第六章 その一
第六章
近くの公園で暴力事件が進行中との近隣住民の通報により、パトランプを点灯したパトカーが現場に到着時には、公園は静まり返っていた。人影は全くなく、懐中電灯片手に二人の警官は公園中を捜索したが、事件性を示す物証は認められなかった。ただ、直径四メートル程のかなり綺麗な円と、所々浅く掘り返された跡が幾つか、地面に残されているのみ。血痕らしきもの一つ、発見出来なかったのだった。ただ一つ、奇異な物を発見したと言えばベンチ裏に落ちていた、掌からはみ出す程の巨大な一本の羽根だった。鴉や鳩等とは明らかに違うその羽根を、警官達はひとまず持ち帰る事にしたが、害獣駆除の要請も出ていない以上、とりあえず彼らの出番はなかった。公園内の捜索を一通り終えたあと彼らが出した結論は、酔っ払いか何かが数人、即席の土俵を描き相撲でも取っていたのを暴力事件と見誤ったのだろう、というものであり、無線に状況報告とその旨を告げると巡回に戻ったのだった。
大山達の敵意剥き出しの視線を一身に浴びながら、後嶋は左手で右手の青い指輪に触れた。
「召喚、手甲!」
叫ぶや、体の前で両の拳を打ち合わせる。一同の視界の中で両腕に魔法陣が宿り、霧散するや見る間に金属鎧の手甲を形成してゆく。両手の甲から両腕全体が、完全に覆われた。一度、拳を打ち合わせ。
「さぁ、こちらは準備完了です。いつでもどうぞ」
特に構えを見せず、大山達を見返す。その双眸には、殺気といったものはなく、到底戦うつもりがあるとも思えない。
「…なぜだ?貴様と戦う理由などない筈だが?小隈君との決着は付いたのだ」
大山の問いは、闘いを回避する為というより後嶋を揺さぶるのが目的だった。どの様な大義名分を持ち出すのか、あるいは持ち出さず闘いを望むのか?後嶋は眉根一つ動かさない。
「…小隈君によれば、私は田ノ中さんという方から侮辱を受けたそうですね?ならば、その落とし前を着けなければ。もちろん、田ノ中さんと一対一でも構いませんが、貴方方はそれで、宜しいですか?全て田ノ中さんに押し付け、高みの見物を決め込みますか?」
大山から安藤の方へ、視線を這わせる。なかなかに辛辣な切り返しだった。もはや、小隈の時とは事情が変わっていた。いま同志の紐帯に亀裂が入っているのを、大山は認識していた。ここで見放せば、それは断裂しかねないだろう。要するに、やるしかないのだ。
「…武器を、返して貰おうか」
大山が手を差し出す。
「ああ、そうですね」
右手で軽々とウォーハンマーを引き抜くと、そのまま振り上げた。その手を離れたそれは、ゆっくり回転しつつ放物線を描き大山の目の前に突き立った。
「…」
表情を平静に保つよう努めながら、大山は内心焦燥しつつ引き抜いた。ウォーハンマーというのはその重量をも含めた武器なのだ。片手で棒きれか何かと同様の投擲が出来る代物ではない。もちろん魔力循環による身体能力強化の結果だろうが、それでも規格外と言えた。
「本当に、良いのか?四対一、武器ありで?」
「魔獣は条件など付けては来ないでしょう?」
両手を広げてみせる。どの様な状況であれ、魔獣に襲われ命を落とすのは”闘士”の落ち度なのだ。
「貴様は?武器なしで良いのか?」
「とりあえずは。私の武器は、少々特殊なので」
あの両手剣は、軽々しく持ち出して良い物ではないのだ。
「そうか…」
憎々しげな呟きと共に、振り返った。
「やるぞ!力量のほど、見極めるのだ!」
安藤の口を押さえていた幡谷が、地面の片手剣を抜き前に出た。そうして、田ノ中を除き大山の傍らへと移動する。安藤がいやいや、をすると田ノ中は慌てて羽交い締めを解いた。彼女に隠れる様に、突っ立っていると。
「早く、行った方が良いッスよ。主賓が居ないんじゃあ、パーティーも興醒めっしょ?さもないと」
安藤越しに、短刀を手にした小隈が話し掛けてきた。右手の短刀で、首を掻き切る仕草をする。田ノ中が青ざめた。
「お、小隈君、私は」
「喜ぶべきッスよ。あんたが馬鹿にした後嶋さんとやり合うなんて、滅多にないチャンスッスから!たぁっぷり、実力差を思い知るッス!」
