第二章 その三ー二
左手で緑色の指輪に触れた後嶋は、両手を顔の前に持ってゆくと静かに唱えた。
「召喚、剣」
山神の視界の中で、緑色の石を中心に光の魔法陣が発生する。それが中空に霧散すると漆黒の、空間の裂け目を形成した。やがてそこから、大きな剣の柄が姿を現した。後嶋は右手でそれを掴むと、一気に引き抜いた。姿を現したのは、刃渡り一メートルはありそうな両手剣だった。鋒付近が波打った、フランベルジュと呼ばれる剣。柄の付け根に黒曜石状の、ゴルフボール大の石が嵌め込まれている。
「それは…?」
山神は少し呆けた様に問うた。後嶋はニヤリ、笑うと両手剣を水平に構え、黒曜石状の石に左手を翳した。
「召喚、レクレール。制限術式、限定解除」
淡々と唱える。山神の視界の中で、石から何段もの魔法陣が発生する。それは、山神のものより遥かに複雑だった。それらのうち一部が霧散し、中空に空間の裂け目を現出させる。しかし、それは小さめだった。直径二十センチ余り、フェレットか何かでも飛び出してくるかと思われたが、予想外の物が突き出された。長さ七十センチ余り、鋭利な先端を持つ一本の爪。否、角かも知れなかった。フェンリルが反応する。姿勢を低く、威嚇体勢に入る。しかし、腰が引けている様にも見えた。
「私の相棒は、大きすぎるのでね。今はこれでご勘弁を」
爪か角は、ゆらゆらと不規則に動いている。山神は不意に、愉快げな笑い声を上げだした。
「はははっ!これは参りましたわい!なるほど、二重の安全装置ですとな!?」
「ご理解頂けたなら幸いです」
左手で爪か角を押しやる様にすると、空間の裂け目に引っ込んだ。
「召喚解除。制限再設定」
裂け目が消え、山神の視界内で魔法陣が再び出現する。それらは形を変え、消えた。
「収納、剣」
指輪が再び中空に裂け目を開く。そこに両手剣を突っ込むと、裂け目は消えた。
「まぁ、こんなところでしょうか。ご満足頂けましたか?」
「いやいや。望外の栄誉に浴しましたわい」
言いながら、山神も相棒を収容する。裂け目に飛び込む寸前、フェンリルは一瞬後嶋を振り返った。睨んでいる様に、後嶋には思えた。
「…席に、戻りませんか?」
「はははは、確かに!」
上機嫌そうに頷く山神。二人は元の席に腰掛けた。どことなくうち解けた雰囲気が漂う。後嶋には山神の真意が未だ見通せてはいなかった。旧知の仲ならばまだしも、初対面でいきなり相棒を呼び出してみせるとは。下手をすれば恫喝とも取られかねない行為だったろう。あるいは、既に引退した身にとってはペット感覚、という事なのだろうか?もちろん、こちらの相棒を確認する意味があったのだろう…そこまでの思惑は読み切れていたが、後嶋には山神が真剣に反乱に勧誘しよう、という意志を感じ取れなかった。
「お手間を取らせ、申し訳ありませんでしたな。ところで話の続きですが…はて、どこまで話しましたか?」
わざとらしく首を傾げてみせる。からかっているのか、あるいは苛立たせようとしているのだろうか?そうして人間性の観察がしたいのか?などと勘ぐりたくなる。
「…私が反乱に参加するメリットの事だったと思いますが?」
「おお、そうじゃった!とにかく、政府に要求を認めさせ得れば、貴方の会社も利益を得るものと思いますがな、投資対象として」
「あくまで個人的な範疇に留めておくつもりですが」
「一旦事が起これば、我らの存在は衆目に晒される事となりましょう。貴方の事も知られる日が来るやも知れませんな、貴方の会社の社員達にも」
さりげない口調ながら、脅迫とも取れる内容。後嶋は敢えて素っ気ない態度をとった。
「”闘士”という存在が公然のものとなるなら、それはそれで喜ばしい事かも知れませんね。まぁ、正しく理解されるか、はその先の課題でしょうが」
