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第二章 その三ー一

 小隈と会ってから三日余り、後嶋は多忙な日々を過ごしていた。彼の会社が抱えているもののうち、少々問題のあるプロジェクトの開発スケジュール見直しや打ち合わせに、彼はプロジェクト責任者と共に発注元企業を回っていた。彼は挨拶や軽い謝罪の言葉程度で実際の話をするのは責任者同士だったが、彼の視線が気になってか相手側も余り無茶な要求等はしてこなかった。そこに存在するだけで力強い、社員達にとって後嶋とはそんな人物だった。

 夜も九時を回った頃、後嶋はハイム プリマヴェーラに戻って来た。駐車場の前を通過しアーチを潜ろうとした時、駐車場から声を掛けられた。

「後嶋、密さんで、宜しいですかな?」

会議室で大山を説得していた隻眼の老人の声。後嶋が振り返る。黒のトレンチコート姿の老人は、帽子の鍔を右手で軽く摘み頭を下げた。見覚えのない老人を暫し見詰め、後嶋は向き直った。

「初めまして、で宜しいのですかね?」

「ははは、間違いありませんな!」

ニコやかに帽子を取り軽快に近付いてくる老人を見据える。左目を覆うアイパッチには、小隈のイヤリングの様な小粒の石が幾つか、縁を飾る様に配置されていた。それが何を意味するのか判るだろう、と言いたげに、老人は手ぶらで躊躇することなく近付いてくる。やがて後嶋の前に立ち止まる。と、一礼し。

「私めは山神やまがみ 達人たつんどと申しましてな。”長老会”は、ご存知ですかな?」

後嶋の表情が幾分、険しくなる。反乱計画の事で来たのでは、と、警戒心が芽生えたのだった。

「…最近、耳にしましたが」

「それは好都合ですな。私めはその、まぁ世話役の様な事をしております。ちょっと、宜しいですかな?」

アーチの方を右手で示し、言外に部屋へ案内してくれ、と促してくる。なぜここが判ったのか訝しみながらも、反乱について、あるいは探りを入れるのに好機かも知れない、などと思い直す。その成り行き如何で、自分達にも火の粉が降りかかる可能性が考えられた。

「…どうぞ」

言うなり向き直ると、アーチを潜っていった。無言で山神はそれに続いた。

 玄関先で待って貰い上着や鞄を置く。書斎を出ようとして、ふと足を止めた。これまで一切の接触を持たなかった”長老会”関係者の、唐突な訪問。これが反乱計画に絡むものだとすれば、用心するに越した事はないと、思い至ったのだった。鞄を置いた机にとって返し、引き出しからキャンディーの缶を取り上げる。蓋を開くと、中には三本の指輪が入っていた。台座にはそれぞれ緑、黄色、青の、金属質な石が嵌められている。緑と黄色の指輪を取り上げ、右手の中指、薬指に嵌めた。キャンディー缶を元に戻し、書斎を出る。玄関ドアを開くとどうぞ、と山神を招じ入れた。山神はそれとなく右目を周辺に走らせた。清掃は行き届き、廊下に新聞紙や雑誌等が乱雑に積み上がっていたり、といった事もない。来客用だろう、質素なスリッパが上がり框に置かれた。

「これを」

「失礼しますぞ」

スリッパに履き替え、後嶋の後に続く。後嶋がダイニングのドアを開けかけた、と、その時。

「ところで、奥方はご在宅ではないのかな?あるいは、もうご就寝かな?」

その声に応じ、僅かに遅れ振り返った後嶋の表情には、不快感が見て取れた。

「ご存知だと思いましたが?私は独身です」

「独身?はて…同棲という」

「ここには私のみです。貴方が誰の事を仰っているのか存じませんが」

声に苛立ちが混じる。山神は己の重大な勘違いに気付いた。それが恐らく、後嶋にとっての地雷だという事も。

「これは失敬。どうやら聞いていた話と齟齬があった様ですな」

軽く頭を下げる。そんな山神を、疑わしげな目で後嶋は暫く見詰めていた。誰から何を聞いたか問い質したかったが、今はその時ではないだろう、と思い直す。ダイニングに入り、ドアを開けたまま無言で入室を促す。一礼し、山神は入室した。

