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第三章 その四

 洲堂より一足早く、安藤は厄介な役割を大山から押し付けられていた。山神との面会の後間もなく、大山は安藤に会合の連絡をしてきたのだった。

「え、私が?」

喫茶店の片隅で、安藤は危うく立ち上がりそうになり、大山に右手で制せられた。

「落ち着きたまえ。これは重要な役目なのだ」

真剣な表情に気圧され、安藤は視線を下げた。

「…でも、私、そんな事…よく知りもしない男性に、近付くなんて…」

「改めて言うが、これは重要な事なのだ。後嶋なる人物がどこまで我々の情報を把握しているのか、どうするつもりなのか、出来れば”闘士”としての力量まで、事を起こす前に把握しておく必要がある。さもなければ、我々の行動に支障を来す可能性すらあるのが現状なのだ。君がもたらす情報次第では、計画の変更も余儀なくされるだろう」

「でも…それなら、田ノ中さんなんかどうなんです?共通の知人がいる事ですし」

嫌な事を思い出した様に、大山が顔を顰める。

「状況が判っているのか?彼は、その知人を怒らせて勧誘に失敗しているんだぞ?」

「はぁ…」

力なく返答をする。彼女は元来頼まれ事を断わるのが苦手なのだ。しかも、相手は生命の危機が常につきまとう場で、大変世話になった相手ときている。しかし、今回の依頼は、彼女に別種の危機感を抱かせるものだった。そう、貞操の危機。特定の男性に接近し情報を引き出す。そういうのって、ハニートラップって言うんだっけ?私、諜報機関に就職したつもりなかったのにな、などと胸中で呟いた。

「…あの、どうしても、私がやらなくちゃ、いけないんですか?」

言葉の行間に躊躇と懇願を挟み込みつつ、しかし修飾はどうであれ内容は決まっている返答を引出す為の問い。彼女は半ば、自分を諦めさせる為の問いを発したのだ。大山が真剣な目差しで見詰めてくる。

「これは、我々の大願成就の為に必要なプロセスなのだ。私も君も、今こうしている間にも呼ばれるかも知れない。もし、無事に戻れたとして、また人の情に縋る様な、不安定な生活に戻るのか、確かに自分達の居場所と呼べる様なコミュニティーに戻れるのか、今がその分水嶺と言っていい。君は前者のままで良いのか?後者を望まないのか?」

熱弁を振るう大山を、安藤はどこか冷めた目で見ていた。この人、いちいち大袈裟なんだよな、と。こうやって人を丸め込んでいくんだよな、等とぼんやり考える。

「で、どうなんだ?受けてくれるか?」

凄い圧力で、問い掛けてくる。判ってても、断れないよね、と、安藤は諦めの溜息を胸中でつき、作り笑いと共に口を開いた。

「…やります」

口にしてしまってから後悔の念が沸き起こるが、もう遅い。大山は、満面の笑みを浮かべ何度も頷いた。

「そうか!よく決意してくれた!もし大願成就の暁には、必ずやこの決意に厚遇をもって応えよう!」

まるで自分に全ての決定権があるかの様な物言い。大山の、”闘士”としての力量は認めていた彼女も、こういった点を今一つ信頼出来ずにいた。真摯な表情を象った仮面の裏に、傲岸不遜な素顔がチラチラと覗いている様な。

「…宜しく、お願いします」

後半はもごもごと、頭を下げつつ安藤は言った。


 夜中。未だ寝静まるには早い時間帯の住宅街を、後嶋は一人、歩いていた。それはいつもと異なる道。約一ヶ月ぶりに辿る道だった。ほぼ定期的に、彼はある場所へと足を運んでいた。それが、間もなく見えてきた。

 築三十年程、二階建て十室の、どこにでもある様なアパート。日本でアパートといえば、誰もが思い浮かべる様な長方形。狭い門扉を通り、外付けの階段を上がってゆく。奥の、突き当たりの部屋の前に立った。ドアを数度、独自のリズムを刻み打つ。一、二分の間ののち、ドアが解錠される音がした。ドアノブを引くと、明りもない玄関へと後嶋は足を踏み入れた。

