
その言葉は半分以上本心だったが。
「そうですか?ところで…それが本当だとしたら、貴方の相棒は、とんでもない怪物ですね?一体どんな」
安藤の、彼に向けられる瞳には、畏敬の念の様なものが宿り始めていた。
「私の相棒に関しては…詮索は、控えてくれませんか?この世界には、余りに不釣り合いな存在なので」
一トーン下がった後嶋の声に、安藤は薄ら寒さを感じた。触れられたくない所に手を伸ばせば、恐らく鞭で手を打ち払われる事になるのだろう。確かに、彼の説明通りなら、その相棒はゴンなど足元にも及ばない程の魔力を使用しうる存在であり、この世界に解き放たれる様な事があれば、世界は混乱を来すのだろう。それは、例えば竜種の様な。しかし、竜種を相棒に出来る”闘士”など、はたして存在しうるのか?もし、それが彼なのだとすれば、自分は幸運なのか、あるいは不幸なのか?様々な考えが脳裏を駆けめぐる。
「?ご理解頂けましたか、安藤さん?」
心ここにあらず、といった風の安藤に、少し気ぜわしげに後嶋が訊ねる。
「…え、は、はい…はぁ、私って、本当に駄目ですね」
「何がですか?」
「もう、お気付きでしょうけれど、私は”闘士”として、本当に実力不足で…相棒のゴンちゃんも、戦いには役立つとも言えないんです…」
後嶋の眉根に少し、皺が寄った。
「…貴女は、戦闘力で相棒を語るのですか?」
今度は酷く冷淡な口調になる。
「え?いえ、そんなつもりは…」
自分が本当に駄目な事を口にしてしまったと気付き、慌てて否定するが。
「所謂相棒とは、何でしょうか?己の血を分け、今この瞬間にも運命を共にしている存在、なのではありませんか?たとえどの様な魔獣であろうと、軽んじるべきではないでしょう?」
後嶋の上から目線の物言いに、安藤はカチン、ときた。私は決してゴンちゃんを軽んじてなどいない。ご自身は強力な相棒をお持ちの様だが、こんな言われ方をする筋合いはない筈だ。
「…貴方は強力な相棒をお持ちだから、余裕があるのでしょうね。そのお陰で私達の様に苦しまずに済んでいる様ですし。さぞかし”闘士”として優秀だったのでしょう?」
口調が刺々しくなる。後嶋は、少々気まずげな表情になった。
「…私の相棒には、窮屈な思いをさせてしまっているのですよ。魔空間から解放してやれるのは年に一度程度のもので。私が、相棒にしたばかりに」
「貴方は、それを後悔しているのですか?」
「…いえ。そうしなければ、相棒を殺さなければならなかったのですよ。それが出来たかどうかはともかく。たとえ出来たとしても、そうはしたくない事情があって」
後嶋は言葉を切った。当時の事を思い出し、少々悲しげな表情になる。
「そうでしたか…だったら、少しくらい協力出来るかも、知れません」
言いつつ右手の緑色の石の指輪に触れた。
「?何を、ですか?」
「貴方の、相棒さんのです…ゴンちゃん、出て来て」
安藤の呼び掛けに応え、あの浮遊するクラゲが姿を現す。触手を彼女の右手に絡ませた。
「それが、貴女の?」
中空に揺らめくランドジェリーフィッシュを、物珍しげに眺める後嶋。
「はい。ご存知ですか?」
「いえ。私の活動範囲には、居なかったかも知れません」
「そうですか…魔獣ですけれど、とても穏やかな存在で。『巣』に近付く動物から、魔力を少しずつ貰って生きているんです」
「『巣』、ですか?一体、どの様な?」
「そうですね…ゴンちゃん、お願い」
安藤が立ち上がり、軽くクラゲにキスすると、瞬く間にホワイトアウトの様な空間が広がり、二人を呑み込んだ。と同時に椅子の感触が消え、後嶋は危うく背後へと転がりかけた。慌てて立ち上がる。
「これが、『巣』、ですか?」