「どうぞ」

下座の椅子を引き、冷蔵庫へと向かう。山神は帽子をテーブルに置くと、トレンチコートを脱ぎ傍らの椅子の背もたれに掛けた。

「…アイスコーヒーでも?」

「お気遣いは無用。余りお時間は取らせません」

一つ溜息をつくと、冷蔵庫のドアを閉め後嶋は山神の真向かいに着席した。

「それで、訪問の御用向きは?」

冷めた口調で訊ねる。

「ふむ…本題に入る前に。貴方は、”長老会”についてどの程度ご存知かな?」

「さぁ。”闘士”の互助会の様なもの、と聞きましたが」

「まぁ、当らずとも遠からず、と言えますかな?”長老会”と言う名の組織が存在する訳ではありませんでな。儂は引退宣告を受け入れられた、謂わばベテランでしてな。まぁ、大きくはありませんが会社を経営しとります。”長老会”とは、要するに人材派遣会社を中心とした企業連合や裕福なご同輩の会合の俗称、とでも申しましょうか。人材派遣会社には多くの”闘士”が登録され、事情を知る人事担当者のいる企業や、いつ呼ばれようと極力悪影響の出ない仕事等に派遣しとります。仕事に限らず、アパート等の住まい、保証会社や福利厚生、また有志の私財による小額の貨幣交換など、色々と面倒を見とりましてな。儂の会社も、人材派遣会社に目立たぬ程度の出資をしとります」

「…それだけ手厚いサポートを受けていて、未だ不満なのですかね?」

「その口振りからして、反乱の一件はご存知ですか?」

「耳にはしています」

目元に警戒の色を貼り付けつつ後嶋が答える。”長老会”と反乱への参加者達の距離感が判然としない。積極的に推進しようとしているのか、あるいは一定の距離を置いているのか、または反対なのか?そんな後嶋に対する山神の態度は、殆ど変わらない。

「なるほど…情報が漏れておるとは、大山め、先が思いやられますわい」

「誰にも話してはいませんし、話すつもりもありません。やりたいのなら御勝手に、というところでしょうか」

冷めた口調の後嶋を、じっと山神は右目で凝視した。そうすれば相手の心が覗き込める、とでも言いたげに。眉根一つ動かすことなく、後嶋はその視線を受けて立った。暫し沈黙の時が流れた。

「…なるほど。貴方は、近々発生するやも知れぬ非常事態に興味はなし、干渉の意志もない、と?」

「基本的には。ただし」

後嶋は一旦、言葉を切った。その視線が鋭い光を帯びる。

「ただし?」

「私達、即ち私及び私の周辺にある者達の生命や財産、自由等が脅かされる様な状態に陥らない限り、ですが。それは絶対に容認出来ませんね」

「それは、貴方の会社の社員達も含め、といった事ですかな?」

「当然です」

後嶋は眉根一つ動かさない。わざわざ自宅に出向いた以上、会社経営の事も承知であろうとは容易に想像出来た。

「なるほど…つまり、貴方は誰に勧誘されようと、反乱に加担する気はない、という事で、宜しいですかな?」

「はい」

「ふむふむ。これは、とんだ目論見違いでしたな」

言葉の内容の割には、山神はさして残念そうではなかった。この老人が何を考えているのか、後嶋は少し探ってみる気になった。

「…もし、私が反乱に参加するとして、何かメリットがあるのですか?」

改まった調子で訊ねてみる。山神の表情が、僅かに動いた。心情を読み取るには僅かすぎたが、少なくともしめしめ、といった感じとは思われなかった。

「メリット?ふむ。特区については、お聞き及びですかな?」

「はい」

「貴方にも、眠らせている貨幣がおありの事と思うが?」

「それは、まぁ」

「特区の設置が承認され、交換所が稼働すれば、使えない貨幣が円に替えられるのですぞ?現状、”長老会”が世話している”闘士”達にも、制限はありますが交換はしております。これが、それ以外の者にも、かなり緩和された制限下で交換所は開かれましょう。それどころか、貴方の保有量次第で交換レートの設置にも参画可能かも知れませんな」

「なるほど…」

さして興味もなさげに数度頷く。虚勢を張っている様に見えなくもなかった。

「交換所創設時当初の円資金は、主に”長老会”が捻出する事となりましょう。他に交付金なり何なりの名目で、国家予算からも引っ張ってこられる可能性はありますがな」

「全ては、事が思惑通り運んだとして、の話ですが。でしょう?」

「さよう。そこで、こうして儂が参った訳なのですがな。話を信じる限り、貴方が参加して下さるなら、必ずや成功するものと信じておるのですよ」

「…その話を貴方にした人物とは、十年前に呼ばれ今は貴方方の世話になっている誰か、という事でしょうか?」

少し遠い目になる後嶋。当時一緒になった者の顔を思い出そうとするが、小隈を含め数人しか浮かんではこない。その中でも、小隈以外とはもはや連絡を取る術もなかった。SNSでも活用すれば、あるいは発見出来るかも知れないが、そこまでする気にもなれない。それは一種の引け目かも知れなかった。