「ご苦労な事だ」

後嶋の視界の中で、ネルシャツにデニム姿の老人が言った。どこにも明りは点いていない。しかし後嶋には、真っ白になりかけの頭髪や顎髭までよく見える。

「…そうだな」

冷めた口調で、後嶋は答えた。

「呑んで来たか?」

「ああ…いつものところで」

一時間ほど前まで、彼は馴染みのバーにいたのだった。もう既に酔いは醒めていたが、頬は上気し息も酒臭さが残っているだろう。ここへ来る時には、大抵立ち寄るのだった。

「…そうか」

呟く様に言うと、老人は身を翻した。革靴を脱ぎ、後嶋がそれに続く。

 玄関を上がれば直ぐにダイニング。テーブル上には何もない。奥の引き戸を開ければ、居間があった。驚くほど何もない。安物の箪笥が一つに大きめの姿見が一つ、他に段ボール箱が幾つか積まれているのみ。姿見には布カバーが付いているが、今は後ろに退けられ、鏡面が見えている。老人は電灯を点けた。後嶋は目を瞬かせた。

「どうした?」

なぜ電灯を点けたのか、との問いに。

「…怪しまれない為だ」

来客があって電灯を点けないのは不審だろう、という配慮からだった。そんな事を気にする住人などないだろうに、と後嶋は思ったが。

「なるほど、確かに。そういう事を、忘れがちになる」

賛同しつつ姿見へ目をやる。鏡面には、書棚が映っていた。もちろん書棚など、室内には存在しない。

「…籠っていたのか?」

「相も変わらん」

老人は両手の指を会わせたり離したり、といった、余り見掛けない仕草をしていた。それが、自分が心を開いている、といった意味のジェスチャーである事を後嶋は理解していた。鞄を置くとコートを脱ぎ、その上に重ねたのだった。

「何か、進展があれば良いんだが」

「…すまないが…」

言って、老人は左手の指を額に当てた。遺憾の意を表したのだった。

「そうか…では、彼女に会おう」

「…変わらんぞ?」

老人は、右側のドアの前へ移動した。立ち止まり、ドアに右手を翳しつつ低く何事か呟き始めた。後嶋の視界の中で老人の右手が光り出したと見るや、光は霧散し仄かに青白く光っていたドアに吸い込まれてゆく。と、ドアの青白い光が消えた。老人は右手でドアノブに手を掛けると、軽く捻り引いた。先にドアの向こうへ姿を消す。神妙な面持ちで後嶋も続く。

 そこは寝室だった。窓には遮光カーテンが引かれ真っ暗だったが、老人は点灯しなかった。それでも二人には、室内がよく見渡せた。彼らにとっては、むしろ眩い程だった。そこもガランとした部屋だった。六畳程の広さの中に収容されているのは、一つのセミダブルベッドとサイドボードのみ。室内を満たす光は、魔法陣のものだった。その光源は、部屋の四隅を含む八ヶ所の鴨居と、中央に据えられたベッド上に横たわるバスローブ姿の女性の、その胸の辺りだった。よく見れば、魔法陣は蛍光灯のちらつきの様に一定の間隔で明滅していた。後嶋はフラフラと、ベッドへ近付いていった。

 女性は長身に分類出来るだろう。スラリとした手足を、ベッドの上に投げ出している。瞑目しており、目鼻立ちはなぜか洲堂によく似ていた。後嶋は悲しげに見下ろした。

由加莉ゆかり…」

長い黒髪を撫でる。胸元まで伸びるその毛先の間に、奇妙な物があった。幾何学模様の細かいレリーフが施された木製の柄。短剣のものだろうそれが、バスローブの合わせ目から覗いていたのだった。一見すれば心臓に短剣を突き立てられた刺殺体かと思えるが、静かな寝息が聴こえる。もっとも、それを耳にするまでもなく、彼はその生存を知っていたが。

