第五章 その二ー一
後嶋のその日の帰宅は八時近くになった。いつもと大して変わり映えのしない時刻ではあったが。時田の話を特に気にしている風もなく、普段と変わらぬ様子でアパート正面入口へと近付いてゆく。と、向こうの路地から人影が飛び出してくるのが見えた。彼に気付くと、こちらの方へ駆け寄ってくる。ブラウンのコートに赤いジャケット、ブラウスにパンツ姿の安藤は、恐怖に引きつった表情を作りながら彼に訴えかけた。
「すいません、追われているんです!」
精一杯哀れを誘う様な声音で、そう切り出した。後嶋は殆ど表情も変えない。
「追われている?交番にでも行きますか?」
あくまで冷静な口調。安藤は少々苛立った。
「いいえ。判りますよね!?」
振り返ってみせる。物陰から二人の様子を窺っていた人の気配が、路地の奥へと遠ざかってゆくのが感じられた。どこか段取りじみていると、後嶋は思った。昨夜アパートの裏手に居座っていたのはこの者達か、と。最初から自分と接触する為の茶番劇。
「…なるほど。で、どうすべきなのでしょうか?」
冷めた口調の後嶋に、安藤は計画が破綻しつつあるのを感じていた。実際にはしつつある、ではなく、既にしているのだが。
「お願いです、命を狙われているんです!」
更に声を張り上げ、涙さえ浮かべてみせる。後日、この時の情景を思い浮かべてみた時、きっと死にたくなる事だろう。後嶋は小さく、溜息をついた。自分はこの茶番に付き合わなければならないのか?それでも、と、思い直してみる。自分は今、小隈や山神との会話の中で、国家レベルでの面倒事が起きようとしている事を知っている。巻き込まれたくはないが、安全の為にはある程度の内部情報が必要かも知れない。場合によって協力する素振りを見せながら、参加人数や計画の一旦なりと入手出来れば。そう直ぐに判断をし、彼女の顔を見据える。安藤の頬に僅か、朱が差す。どちらかといえば好みの容貌だったのだ。
「…来て下さい」
彼女に背を向け、正面入口へ足を運ぶ。命を狙われているという若い女性を護ろう、という気配など、微塵もない。それも彼が、彼女も”闘士”だと気付いていたからだった。魔力の見える”闘士”には、魔力の体外への放出具合で一般人と区別が付く。当然ながら”闘士”の場合、個人差はあるが殆ど放出は見られない。手練れともなれば、森の中などで魔力を頼りに隠れ場所を探し出すのは困難になるほど抑制出来た。その点で言えば、安藤は隠密性に優れているとは言えない様だった。もっとも彼女にしても、彼に対しそういった感想を持っている事だろう。たとえ表面上は同様だろうと、実際には天と地程も違う理由が、二人にはそれぞれあったが。それはともかく。ここまでは上手くいっているかどうか、確信が持てないまま安藤はその背中を追った。
自室の玄関ドアを解錠すると後嶋は一旦ドアの中へ姿を消し、数分後ワイシャツとズボンだけの姿で彼女を招き入れた。一人その時を待っている間、彼女はそわそわと周囲を窺っていた。アパートの住人に目撃される事を警戒して。必要とあれば、光系列魔術の『隠形』を用いるつもりでさえあった。これは光系列の魔術で単純に自分の姿を不可視にするものだが、超音波や音響等のセンサは反応するため他の魔術と併用する事も多い(もちろん、元々は対魔獣戦用に開発された魔術だ)。もちろん魔術の行使中は継続して魔力を消費するため、ここでは併用はしないが。それはともかく、その為ハンドバッグから黄色い石の指輪を取り出し、右手中指に嵌める(彼女は魔術士なので、呪文も使用出来るが)。彼女のその行動は、決起後警察当局に余計な目撃証言を与えない、という主旨からで、後嶋に迷惑を掛けたくない、という道義心からではなく、後嶋が予想以上に厄介な相手だった場合、怒りを買うのは得策でない、という判断からだったが。
「…どうぞ」
