第五章 その十
公園に安藤を降ろすと、パピーは再び舞い上がった。数十メートル上空で旋回を開始する。その目を通し、逃走の下準備中だった小隈も公園の全体を把握していた。周囲を桜の木で彩った、さして広くもない公園。長方形で、一方の長辺に沿って設置された鉄棒程度しか遊具もない。ほかにはベンチと、一方の短辺寄りに設置された、小便器に男女兼用の個室でセットになった公衆トイレのみ。
「一体、誰なの?」
見知らぬ公園の真ん中に一人、取り残された安藤は、哨戒行動を取っているのであろう巨鳥を見上げた。あの窮状から、誰かの相棒が救出してくれたのは判った。拘束具が装着されていないのを見れば、相棒である事は一目瞭然だった。拘束具は魔獣の形態により多種多様だが、パピーの様な場合ならばシャドーロールの様に頭部に被せるタイプの物が一般的だった。”召喚獣”などと呼ばれ、通常時は異世界で管理されている。”闘士”召喚と同様の技術が使用されている様で、異世界でと同様、こちらにも召喚が可能だった。もし拘束具が破壊されれば、”召喚獣”にとっては好ましからざる結果となる。相棒と異なり大抵の場合、召喚者の指示のもとに行動するが、魔力の流入や共感作用等は存在しない。拘束具がそれを阻害しているらしく、道具として”闘士”経由で間接的に魔獣を制御出来る利点がある。駆逐すべき対象を身近に置かねばならない葛藤は並大抵ではないだろうが、人のみでは自ずと限界があるのだった。どれ程犬が苦手だろうと、狩りに鼻の利く猟犬は不可欠なのだ。
痺れのすっかりとれた安藤は立ち上がると、周囲に視線を巡らせた。公園内に人影は見当たらなかった。あちらで共に戦ったのでもない限り、他人の相棒を目にする機会はまず無く、今見上げている巨鳥に心当たりはなかった。とすれば、その人物が完全な善意から自分を救った、とも考え辛い。警戒しなければ、と踵を返した。公衆トイレの傍らに、桜の大木があった。
「優しき風よ、疾く我を運べ!」
彼女の体を風が包む。大山の飛行魔術と同様のものだが、飛行と呼べるほど魔力が続かない。天辺の大枝に腰掛けた。枝葉の陰に、ほぼ全身が隠れた。一般人はもちろん、無機物でない生命あるもの(それがたとえ植物でも)は多少なりと魔力を放出している為、たとえ”闘士”であろうと、一見しただけでは気付かれない可能性があった(だからこそ、森の中などではより一層の周辺警戒が為されるのだった)。桜の木に、未だ花は一つも開いてはいないが、あと二週間もすれば満開となるのだろう。はたしてその頃、自分はどうしているのだろうか?その艶姿をこの目にする事が出来るのだろうか?考えれば考えるほど、気が滅入ってくるので止めた。それより今考えるべきは、これからどうするべきかだ、と。とりあえずは謎の人物が現れるのを少し待ち、もし来なければハイム プリマヴェーラへ向かう事にした。とはいえ土地勘もない為、おおよその方角以外距離も判らない。スマホの地図アプリで確認出来るだろうが、道に沿う必要もなく真っ直ぐに向かった方がよいだろうか?などと考えていると、頭上に変化があった。旋回していた巨鳥が、ある方角へと飛び去ろうとしていた。概ね来た方角へと。
「戦っていたの?」
今更ながら、その考えに行き着く。誰も巨鳥を追って来なかったのはなぜか?答えは単純。謎の人物が足止めしていたのだ、と。
「…行ける?」
自分への問い掛け。またあの戦いに、この身を投じられるのか?急に、ガタガタと全身が震えだした。まるで、雨か何かでずぶ濡れになり、骨の髄から凍えきってでもいるかの様に。自らを強く抱き締める。自分はもう駄目だ。少なくとも今は。充分すぎるほど、今日は魔力を消費した。自分の様な三流”闘士”は、逃げるだけで精一杯だ。いや、自分一人では満足に逃げる事すら不可能だったのだ!自分はここで、謎の人物の到着を待つべきだ。きっと、それを望んでいる筈なのだから。自分を救った為に今でも戦っているだろう人物に助太刀しない言い訳が、頭の中で次から次へと湧き出る。その人物にしても、どんな下心があって自分を救ったものか判らないではないか?そんな考えが横切り、自己嫌悪が襲ってきた。要するに、自分は自力で大山達と訣別する事も出来ずに謎の人物に丸投げした挙げ句、恥知らずにもそれを正当化しようとしているのだ。そんな呟きが聞こえた気がして、両耳を塞いだ。我知らず、涙が溢れ出してくる。
「だって、仕方ないじゃない…」
誰に向かっているのか判らない言い訳を呟く。蹲ったまま、彼女は涙を流し続けたのだった。
幡谷の攻撃を躱しざま、小隈は隣の一軒家の屋根へ飛び移った。しかし、大山がその上を飛び越し背後に回る。即座に振り返ると、ウォーハンマー先端のスパイクが身近に迫っているのを危機一髪で躱す。
「しつこいッスねー」
内心、失敗したー、と舌打ちした。まさか飛行魔術の使い手がいるとは。結局は公園まであと一息、という所で追い付かれてしまった。胸中で相棒に急行するよう頼んだが、間に合うかは判らない。
「君のその不遜な態度が気にくわない!」
繰り出される突きを、右手の短刀で受け流す。
「不遜すか?まぁ、謙虚じゃないッスけど!」
背後に着地する者の気配を感じ、振り返りざま右手の短刀を繰り出した。幡谷の片手剣を弾いた。大山は得物を引き戻し体勢を立て直そうとしていた。ほんの僅かな隙が出来る。小隈は背後へと跳んだ。隣家の屋根へと移動する。距離は目測通りだった。
「まぁまぁ、悪かったなら謝るッスから」
背後をチラ見しながら、小隈はおどけた様に言った。バックしながら跳躍するには、少々距離がありそうだった。
「その態度が、不遜だというんだ!」
武器を構えながら、大山は動かない。安藤の追跡から小隈との戦闘、そしてここまでに飛行魔術まで使用しかなり消耗していた。魔力は生命活動によって発生する。それは即ちエネルギー代謝により魔力を発生させる、という事で。”闘士”は意識のみによってエネルギー代謝をある程度までコントロールし魔力量を調整する術を身に付ける。通常の運動に加え、魔力の使用により体が重くなってきていた。
「そッスか。要するに、反りが合わない、って事ッスよね」
言い終わらぬうちに、小隈は左側へと走り出した。狭い路地を挟んだアパートへと、逃れようというのだ。
「てめぇ、逃げんな!」
幡谷が小隈のいる屋根へ跳び移るべく、下半身のバネを蓄えようとした、と。何かが急降下してくるのが判った。一直線に突撃してくる。
「ちっ、あの馬鹿鳥!」
大山共々迎撃すべく武器を構える。凄まじい風が襲い来る。しかし、巨鳥は二人の頭上をローパスすると、巨躯に相応しからぬ機敏さでターン、小隈の行く方角へと飛び去った。遠くに巨鳥の脚に掴まり飛び去る小隈の姿が見えた。
「…!糞、またしても!」
更に怒りを募らせた大山が毒づく。屋根を跳び移り、自分に続く者の気配がないのに気付くと振り返った。幡谷を始め、みな固まった様に佇んでいる。
「どうした、逃げてしまうぞ!?」
怒声に、のそのそと、動き出すのを確認すると向き直り、路地を跳び越えたのだった。