「さよう。一度、共に戦った事があるとか」

「…私は、三カ所で戦いました。その内の何処か、でしょう。三カ所目のキャンプで先遣隊にいたのなら、殆ど覚えていないのは仕方がありません」

「ほう、なぜ?」

興味津々、といった風で山神が訊ねてくるが、後嶋は浮かない表情を浮かべた。

「…止めておきましょう。つまらない昔話です」

「儂は人の昔話が好物なのですがな」

言いつつ山神は、人懐こい笑顔を浮かべてみせる。後嶋は一つ、溜息をついた。

「…エル・ウン・ベラスク王国は、ご存知ですね?」

「もちろん」

一つ頷く山神。

「なるほど、では、貴方と同じ場所に呼び出されたのかも知れませんね…十年前、エレ・ゴナの教練場で”闘士”となった私は、レ・エレスト、エレ・アゴーニのキャンプを転戦し、魔獣の大規模侵攻との急報を受け、討伐の一段落したところでもあり第三のキャンプ、ロス・コンティーノへと急行しました。我々が駆け付けた時には、そこはもう、酷い有様で。無数の魔獣に、『あれ』が大暴れしていて、まともに戦える”闘士”はごく僅か、あと一度、荒れ狂う『あれ』の攻撃を受ければ、負傷者もろとも全滅していた事でしょう。私は提案しました。私が『あれ』を含む魔獣達を惹き付け、キャンプから引き離すので、その隙に態勢を調え撤退すべき、と」

「一人で、引き受けたと?」

山神は、少々呆れ気味だった。到底正気の沙汰とは思えなかったのだろう。

「あの時は、それがベストだと思いましたし、今でもその考えに変わりはありません。適当に攻撃を仕掛け、私は『あれ』を含む魔獣達の誘導に成功しました。『あれ』の執拗な攻撃を躱しつつ離れるうちに、魔獣達は散り散りになってゆきました。『あれ』の怒気に当てられていただけだったのでしょう。後に残された私と『あれ』は、本格的に戦いを始めました」

ここまで話し、一つ大きく溜息をついた。

「その『あれ』、とは?相棒の事ですかな?」

「はい…貴方は、お持ちなのですか?」

彼ら”闘士”にとって、相棒とは少々特殊な存在だった。それとは生命を分け合うにも等しい様な絆が結ばれているのだ。

「まぁ、貴方にすれば大分見劣りする存在かも知れませんがな」

言いつつアイパッチに右手を翳す。後嶋が驚愕の表情を作った。

「まさか、ここで!?」

俊敏な動作でテーブルを離れ、身構える。ここでいきなり戦闘かと、山神を睨み付けるが。

「そう警戒なさる必要はありませんぞ。サモン、フェンリル」

後嶋の視界の中で、右手の平に魔法陣の光が発生する。それを、山神は掌を下に傍らに持っていった。魔法陣と入れ替わりに、空間に漆黒の穴が開き、何かが飛び出した。

「…紹介しましょうか。儂の相棒、フェンリルを」

席を立ち、ゆっくりとテーブルを回り込んでくる。彼の相棒も、従順に後をついてくる。

「如何ですかな?」

山神の傍らに控えるのは、体長二メートル近い銀狼だった。毛足は長く、発達した下顎の犬歯が前方に突出している。しかし何より特徴的なのは、額から一本、真っ直ぐに生えた角だった。全長五十センチ以上はあるだろう。鋭利な先端が、威嚇する様に後嶋に向けられていた。

「一角のシルバーウルフですか…珍しいですね。血の交換は、大変だったのでは?」

「いやいや、運命的な出会いでしたからな!もう三十年になりますか」

相好を崩し、屈んで相棒を抱き締める。しかしフェンリルはじっと後嶋を見上げていた。耳が立っている。山神が命じれば、いつでも飛び掛かってくるだろうが、どうやらその心配はなさそうだった。

「二度目に呼び出された時、儂の使役していた魔獣がこいつに倒されましてな。死闘のすえ相棒と相成った訳ですが、以後十五年余り、七度の呼び出しを、これと切り抜けたのですよ」

首の下を軽くくすぐるが、フェンリルの後嶋に対する警戒態勢は微塵も揺るがない。

「なるほど…引退するまで、随分とご苦労をされた様で」

「いやいや。ところで…今度は、貴方の相棒をご紹介願えませんかな?」

立ち上がり、後嶋と正対する。フェンリルは体勢を崩さず控えている。後嶋は少々嫌そうな表情をした。

「ここで、でしょうか?私の相棒に関してなら、ご存知の事と思いますが?」

これまでの口振りからして、それは確実だったろう。その上で相棒を呼び出せと言うのかと、山神の意図を計りかねた。それは軽々しく扱ってはいけない存在なのだ。

「無理、ですかな?」

こちらは手の内を晒したのに、とでも言いたげに少々不満げな表情をする。”闘士”間で相棒の紹介をしあう、などという習慣はない筈だった。そもそもそちらが勝手にしたのではないか、という抗弁も可能だったろうが、彼はその言葉を呑み込んだ。ここで敢えて相棒の一部なりと垣間見せ、この老人の反応を窺うのも悪くはないのでは、と思い直したのだった。もし『あれ』を一部なりとも目にすれば、例えば力ずくでこちらを従わせようととでもいう、変な気を起こす様な事はないのではないか?

「良いでしょう。一部で良ければ、お見せしましょう」

言いつつ左手で、緑の指輪に触れたのだった。


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