「お邪魔します」
玄関に立ち、室内を見回す。男の一人暮らしという割には、清潔感が感じられた。さっさとダイニングへ入ってしまう後嶋を追って、安藤も靴を脱ぎ廊下に上がった。ダイニングへ入って行く。
ダイニングでは、テーブルの前に後嶋が仁王立ちとなっていた。
「電子機器を、身に付けていますか?」
「はい?」
後嶋の威圧感に満ちた佇まいに腰が引け気味の安藤は、間が抜けた様に問い返した。しかし、後嶋は一切構わない。
「スマホなど、電子機器は全てそのハンドバッグの中?」
右肩から下げているハンドバッグを指さす。訳が判らないながらも、彼女は頷いた。
「時計などは、していませんね?」
「はい」
左腕を差し出してみせる。手首には何もしていなかった。後嶋は一つ、頷いた。
「指輪をハンドバッグに入れて、渡して下さい」
一瞬、安藤の表情が強張る。力量不明の”闘士”相手にそれを預けるのは、かなりの冒険と思われた。しかしここで拒否しては、せっかくここまで繋いだ糸が切れてしまう事になりかねない。彼女は結局、指示に従った。また一つ頷くと、後嶋はそれをキッチンへ持って行った。直ぐに元の場所へと戻ってくる。
「では、始めます」
言いつつ右手を翳す。その中指には、黄色い石の指輪。左手でそれに触れつつ。
「電磁波放射、起動、実行」
彼女の視界の中で、指輪の中空に魔法陣が出現、霧散した。途端、彼女の全身の毛穴という毛穴がざわめくのが感じられた。総毛立つ。
「何ですか、この魔術!?」
未知の魔術に、安藤の血の気が引く。雷系列だろうが、攻撃系とは思えない。一体何の意味があるのか、と。
「貴女自身に害はない筈です。貴女の身につけた電子機器は、その限りではないでしょうが」
その言葉に、彼女は後嶋の行動の理由を悟った。この魔術は強力な電磁波を放射するものなのだと。密かに忍ばせていた盗聴器は、恐らく故障しているだろう。思わず表情が引きつる。
「…こんな魔術、知りません」
「そうでしょう。こちらで構築したものですから。向こうでは、まず用途が無いものですしね」
「こちらで?貴方は魔術式の構築を?」
それには答えず、後嶋は右手で着席を促した。彼から視線を外す事なくコートを脱ぐと折り畳み、椅子を引き着席する安藤。コートを隣の席に置く。彼は冷蔵庫へと向かった。
「なぜ、こちらで魔術式を?」
ボトルコーヒーを取り出し、キッチンの水切りへ向かう後嶋に問い掛ける。
「…向こうでは無用でも、こちらでは有用なもの、というのはあるのですよ。今の様に攻撃や通信、回復等に役立たないものでも。例えば、貴女がGPS発信器を仕掛けられていないとも限らないですし」
微糖のボトルコーヒーとグラスを二つ、テーブルの上に置く。ボトルコーヒーを注ぐと、グラスを各々の席に置き直し、自分も着席した。右手の指輪に触れ。
「静寂、起動、実行」
かつて小隈が使用したのと同等の魔術を、後嶋も使用した。二人の視界の中にオーロラが周囲を囲む様に出現する。もちろんハンドバッグはその範囲外だった。
「さて、まずは自己紹介からですか?私は後嶋密です。ご存知ですか?」
安藤は小さく頷いた。
「私は、安藤、咲です」
「そうですか…さて、伺いましょうか。事のいきさつを」
一応笑顔ではあるが、訊問じみた雰囲気を帯びてくる。いやが上にも、安藤は緊張した。
「あ、あの、その、私…その、”長老会”って、ご存知ですか?」
メンバで考え出したストーリーを語り始める。後嶋は小さく頷いた。
「はい、一応は。貴女はお世話に?」
「はい…実は、その仲間内で、ちょっと盛り上がっている事が、あって」
言葉を選んでいる風に俯いてみせる。
「盛り上がっている事、とは?」
「ええと…私達の多くが、あちらのやり方に不満を抱いているのは、ご理解頂けますね?」
「そうでしょうね。私もですが」