大山達を短刀で指す。田ノ中もやむを得ず、地面の片手剣を抜き、前に出た。
「大丈夫ッスか?」
「ええ…」
真っ直ぐ見詰めてくる小隈の視線から目を逸らし気味に、安藤は答えた。小隈はその傍らに並んだ。
「あの、このまま逃げません?」
「今言ったッスけど、後嶋さんが闘うとこなんて、滅多に見られないッスから!」
少々興奮気味に小隈。もはや当初の目的を忘れてしまった様だった。呆れた様に安藤は横目で見た。
ずらり、並んだ大山達を一瞥し、後嶋は言い放った。
「どこからでも、どうぞ!」
大山の眦が吊り上がる。左右に首を振ると、幡谷達は注意深く後嶋を囲む。後嶋は自然体のまま、構えもしない。
「…どういう事になろうと、全ては貴様の責任だからな!」
それが合図だった様に、背後の幡谷が動いた。突きの姿勢で後嶋に迫る。が、片手剣の鋒が彼に触れる僅か手前で姿を見失う。幡谷は戸惑い、足を止めた。
「視野が狭いですよ」
背後から声がした、と思考した時には背中を両手で強く押され、ウォーハンマーを振り上げ突進しようとしていた大山と鉢合わせとなる。左右から少し遅れ打ち掛かっていった田ノ中達も、剣を手甲で捌かれ顔面にパンチを貰う。勢いも体重も乗っていない、ただ当たったというだけのパンチだったが、異様に重い。魔力で強化した拳は、一般人だったならたとえヘビー級ボクサーであっても、これだけでKOされていただろう。完全に動きが止まる。後嶋という”闘士”の、その身体能力強化は相当なものだと、この一発だけで理解出来た。
「どうしました、もう終りですか?」
後嶋は両拳を打ち合わせた。幡谷を脇へ押しやり、大山はウォーハンマーを構え直した。
「…どうやら少し、甘く見ていた様だ!」
あ、うんの呼吸で、再び先程と同じ布陣で後嶋を囲む。後嶋自身は、その様をただ見守っている。大山が視線のみで合図し、今度は幡谷と田ノ中が同時に打ち掛かる。後嶋の行動を制約するつもりだったが。後嶋は想像以上に俊敏だった。まずは田ノ中迎撃に動く。驚愕する田ノ中の剣を叩き落とすと同時に、右膝を腹に叩き込んだ。膝が崩れた田ノ中を後目に、また背中を捉え損なった幡谷の左頬を左手で強打した。とびそうになる意識を繋ぎ止めるだけで精一杯になる幡谷。フラフラと、少し間を置き攻撃を開始した君津と衝突する。二人は縺れる様に転倒した。その際大山に背中を見せてしまう。好機とばかり、突き掛かってくる大山の腹部に、軸足をスイッチし繰り出された左足のバックキックがめり込んだ。傍目にはやはり大して威力があるとも思えなかったが、それは二メートル余り、大山を吹き飛ばした。
「ぐうっ!」
大山が片膝を突くほど、そのキックは強烈だった。魔力循環による身体能力強化に伴う外力への応力は、鋼の様な硬化と同時に、運動エネルギーの速やかな拡散により格段に向上する。小隈の攻撃が殆ど通らなかった大山だったが、いかに疲労があったとはいえこのダメージは異常と言えた。後嶋は両の拳を打ち合わせた。
「まだ続けますか。退却すべきだと思いますが?貴方方には、大事が控えているのでしょう?」
「…貴様が、それを口にするな!自らの手を汚さず、いいとこ取りを目論む卑怯者が!」
憎悪の視線と共に言葉を投げつけられる。後嶋は眉根一つ動かす事はない。
「貴方方の計画が成功裏に終われば、より多くの資金や”闘士”達の参加が必要になる筈ですが。それを、計画に参加しない者は全て卑怯者と切り捨てれば、設置された特区はまともに機能しないものと想像出来ます」
「…」
憎悪のみをその双眸に宿し、大山は立ち上がった。彼以外は、もはや戦意喪失といった所だった。
「まだ、やりますか?」
少々呆れ気味に、後嶋は訊ねた。
「私は、認めない!」
ウォーハンマーを構え、打ち掛かる。まともに命中すれば、後嶋とても無傷では済まないだろうが。手甲で捌かれ、なぐりは地面を打った。もはや武器を振り上げる事もままならず、素手で打ち掛かってゆく。後嶋は軽打を、何発も打ち込んでゆく。被弾はない。大山の脚は完全に止まっていた。
「もう、止めてくれ!」
