第五章 その八
一軒家の屋根の上で彼らの動きに気付いてから、小隈は遠巻きに成り行きを観察する事にしたのだった。そのルートはハイム プリマヴェーラから遠ざかってゆく。大山達にそう誘導されたのだった。
「うーん、ちょっと頼もうかな?気付かれないッスよね?」
三階建てワンルームマンションの屋上で、遠ざかる一行を見遣りつつ誰にともなく呟く。緑色の石のイヤリングに、右手の人差し指で触れた。
「パピー、カモーン!」
天空に向かい、呼ばわる。他人の目があっては恥ずかしすぎて出来ないだろうが、その呼び掛けに答える者はあった。例によって中空に開いた漆黒の穴。両手を広げた彼が、すっぽりと収まって余りあるかなりの大きさのそこから、巨鳥が姿を現した。優雅に羽ばたきつつ、彼の頭上を周回する。
「いくよ、シンクロ!」
目頭を押さえ、瞑目する。己の相棒を思い浮かべ、その中に入ってゆく様をイメージする。と、不意に、彼の脳裏に住宅街の夜景を俯瞰した映像が浮かんだ。巨鳥の視覚情報だった。
「よぉし、オーケー!行っといで!」
先程からやけに威勢良く言葉を発している。自身を鼓舞するために。それは不安の裏返しなのだ。向こうの世界で対人戦の訓練を行なった事もあるが、移動中などの、どちらかといえば暇潰し的なものだった。あくまで戦う相手は魔獣であり、基本的に対人戦は禁止されていた。”闘士”達の反乱を恐れての事だろうと、小隈は考えていた。誓約の首輪という鞭を見せびらかしながら、向こうの人間達は”闘士”という存在への恐怖心を消せずにいるのだ。彼の意志とシンクロし、その考え通り安藤達の追跡を開始する巨鳥は大きく羽ばたき、高度を取る、と、瞬く間に小さくなっていった。ターゲットに気付かれない程度の高度まで上昇する。もっとも、おいかけっこに夢中の彼らに、頭上へ注意を払っている余裕はない筈だが。一旦巨鳥の視覚情報を意識の隅へと追いやると呼吸を調え、魔力を貯蔵。相棒の飛び去った方向を見据えると助走を開始する。縁で踏み切り道向こうの一軒家へと、虚空に身を躍らせた。彼はスピードと接近戦における手数で押すタイプで、魔術は得意とはいえなかった。魔力貯蔵量も多いとはいえないため、強力な攻撃魔術も苦手だった。威力がショボくなってしまう。それを補強するため、動作の切れ目など僅かな合間にスムーズな魔力循環、貯蔵を出来るよう訓練をしてきた。パピーという相棒を得てより数年、今では多少貯蔵量が増加している実感があった。相棒同士は影響を及ぼし合う部分があるため、単なる訓練の成果だけではないかも知れないが。
道の半ば程で高度が下がってきた。駐輪場を跳び越えたのだ、やむを得ない事だったが、このままでは一軒家の二階に家宅侵入、という失態を犯してしまう。しかし、起伏に富んだ地形を動き回り多種多様な魔獣を相手にする”闘士”達は、こういった状況にも各々対応策を確立していた。
「エアロ、ボム!」
黄色の石に触れつつ叫ぶと、一拍おき彼の足元で文字通り爆発的な暴風が一瞬、爆ぜた。トランポリンの様に彼の体を押し上げ、無事屋根の上に着地する。それは攻撃魔術だったが、これのみで倒せる様なら魔獣とは呼べまい。主として飛翔する魔獣の撃墜や、地上でも牽制や足止め等に使用された。空中移動の魔術を持たない彼は、本来の使用法のほか、今回の様な移動にも使用した。相棒の脚に掴まる等の方法もあったが、ある程度の距離を空中で移動せざるを得ない場合のみに限定していた。相棒の飛行距離は長いとはいえず、重量物をぶら下げたまま飛行する事を嫌がった。だから主として空中からの索敵、急襲に活躍してきたのだった。そして今は、それとほぼ同じ事をこちらの世界、自分のいるべき世界で行なっているのだ。不安感は拭い去られ、言い様のない高揚感が取って代わる。
「調子出て来たぁ!もう一丁!」
跳躍すべき方向を見極め、小隈は助走を開始した。