「なるほど…良かれ悪しかれ、今回の一件は社会に少なからず影響を与えるでしょうな。”長老会”なぞ不要となるほど、共存の道を歩めるならば良し。さもなくば」
重々しい口調で言葉を切り、山神が視線をテーブルに落とす。その先を口にするのが憚られる様に。何が言いたかったか、後嶋には推測出来ていた。何より自分が、小隈に対し語った事だった。
「迫害でも受けると?それは対抗しうる実力が伴わないなら、そうでしょうが。私達は、そうではないでしょう?」
「正面切って、は。搦め手で、我らが内部分裂する様な状況に追い込んでくるやも知れませんぞ」
上目遣いに後嶋を見やる。”闘士”間の内部抗争を仕掛けられたら貴方はどうするのか、との無言の問い掛け。
「…基本的に、そういった争い事に関わる気はありませんね。反乱に対するスタンスと相違ありません」
「争い事は、向こうからやって来る事もありましょうに」
「その時は、話し合いますよ。言葉の通じる相手ならば」
「言葉が通じぬ相手ならば?あの相棒と共に、ねじ伏せますかな?」
「さて、どうでしょう?相手が魔獣並ならば、あるいは」
魔獣並の凶暴さを示すなら、再び”闘士”として戦う覚悟を決めねばならない。もはや同じ人間という発想を排除する事も辞さないと。守るべきものがある限り、避けられぬ戦いは回避しないのだ、と。
「儂らとて、この国の国民ですからな。困窮状態に国の救済を求めるのは当然でありましょうな。しかし、一旦騒動となれば、たとえ勝利により救済を手にしたとて、全てが丸く収まる、とはいきますまい。新たなる騒動の火種とならねば良いのですがな」
「…貴方は、反乱に反対なのですか?」
「…儂の意志に関係なく、彼らを止める事は出来ぬのですよ。儂らに強制力がある訳でなし、もしあったとして行使しようものなら、現状に不満を抱く者達は余計に燃え上がりましょう。儂らには、何も出来ぬのですよ」
長く息を吐き、デーブルの上で組み合わせた両手を見詰める。
「…貴方は、もしかしたら、私に反乱の手綱を握って欲しいのですか?」
「さて?その判断はお任せ致しますがな。さて、勧誘は失敗、という事で宜しいですかな?」
「それで結構です」
一つ、大きく頷く。山神も頷き返した。
「左様か。残念ですな。では、これで退散させて頂くとしましょう」
立ち上がり、トレンチコートを手に取る。手早く羽織ると帽子を取り上げ被った。
「ご期待に添えず、残念です」
言いつつ後嶋はダイニングのドアを開いた。
「いやいや、収穫はありましたのでな」
廊下に出、先回りして玄関ドアを開けた後嶋を、今一度振り返る。
「貴方は立派なお方とお見受けした。どうか、我らの命運を見届けて下され」
「…」
後嶋はあくまで無反応を決め込む。何かを仕向けられるのは回避したかった。山神は今一度帽子の鍔を軽く右手で持ち会釈すると、玄関を出て行った。静かにドアを閉める。溜息が一つ、漏れた。
「疲れたな…」
何とも掴み所がなく、意志の読めない人物だった。重くなった様に思える体を引き摺る様に、後嶋はダイニングへ戻っていった。
駐車場に停められた型落ちのベンツ。その運転席には四十代程の、筋肉質な男性が着いていた。左のこめかみが一部、肉が抉られており、毛髪も生えていない。その為か、顔が引き攣れた様になっている。男性はじっと、駐車場入口の方を凝視していた。かれこれ一時間以上も、彼は変わらずそうしていた。その表情が、僅かに変化する。眉間の皺がその陰影を薄くしたのだった。街灯の光の中に、ゆっくりと近付いてくる人影。山神の表情は帽子の陰に隠れ読み取れない。男性は降車すると、直立し最敬礼した。
「待たせたな、井折」
小さく手を挙げると、直った男性は後部座席のドアを開けた。帽子を取り、山神が滑り込む。ドアを開け、素早く運転席に回り込む。