後藤の口調はあくまでフラットだった。どこまで真面目に聞く耳があるのか安藤には判じかねた。
「そうですか?そこで、以前から行政に訴えかけて、私達の為に特区を設定して貰おうと動いていたそうなんですけれど、上手く行っていなくて」
「なるほど。ファンタジー話を信じてくれる人は、そう行政側にはいないでしょう」
初めて聞く話の様に、コクコクと頷いてみせる。少し、警戒心が弛んだ様に、安藤は感じた。
「そうですよね!それで、いつまでも埒の開かない状況に、業を煮やした人達が、デモンストレーションをしよう、という話をしていて。それに参加しないか、って」
「何ですか、その、デモンストレーションとは?」
この問いに答えるには、注意が必要だった。みだりに情報を与えてはいけない。
「さぁ、詳しくは聞いていないんですけれど…その、私を誘った人の圧が半端なくて…恐くて断わったんです。そうしたら…」
「襲われた、と?」
無言で頷く安藤。小さく後嶋は溜息をついた。
「…ところで、なぜ私の所に?」
「その、山神さんから聞きました。困ったなら頼れ、と」
後嶋は右眉を上げて見せた。
「あのご老人が、一度会ったきりの人物を頼れと?それは、少々」
不躾すぎませんか、と皆まで言わず、困った、あるいは迷惑そうに顔を顰めた。
「きっと、それ程好感を持ったのだと思います!でも…確かに、ご迷惑ですよね?すいません」
しおらしく面を伏せてみせる。内心、自分でも苦しい所と思っていたが。
「それは、嬉しい事ですね。それで、これからどうするつもりですか?」
明るい声で、後嶋は乗ってきたのだった。以外だと思わなくはなかったが、安藤も乗る事にする。
「そう言って頂けると、有り難いです。それで、その、出来れば、匿って頂けないでしょうか?」
「ここに、ですか?」
「はい、出来れば」
哀願する様に、安藤は後嶋を見た。困惑する様に、後嶋は見返した。
「ここは、もう知られているでしょう?他に、どこかありませんか?誰にも知られていない様な所が?」
「大事の前です、派手な事はしないでしょう。何をする気にしても、始まってしまえば私を構っていられる暇はないと思うんです。それまでで良いですから」
更にもう一押し。これで時間を稼ぎもっと親密に(男女の関係に)なって、情報を収集すると同時に監視役となる。上手くゆけば籠絡可能かも知れない。そこまで彼女は考えていた。自分を見下し、員数合わせ程度にしか考えていない『同志』への、特に幡谷への牽制となれば。
「そうですか…では、教えてくれませんか?どれ程の”闘士”が参加するのですか?」
真剣な表情で問う後嶋を、安藤は適当にはぐらかすつもりだった。美味く嘘をつける自信はなかったが。
「ええと、そんな話、出ていたかしら?」
後嶋は少々、残念そうな表情をした。
「判らない?それでは、匿いきれる自信はありませんね。私は大した”闘士”ではないので」
「いえ、ですから、デモを開始するまでは動かないと」
後嶋は溜息をつき、首を振った。
「それは、甘いと言わざるを得ないでしょう。もしこの情報が治安当局に漏れれば、大事は成就しないかも知れません。そうなる前に、一気にカタを着けようと考えるかも知れないのですよ?」
「でも、それは」
「申し訳ありませんが、今すぐ出て行ってくれませんか?面倒事に巻き込まれたくないので」
話は終わり、とばかりに立ち上がりかける。安藤は焦燥した。急に大きな声を上げる。
「ああ!そう言えば、三十人以上は参加するって、自慢げに言っていました!」
急に思い出しました、という下手くそな演技。ここで断わられれば、全てが無駄になってしまう。
「そんなに?…それで、どれ程の間匿えば?」
「その…一ヶ月くらいで始まる、とか」
もはや質問に答えない、という選択肢はなかった。しかも安易に嘘はつけない。嘘が露見すれば、全てが台無しになるのだ。