もはや殴り合いとすら呼べない闘いに水を差したのは田ノ中だった。後嶋は一瞥すると、動きを止めた。もはや意識も切れかけ、もたれ掛かってくる大山を押すと、ストン、と尻餅を搗いた。ゆっくりと、後嶋は振り返った。
「それを、私に言うのは筋違い、というものです。続けるか問うたのは私ですよ?」
「判っている、もう大山君には、闘う事は出来ない」
「それを決めるのは、本人だと思いますが?」
向き直ると、地面に座り込んだまま力なく項垂れている大山が見えた。奇襲でも考えているのでない限り、もはや戦意はないと思われた。もっとも、奇襲を仕掛けた所で返り討ちだろうが。今度は小隈を見た。彼は小さく、肩を竦めた。田ノ中を振り返る。
「良いでしょう。貴方の判断を尊重しますよ」
「一体、何者なんだ、あんたは!」
成り行きを見守っていた幡谷が、怯えた視線と共に吼えた。
「小隈君からの話を聞いていませんか?十年ほど前に”闘士”となった者ですよ」
「あんた、一度呼ばれたきりなんだろ?そんな腕を持ってて、何でなんだよ!?」
どう考えても役に立たないなどとは思えなかった。
「そうですね、ちょっとした事情が」
後嶋は呼ばれない理由を濁したかったが。
「もちろん何度も呼ばれてるッスよ!ただ拒否ッてるだけで!」
得意げに小隈が説明した。渋い顔になる後嶋。その言葉は、その場に居合わせた者達の七割以上(もちろん後嶋と小隈を除いて、という事だ)を凍り付かせた。
「どういう、事だ?呼び出しを、拒否出来る?」
独り言の様に、大山が呟く。それは他の同志達の胸中を代弁するものだった。
「一体…一体、どうすれば!?」
縋る様な田ノ中の声。それが可能ならば、彼らを取り巻く環境は劇的に改善される筈なのだ。普通に定職に就く事も可能となるだろう。
「私の場合は、少々特殊ですから。皆さんにも可能かは、判りません」
沈痛そうな表情で、とにかく話を打ち切ろうとする。
「それでも良い!どうすれば良いか判れば、何とかなるかも知れないだろう!?」
「お願い、教えて下さい!」
安藤も身を乗り出す。小隈は顔を向けた。その視界の隅に、人の魔力が見えた。十メートル余り向こう、道路を挟んだ一軒家、その二階の窓から、電灯も点けずこちらを窺っている様な。その人影が、何かを耳に当てた。
「後嶋さんやばいッスよ!誰か通報しようとしてるッス!」
一同にサッ、と緊張が走る。
「ここはお互い、引くべきではありませんか?召喚解除、手甲」
大山を見下ろしつつ提案し、言葉の後半は青い石の指輪に触れつつ呟くと、手甲が消える。後嶋を睨みつつ大山も立ち上がる。つと、視線を逸らす。
「行くぞ!」
後嶋の横を擦り抜け、田ノ中達の方へと進んで行く。後嶋もその背中を一瞥し小隈の方へ向かった。
「遅くなって済まなかった。よく頑張ったな」
小隈の左肩を軽く叩く。小隈は少し、照れた様に笑った。
「精一杯やったッスよ!」
しかし次の瞬間には、苦痛に僅か、顔を歪める。後嶋が肩を強く掴んだのだ。まるで万力の様な握力だった。
「余計な口さえ開かなければ、百点満点だったな」
口元だけ、笑みを浮かべつつ。
「後嶋さん、痛いッス。ちょっと、ちょっと調子に乗りました。謝るッスから」
ヘコヘコと頭を下げる小隈に、苦笑する後嶋。肩を離した。
「では、行こうか。ところで」
安藤へ視線を送る。まるで親に怒られると覚悟した子供の様に、彼女は体を強張らせた。
「貴女はどうしますか?どこか、行く当ては?」
心から憂慮しているらしい、優しい口調で後嶋に訊ねられ、恐る恐る、安藤は彼を見た。
「とりあえず、後嶋さんの所へ行かないッスか?ここを離れないと」
左肩を右手でさすりつつ小隈。安藤は撤収しようとしている大山達の方を見た。武器を収納し、彼女の方を一顧だにせずノロノロと公園を出て行く。小隈は既に短刀を収納していた。相棒はまだ空中を遊弋していたが、ここを離れてから収容するつもりだった。
「はい…」
小さく頷いた。
「そうですか」
呟くなり、彼もまた公園を出て行こうと歩き出す。小隈に軽く肩を叩かれて促され、安藤は歩き出したのだった。




