婚約破棄したくてもできない!~婚約者にプロポーズされた場合~
「聖女キャンディス。無事に瘴気の浄化が終わったこと、感謝する。その証にわたしとの婚約を破棄してやろう」
世界を包む瘴気を払った聖女一行が謁見の間でアルフォンス王太子に挨拶をした時にそれは起こった。
アルフォンス王太子の父親である国王も彼のその宣言は寝耳に水で驚いた。
だが、キャンディスが我に返った時には彼女と共に際限なく現れる魔物を倒しながら世界各地を巡った仲間たちがアルフォンス王太子を睨み付けて擁護してくれていた。
「救世をおこなった聖女になんという言い草だ!」
美しい金の髪をしたエルフがいきり立った。種族全体が人間を嫌うエルフだが、聖女という存在だけは神聖視している。そんな聖女への不敬に一番過敏に反応するのも仕方がない。
仲間たちがアルフォンス王太子につかみかかろうとする彼を羽交い絞めにして止める。
エルフの前にまわりこんで押さえている亜麻色の髪の人物が顔だけ振り返ってアルフォンス王太子に言う。
「彼女は命をかけて旅をしたというのに、安全な城にいた奴が何を言っているんです!」
エルフを背後から羽交い絞めにしている体格の良い赤いの髪の男が言う。
「キャンディスはお前との結婚を楽しみにしていたんだぞ!」
黒い髪の少年はキャンディスに近付くと慰めるようにその手に自分の手を重ねて言う。
「キャンディス、こんな奴の言うことなんか気にしなくていいよ」
彼らはキャンディスが聖女として救世の旅に出た時から一緒にいるメンバーだった。中には途中から加わった者もいるが、気持ちの上では全員同じだ。神から聖女に選ばれたキャンディスは婚約者であるアルフォンス王子を残して旅に出るしかなかった。その苦労がやっと報われると思った報告の場でこのようなことが待っていると誰が思っただろうか?
「みなさん、ありがとうございます」
キャンディスは声が震えないように努めながら言った。
聖女に選ばれるまで刃物といえば食事のナイフくらいしか持ったことのないキャンディスだったら、アルフォンス王太子の宣言のショックでこんなに冷静な言葉を口にすることはできなかっただろう。しかし、彼女は瘴気を浄化する為に魔物のあふれ出る地を目指して旅しなければいけなかった。魔物と戦う為に武器を手にし、その手で魔物の命を奪う手助けをした。魔物に襲われて死ぬ人々の命を一つでも助ける為に。
瘴気が消えた今、その魔物の数も激減し、聖女一行が倒していた魔物は伝説級の魔物と呼ばれている。
「キャンディス、母国の王にも浄化完了の報告をしたことだし、俺に着いて来てくれないか?」
赤毛の剣聖が言った。
浄化の旅とは逆の順で国々を巡った今、聖女が旅立ったこの国が瘴気がなくなった報告をする最後の国となった。
そして、キャンディスはこの国で婚約者と結婚するので、旅の仲間たちはこの後、それぞれの故郷に戻る予定だった。だが、彼女が婚約者から婚約破棄を申し出られた今、旅の仲間たちが一人で故郷に戻る必要はなくなった。
「抜け駆けなんてずるいよ、アルジャーノン。キャンディスはボクとずっと一緒にいてくれるよね?」
聖女一行の中で聖女であるキャンディスよりもまだ身長の低い少年が言う。
「この国に居にくいでしょうから、私の国に来てはいかがでしょうか?」
優しげな顔立ちに似合わない大きな弓の使い手である青年が言う。
「これだから人間好きになれない。キャンディス、聖女であるお前なら我らエルフも受け入れる。お前を傷付ける者のいないエルフの里に来たらいい」
サバイバル能力を持つ魔法と弓の優れた使い手であるエルフが言う。
「みなさんのお気持ちは嬉しいのですが――」
旅の仲間たちの誘いに良い返事をしようとしないキャンディスの言葉をアルフォンス王太子が遮った。
「この者たちの提案を断るのか? そんなことをするのは馬鹿だけだ。この者たちはわたしとは違う。わたしは剣も弓も魔法も、旅の知識もなくて旅に出られなかった男だ」
アルフォンス王太子も多少の武芸ならできた。しかし、発生源ほど瘴気が濃く、そんな場所にいる伝説級の魔物と戦えるだけの能力はない。せいぜい、以前からこの国の中に生息する魔物を倒せるくらいだ。
聖女一行には隣国の王子もいるが、彼は剣聖と呼ばれるほどの技量の持ち主で、キャンディスが旅に出る時のメンバーだった。他にも賢者の弟子だった魔法大国の王子やら、矢を使わずに5つ獲物を射る神技を持つ王子、途中からは人間嫌いのエルフすらいて、全員がアルフォンス王太子よりも優れていた。
「そのようなことは口にしないでください、アルフォンス様」
「そなたがこの婚約にしがみつくのはわたしがこの国の王子だからか?」
「違います! アルフォンス様は確かに王子ですが、私はあなたがそうでなくても変わりません!」