「なるほど…それでは、手助けが必要ですね」
「手助け、ですか?」
「はい。心当たりがあります。未だ二十代の若者ですが、結構腕は立ちますから」
言いつつ立ち上がり。
「少し待っていて下さい。スマホを取ってきます」
ダイニングを出て行く素振りを見せる。安藤は焦った。田ノ中から聞いた話で二十代の若者といえば、小隈の名が思い浮かんだ。彼とマンツーマンでなければ、少々どころか多分に不都合だった。
「あ、ちょっと!お願いです、そんな大事にしたくないんです!」
「え?でも、相手は三十人余りですよね?私一人では」
「それは!小隈さんにも迷惑をお掛けするのは」
無意識に、その名を口にしていた。後嶋の動きが止まる。
「なぜ、その名を?まさか、田ノ中という人から?」
「ええ?はい、そうです!」
催眠術にでも掛かった様に情報を与えてしまう。
「そうですか…少し、話しましょうか」
椅子に座り直す。真っ直ぐに見詰められ、安藤は少々体を引いた。何か危険なものを感じたのだ。後嶋自身の様子に何か変化があったという訳ではないが。
「あの、私、何か…」
「私は田ノ中という方を直接存じませんが、小隈君も同様な話を聞き、貴女同様に断わっています。しかし、私が知る限り、貴女の様に狙われている様子はなかったと思いますが?これは、どういう事でしょうか?」
粘着性を帯びた様な、後嶋の口調。テーブルの下で、安藤は右手の拳を握り締めた。まるで魔獣が突然、眼前に出現したかの様に、今にも無様に震えだしてしまいそうだった。決して威圧的でもなく何か攻撃の意図もありそうには見えない。”闘士”として、それは理解出来ていた。ただ単に自分が小心者で、演技が破綻し掛けている、その認識が自分自身を追い込んでいるだけなのか?動揺を抑えられないまま。
「それは、多分、田ノ中さんが小隈さんの居場所を知らない、からで…」
「ほう?ならば、余計に小隈君を呼ばねば。彼にしても、災いの芽は早く摘み取りたいでしょうし。三対二なら、制圧出来るかも知れませんよ?」
口元だけで笑う。
「え、でも、あの人達は、もう」
「まだ、この付近にいるかも知れませんよ?そう、例えば、裏路地辺り、とか」
面から血の気が引いてゆく音が、聞える様な気がした。相手は全て判った上で言っているのだ、と。後嶋は、テーブル越しに上半身を乗り出してきた。
「貴女がなぜ、この様な状況にあるのか、その事情には興味ありません。私の事を、探りに来たのですね?」
言いつつ、安藤のうなじに右手を伸ばした。引き付ける。一瞬ピクリ、としたきり、彼女は為されるがままだった。蛇に睨まれた蛙。無言で頷くよりない。
「…貴女の自発的意志ですか、誰かの指示?」
「…大山、さんが…」
「それは?」
「私達の、リーダー、です」
まるで魅入られた様に情報を口にしてしまう。何かの魔術にでも掛かったのか、と一瞬考えたが、その様な兆候は見られなかった。もっとも、彼女も知らない魔術を使用した事から考えても、決して当てにはならないが。そもそも、彼女は自分の”闘士”としての力量に自信が持てなかった。
「なるほど…貴女も、災難ですね。静寂、終了」
二人の視界の中で揺らめいていたオーロラが消えてゆく。話は終わったのだった。彼女を放し座り直すと、後嶋はグラスを取り上げた。
「勿体ないですから、飲んだらお仲間の所へ戻って下さい」
グラスを傾け、口から離すと一つ、溜息をついた。微笑みは変わらず、もはや彼女を見ようともしない。もし彼女が自分の口封じのため送り込まれた刺客だったとして、つけ込む隙(少なくとも、そう思われる瞬間)は、あった筈だった。そこを突いてこなかった、という事は、情報収集が目的だろうと確信出来た。もちろん目的が達成不可能の場合、攻撃に転ずる計画かも知れなかったが。それを考慮しての指輪だった。この指輪の石には、無詠唱で魔力を注ぐだけで、起動、実行される完全防御魔術(全属性の攻撃魔術、物理攻撃に対抗可能な魔術)の術式が記録されていた。”闘士”としては必須といって良い魔術だったが魔力の消耗が激しく、ダウンサイズ版を用いる者も少なくなかった。もっとも、ここに至ればその必要もなさそうだったが。一方で、安藤は呆然とあさっての方向を見詰めていた。
