月見草 -Evening primrose-
「────。──て、■■■。」
暗闇は心地いい。音も光もない世界。まるで、孤独な深海のよう。目を閉じると、瞼の裏側が見える。そこは反転した世界だ。僕だけの世界。狂うほど見つめる黒。大地の裂け目よりも深いところ。そこに墜ちてしまえばもう戻ることはできまい。
暖かな陽射しが差し込んだ。
「起きて、■■■。」
夕日の光の散乱に交じったような髪、空の瞳、少しのそばかす。紅の空を背に籠を持った少女がそこに立っていた。
「おはようございます。木陰のベットの寝心地は如何かしら?」
「とても固いね。これじゃ肩が凝ってしまって大変だ。それと今は夕方だ。」
そう言うと、彼女は溜息を吐きながら村へ歩き出した。彼女は御機嫌斜めのようだ。原因はハッキリとしている。もちろん、僕だ。木陰のあまりの心地良さについ居眠りをしてしまった。まったく、たった3時間居眠りしていただけだ。怒ることはないだろうに。だが、置いてかれた現実に戻ると、とても反省している。今からでも彼女の機嫌を取らなければならない。じゃないと明日トーマスに揶揄されてしまう。兄から貰った壊れた懐中時計をしまうと僕は自分の籠を背負い駆け出した。
どうやら彼女は亀と競走しているらしい。僕は兎なので当然亀なんかに負けない。亀に追いつけば後は、精一杯謝るだけだ。
「すまない。ヘレン!今度ニック・カーターの店でシードルを奢るから。」
「シードルね…。毎度同じなのだからいい加減飽きたわ。オールド・エールなら手を打ってもよろしくて。」
「了解だ、お嬢さん。君があれを飲めるなんて知らなかったよ。君、本当に飲めるのかい?」
「望むところよ。」
彼女と他愛のない話をしながら村への道を歩く。季節は夏を終え、秋を通り過ぎ、やっと冬に到達した。
────何処かの誰かが言った。
「もうすぐ、日が暮れる。」と。
ようやく、月見草が顔を現す。
一面に咲き乱れる姿はさながら月の珊瑚のようだ。
その空間はひとつの完成された世界だった。
漆黒はなく、また光点もない。
そこにはただ、何柱もの上位存在がいるだけだ。
「此度もまた至らなかった。」
「信仰が足りぬのでは?」
────否。
「座標に異変があったのでは?」
────否。
「特異点に問題があったのでは?」
────否。
「では、何が原因か。」
その果てに答えなどなく、幾度の時を越えた。
「なら、この軸に打とう。前よりも深く。」
楔を打ち終えると一柱、また、一柱と玉座につく。
最後の一柱が玉座につくと、頁がめくれる。
楔は打った。
後は観測をするのみだ。
■■■・■■■・■■■は熾天の玉座で独り言つ。