「…如何でしたか?」
シートベルトを締めつつ、男性が訊ねる。
「ふむ。保険にはなる、やも知れんな」
「保険、ですか?」
「…事が成功裏に推移したとして、大山主導ではな。儂には、今一つ信用しきれん」
「何か根拠が?」
「さぁてな…やってくれ」
翳る表情で俯きがちに指示をする。男性は一つ頷き、エンジンを掛けた。ヘッドライトに、ガランとした駐車場内の一部が暗闇に浮かび上がる。ベンツは滑らかに走り出した。
駐車場を出、向こうへと走り去ってゆくベンツの画像を、高感度カメラに内蔵したメディアに納めている人物があった。二十代半ば、パンツスーツ姿の女性が、路上に駐車したセダンの後部座席からそれを行なっている様は、何ともきな臭感じられる。駐車場との距離は、たっぷり二十メートルはあった。
「ナンバープレートは入ってるか?13(いちさん)も押さえてある?」
助手席から、そう声を掛けつつ振り向いたのは、中年の強面の男性だった。声も低くざらついていたが、口調はどこか軽妙さを感じさせた。
「…はい」
モニタで画像を確認しつつ、女性は答えた。
「そう、重畳重畳」
言うと、運転席の男性(女性よりは年上か)の左腕を軽く叩く。軽く頷き、男性はベンツを追う様に発車させた。自分の撮影した写真を最初から確認していた女性は、ある一枚に目を止めた。
「…あの、下山さん。この人、ご存知ですか?」
助手席の男性にカメラのモニタを示す。それは後嶋と山神が、道路を挟み遣り取りしていた場面だった。後嶋を指さすと。
「ん?ああ…確か、資料にあったな…ああ、そうそう、室長が特別にファイリングしていたな。報告時にでも見せて貰うと良い」
「室長が?」
「ああ。まぁ、いずれ”特定失踪者”の一人なんだろうが。表面上は一般人でも、裏では何をしているか判らない人間、ていう事だ」
「その、”特定失踪者”って、そんなに危険なんですか?」
彼女がこの職場に来て半月余り、ある特定の共通項を持つ国民達の情報には散々触れてきたし、今回の様に尾行に参加した事もあった。しかしどの人物もそれ程特殊とは思えなかった。
「今やネット上のサイトにアクセスするだけで、危険思想に染まる連中が世界中にいるご時世だ。不可解な失踪の記録がある連中の中に、テロ工作のため身を隠していた、なんてのがいてもおかしくないだろう?」
「そうかも知れませんが」
「いま追っている13なんぞは、若い頃要人警護の最中に失踪した挙げ句、その後海外で傭兵の様な事をしていたらしいしな。そんな不可解な連中が、数百人単位でこの国に存在するんだ、我々の仕事もそれなりに意味があるのさ」
「不可解、といえば、B班の話、聞きましたか?」
運転席の男性が、会話に参加してきた。
「B班?76(ななろく)達の監視担当か?」
「ええ。最近何かと動きが活発みたいですが。この前も倉庫で何人かが会合したらしいんですが、何時間も姿を現さないんで確認したみたいで」
「え?もしかして、令状も無しに侵入したんですか?」
女性が驚愕の声を上げる。しかし。
「確認、だよ。うちらは警察じゃないんだ、たとえ本来必要な状態でも、誰も気になんかしないさ」
運転席も、助手席も、微苦笑を交しているのみ。女性は唖然とした。
「それで、確認した結果、倉庫内はもぬけの殻だったそうで。自分達に気付かれずに脱出するのは、不可能の筈なんだそうですがね」
「またか?じゃああれだな、きっと魔法でも使ったんだろう」
お決まりのジョークなのだろう、二人が笑い声を上げる。自分達が正解を口にしているなどと、まるで夢想だにせず。
「…」
この雰囲気の中で改めて、女性は自分が大変なところへ来てしまったと後悔していたのだった。