「手を着けないのですか?別に構いませんが」
空いたグラスと手つかずのグラス。二つをキッチンへ持って行き、勿体ないとは言っていたがコーヒーを流してしまう。と、背後の気配が変わった。安藤が立ち上がり、近付いてくる。攻撃でもしてくるかと、素早く振り返ると。
「お願いです、助けて下さい!」
安藤は抱きついてきたのだった。後嶋は辟易した様な表情を浮かべた。
「まだ、続けるつもりですか?」
この茶番劇を、と胸中で付け足す。が、彼女は彼を見上げながら数度、首を振った。
「違うんです!私、これをやり遂げられなかったら、困るんです、とても!」
「それはご愁傷様ですね」
後嶋は冷たく言い放った。
「とても…私、見下されていて、もし上手くゆかなかったら…どんな目に遭うか」
「だから、私に協力しろ、と?力量のほどは存じませんが、貴女も”闘士”なら、自分の身ぐらい自分で守れなくてどうするのです?」
「無理です!私、いつも迷惑掛けてばかりで…だから!」
涙の筋が、頬に引かれる。正しく哀願。しかし、後嶋はそれに応じる気にはなれなかった。彼女には、自分の意志で自分の道を切り開く、そういった姿勢が感じられない。誰かに言われるまま、この様な茶番劇に身を投じている、人として駄目な女性、としか思えないのだった。
「…とにかく、離れてくれませんか?」
安藤を押し退けようとするが、尚も安藤は力を込めてくる。
「お願いです!助けてくれるなら、私を玩具にしてくれて構いませんから!」
その一言は、彼女にとって痛恨のミスだった。温厚な彼をキレさせたのだ。それは彼の品位に対する冒涜に他ならなかった。目の前で、両手を合わせる。
「麻痺、起動」
その一語に彼女は固まった。右手を彼女のうなじに添える。
「実行」
「いやっ!」
途端、彼女の体から力が抜けた。”闘士”ならば攻撃魔術にはある程度耐性があるが、それでも暫くは動けないだろう。正座状態の彼女を今度こそ押し退け、ハンドバッグを手に取る。未だ立てずにいる彼女の右腕を首の上に通しコートを取り上げると、歩けないのもお構いなしにダイニングを出て行く。玄関ドアを開くと彼女を通路に放置し、傍らにコート、ハンドバッグと靴を置き。
「さようなら。お気を付けて」
バタン、ドアを閉めた。一人残された安藤は、呆然とドアを見上げるしかなかった。間もなく痺れは取れたが、それでも動き出す気にはなれない。自分は何をしたというのか?女性の哀願に対する報いが、この扱いか?自分には魅力がないか(自信があった訳でもないが)、自分によく似た人物に良い思い出がないとでもいうのか、あるいは、私の言動が怒りに火を付けてしまったのか?いや、そもそも、私の演技が下手くそで、下心が見え見えだったとしても、彼は私から情報を引出していたではないか。そうして用が済めばこの扱いか!これは不公平だ!彼女の胸中に、怒りがこみ上げてくる。いっそのことここで喚き散らしてやろうか、と口を開きかけたが、すんでの所で思い止まる。そんな事をして状況を悪化させれば、今度は何をしてくるか判らない。相手は自分も知らない魔術を使用してくるのだ、このまま私を消し去る事さえ可能かも知れない。ここは、一旦引くよりないだろう。そして大山さん達に相談をして。安藤の表情は冴えない。ただでさえみそっかす扱いだというのに。
「…また、来ます」
よろよろと立ち上がり、コートを身に着け靴を履くとハンドバッグを手に階段へと歩き出す。