「…調子は?」

そっと頬に触れながら、傍らの老人に訊ねた。温もりを確かめる様に、顔を撫でる。

「変わらん。好調、という事じゃろう」

老人の両手が伸び、バスローブの胸元を大きくはだけた。短剣の根本が姿を現す、が、そこに刺し傷らしきものはない。まるで体の一部が短剣の形状となって突き出しているかの様だった。だがその異様な光景すらも翳む異常が、彼女の肉体には起こっていたのだった。どす黒い葉脈状の痣が、短剣の根本を中心に、四方八方に伸びているのだ。その先端は、双丘の頂付近や鎖骨当たりまで伸び、細かく脈動を繰り返している。それが彼女を浸食し、生島いくしま 由加莉ゆかりという存在自体を奪い去ろうとしている事を、二人は熟知していた。その阻止のため、彼はここに定期的に足を運んでいるのだった。

「密、すまないが」

「…」

老人の気遣わしげな声に振り返る事もなく、後嶋は短剣に右手を伸ばし、柄を握った。数度、独特なリズムで呼吸を調えると、改めて柄を握り直した。すっ、と瞑目し、集中に入る。その数秒後。

 老人の視界の中で、劇的な変化が起きた。切れかけた蛍光灯の様だった短剣の魔法陣が、爆発的な光を放った。それは一瞬、部屋中に広がり、その光を受けて部屋中の魔法陣も安定感を取り戻す。女性へと視線を戻せば、件の葉脈は見る間に縮んでいった。双丘の間に納まる程までに縮小する。後嶋はそっと、柄から右手を離した。

「すまんな、密。儂の魔力では、毎日注入してもこの程度を維持出来ん」

後嶋は小さく溜息をついた。

「…貴方達が構築したシステムなのにな」

「うむ、残念じゃがな。その為に、”闘士”が必要となった訳じゃが」

無念の滲む声で答える老人。

「…相棒に食事を。注射器を頼む」

「うむ」

老人はサイドボードへと足を向けた。引き出しを開け、空の注射器を取り出すうちに、後嶋は背広のポケットを探った。丸いキャンディ缶を取り出し蓋を開くと三本の指輪のうち、緑の石の指輪を取り上げ右手中指に嵌める。蓋を閉め缶をポケットに戻した。背広を脱ぎベッドの端に掛けると、その横に腰を下ろし右腕を腕捲りする。

「手伝おう」

注射器を右手に、老人は左手で後嶋の右腕の裏側辺りを軽く撫でた。手早く血管のスキャンを終えると、正確に注射針を刺す。ピストンを引き、百㏄ほど採血した。針を抜くと、低く呟きつつ針の跡に左手を翳す。掌が仄かに光り、それが消え左手を離すと、針の跡はものの見事に消えていた。一連の作業を、後嶋は他人事の様に眺めていた。

「さぁ、剣を」

「…」

無言のまま、指輪に左手で触れる。暫し瞑目ののち。

「召喚、剣」

山神の前で行なった様に、後嶋は顔の前で両手剣を出現させて見せた。左手を伸ばすと、老人が注射器を手渡してくる。後嶋は針の先を黒曜石状の球体の上に定めると、少しずつピストンを押し始めた。球体の表面に鮮血の珠が出来る、と見る間に消えてゆく。まるで灼熱の鉄板に水滴を垂らしたかの様に、ただし蒸気を上げる事はなく。彼は、週に一度はこれを行なっていた。この血は、相棒の血肉を作るのだ。そして何より、両者の絆を。たっぷり五分余りを掛けて、注射器を空にした。思わず溜息が漏れる。

「ふぅ…収納、剣」

剣を収め、腕捲りを戻す。

「では、また来月。待っておる」

「ああ、由加莉を、頼む」

背広を着直し、指輪を外すと缶に戻した。ポケットに仕舞うと、もはや振り返る事なく、後嶋は部屋を後にしたのだった。


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