周囲を見回す。どこへ視線をやろうと、変わり映えのない白一色の空間。光源はどうなっているのか、ほんのりと全体的に明るい。暗闇でも不自由のない彼らだが、心の落ち着く明るさだった。
「はい。本来は、ゴンちゃんの家族だけが入れる空間ですけれど、絆があるので私が入れて良いと思った人も入れます。私達は変わらずアパートにいますが、外からは全く認知出来ません、普通なら」
「つまり、傍から見れば私達は突然消えた、事になる訳ですか?」
「そうです」
「この空間に、何か特徴はあるのですか?」
「そうですね…怪我の回復や解毒といった、サポート系の効率が良くなりますね。ちょっとしたシェルター代わりですか。ただ、魔力の干渉に強いとは言えなくて…」
「つまり、攻撃魔術等の使用で維持出来なくなる、と?」
「はい…魔力を感じ取れる存在なら、回避や破壊が容易なので、戦いには余り役に立たない、というか」
「それでも。現代の一般人が用いる武器に対しては無敵、と言えるでしょうね。たとえ核兵器だろうと、魔力によらないのなら」
「そうかも知れませんけど…放射線を遮断出来るかは判りません。体験した事がないので」
「もし時空の位相がずれている、といった事なのであれば、外からの物理的影響は一切受けないでしょう。たとえ火山に飛び込んだとしても、熱を感じる事もないのでは?まぁ、試した事はないと思いますが」
朗らかな笑顔を浮かべてみせる後嶋。安藤も釣られて笑みをこぼす。
「そうですね。魔力干渉に対する強度さえ上がれば…」
「ふむ。ところで、外に出るには?解除する必要が?」
「いえ。通常空間との接点を設定すれば、出入りは可能です。そこから魔力を吸い込んでいるので」
「なるほど。では、ちょっと、やってみてくれませんか?」
「判りました」
答えがあり間もなく、後嶋の足元に円く、ダイニングの床が現れた。途端、彼は元のダイニングに居た。いや、元から居たそうだが、見慣れたダイニングの光景が戻って来た…否、少し違う。彼の視界にあるダイニングは、陽炎の様に少し揺らめいていた。耳に届く騒音も、特殊効果でもかけた様に歪んでいた。ここは『巣』と通常空間との接点なのだ。
「…もう結構。解除してくれませんか?」
「はい」
安藤の声も歪んでいた。間もなく陽炎は消え、変わりに安藤が姿を現す。
「どう、ですか?」
相棒を収容した安藤が訊ねた。大して好意的な感想が得られるとは期待していなかったが。
「うむ。確かに、これなら相棒が羽をのばせるかも知れませんね。あの空間は、どの程度まで広がるのでしょうか?」
思いのほか好意的な内容に、少し表情が明るくなる。
「そうですね…実際にどれ位広がるのかは判りませんけれど、接点を設定出来るのは直径一キロメートル、くらいでしょうか?」
「なるほど…対魔力干渉を強化すれば、かなり有効なシェルターとして利用可能でしょう」
「対魔力干渉ですか?一種の防御魔術の様なもので可能だと思いますけれど、魔力の注入が追い付かないと、思います」
「それは、何とかなると思いますよ。相談出来る人物も居ますし。まぁ、明日にしましょう」
ドアへと向かう後嶋。ドアノブに手を掛け、振り返る。
「布団を敷いておきます。シャワーが使いたければどうぞ。浴室は出て左の突き当たり右です。着替えは…すいませんが、ここに女物はないので」
言い残し、後嶋はドアの向こうに消えた。安藤の体にどっと、疲労がのし掛かってきた。一晩のうちに色々な事がありすぎた。お言葉に甘えて汗を流そう。今夜はもしかしたら、何かがあるかも知れない…そんな妄想に胸をときめかせつつ、安藤もダイニングを後にしたのだった。