「嘘を申すな。この世界の救世主の凱旋をこのように台無しにしたわたしが王位を継ぐことはないぞ。良くて臣籍降下。悪ければ幽閉だ。そなたの好きな王子のままではいられないんだぞ」
聞く耳を持たないアルフォンス王太子だったが、自分がどのような結果を招くかわかった上で婚約破棄を言い出したようだ。
「それでもかまいませんわ。アルフォンス様と結婚できるなら檻越しでもかまいません。私たちが一緒に過ごした日々をなかったことになさるのですか?」
「苦楽を共にした仲間との日々のほうが濃密だっただのではないか?」
「確かに彼らとは生きるか死ぬかの状況で助けあいました。ですが、私は傍にいないあなたのところに戻るのを心の支えにしていたのです。あなたを守る為に私は浄化の旅に耐えていたのです」
「そのようなこと、信じられるか。口だけならなんとでも言える」
婚約者の言葉を信じようとしないアルフォンス王太子に業を煮やして、エルフが進み出る。
「キャンディスは嘘を言ってない。彼女は旅の間、ずっとあんたのことばかり話していた。本当に人間にしておくには惜しい人物だ」
自分と共に行くことがないと知っても、エルフはキャンディスの味方をする。
「パーシー。せっかく、あいつが婚約破棄してくれたっていうのに、なんでキャンディスをあいつとくっつけようとするのさ?!」
少年が腑に落ちないと食ってかかった。彼よりも年長である剣聖と弓使いはエルフが聖女の味方をした理由に思い当たりがあったが、口を噤んでいる。
「それが彼女の幸せだからだ。彼女の幸せは婚約者と共にいることにある。そんな彼女に自分の気持ちを押し付けてはいけない」
「だって、キャンディスは僕のことを好きだと言ってくれたよ。だからキャンディスが僕の国に一緒に帰ってくれる気があるってことでしょ?!」
剣聖が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「それは友人として好きだと言うことだ」
「でも、・・・」
言い募ろうとするセドリックを弓使いの王子エマーソンが止める。
「諦めなさい、セドリック。キャンディスの気持ちが変わらないことには無理です。それにアルフォンス王太子も身勝手な理由でこのようなことを申し出たのではありません」
「どういうこと?」
「アルフォンス王太子が他の女性に心を移したのなら使用人たちがその噂をしていたでしょう。ですが、私たちがこの城に着き、国王との謁見の前に旅の汚れを落としている間、使用人たちの会話をこぼれ聞いた限りでは、アルフォンス王太子は婚約者の無事を祈って毎日神殿に通っていたという話でした。そのようにキャンディスの身を心配していた人物が婚約破棄を口にするということがどういうことか、頭の良いあなたにはわかりませんか?」
「・・・。まさか・・・」
魔法少年は言葉を失った。
「そうです。先ほどの発言でもわかるように、彼は自分がキャンディスにふさわしくないと思って婚約破棄を申し出たのです」
「それは違う。わたしでは駄目なんだ。共に旅に出ることすら許されなかったわたしでは。旅の間に他の男に心変わりしたキャンディスをこの婚約で縛り付けて不幸にするわけにはいかない」
キャンディスがアルフォンス王太子のほうへと足を踏み出す。謁見の間で所定の位置から外れることは非礼だけでなく、要人への害意も問われる行為だ。
警備の兵やその場にいる将軍が動こうとしたのをアルフォンス王太子が手を振って止める。そのおかげでキャンディスはアルフォンス王太子の目の前まで進むことができた。
「私は縛り付けられてなんかおりません。いえ、縛り付けているのは私のほうです」
アルフォンス王太子は顔を歪めた。
「キャンディス・・・。わたしなんかでよいのか? そなたの仲間たちは同じ王子でも、わたしよりもよっぽど頼りになる優秀な者たちだ。彼らの中に心を寄せる相手ができたのではないか?」
「私が心を寄せている相手はあなたです、アルフォンス様。旅の間もあなたは私の心の傍にずっといてくださいました。私はあなたと日々、積み重ねて来た思い出を頼りにしていたのです」
「キャンディス・・・!」
アルフォンス王太子は一歩踏み出してキャンディスの両手を手にとって握る。見つめ合う二人はこの場にいる他の人々のことなど忘れ去ってしまった。
「ただいま戻りました、アルフォンス様。私と結婚してくださいますよね?」
「ああ。そなたがわたしを選んでくれるなら」
「私はアルフォンス様がいいですわ」
アルフォンスの予想通り、婚約者が聖女に選ばれて王太子になった彼は臣籍降下することになった。すべては聖女の夫だったおかげだ。
王位は継げなかったが、アルフォンスとキャンディスの間に生まれた息子は彼に代わって王になった兄の養子となり、救世の聖女の息子として王位を継いだ。
これが婚約者の幸せを願った王子が起こした騒動のすべてである。




