洋燈の魔女
洋燈を持った一人の魔女。
誰もいない雪の中、ただひたすらに歩き続ける。
しんしんと。
静かに降り積もる深雪の中に、ぽつりと金色の灯りが一つ。暗い、暗い雪闇の中でゆらゆらと浮かんでおりました。
その灯りは、棒のついた小さな洋燈。
手にしているのは、真っ黒な服に身を包んだ鼻のとんがった老婆。きっと、誰が見ても口を揃えてこう言うでしょう。
「魔女が来た」と。
けれども、魔女は深い深い雪闇の中を進むだけです。辺りには町も、村も、小屋一つさえありません。果たして彼女は一体どこへ向かっているのやら。
洋燈が揺れます。
ふと、魔女の目の前に一匹のリスがちょろちょろと木を伝って降りてきました。
ご自慢の白い尻尾をふわりと揺らし、愛らしい瞳で魔女を見つめています。
「魔女様、魔女様。貴女は一体どちらへ向かわれるのでしょうか」
リスはどうやら、好奇心旺盛な若者のようです。雪闇の中に響く軽快な声に魔女はひっ、ひっ、と嗄れた声で笑います。
「おお、おお。リスよ。若い若いリスよ。それではひとつ問い返そう。
この先には、何がある?」
魔女の問いに、リスは首を捻ります。
「この先に、でございますか?
それはまた何とも不思議な問いですね。
この先にあるのは祖父の代より伝え聞いたところ、古びた塔があるばかりと聞いております」
リスの問いに魔女は頷きます。
「良い返事だ。
して、若者よ。お主も来るか、来ぬか」
魔女の言葉に、リスはくるりと跳ね飛びました。それはきっと喜びからでしょう。かの若者は、幼い頃より聞いてきた昔話の真実を常々知りたいと望んでいたからです。
それは、美しくも冷たい女王が一人静かに古びた塔に住み続け、未だ来ぬ誰かを待ち望んでいるという昔話でした。
「よろしいのでしょうか!
私なぞの若輩者が、あの先へと進んでも!」
「良い。わしが許す」
リスはひとこと魔女に断りを入れると、その帽子の縁の上に座り乗りました。
雪を踏む音だけが、また暫く続きます。
すると、目の前の雪がぽこりと浮かび上がったかと思えば、真っ白な毛に真っ赤な目の……それはそれは美しい真白のウサギが顔を覗かせました。
「魔女様、魔女様。
ここでお会いしたのも何かの縁。なにか面白いお話をお聞かせ願えませんか?」
「ほう、ほう。
面白い話か…ならば道中で語ってやろう。
そら、娘よ。お主もこの上に乗ると良い」
ウサギはそれを聞くや否や、雪から飛び出して瞬く間にリスの隣へと降り立ちました。
魔女は雪を踏みしめながらぽつり、ぽつりと語り始めます。
それはつい一年も前のこと。いいや、お主らにとっては数年前のことであろう。人と獣の間にある時の流れは大きく異なっておるからな。
お主らも知っておろう。この暗い闇の先、古びた塔がある事を。その塔には季節毎に四人の女王が入れ替わり、立ち替わり訪れては季節を運んでおった。
……ああ、お主らは知らんのか。そう、この国には季節がある。いいや、あったと言う方が正しいのであろうな。
それが一年前、冬の女王が塔に入ってから二ヶ月も経った頃。あと一ヶ月程で冬が終わる頃だったかな?
塔に異常がないか見ていた者が、その異常に気づいてしまったのは。
お主らは両親や祖父母に聞いたことはないか?この国で、最も輝く太陽が消えてしまった昔話を。
……それは真である。
正しくは、それは太陽では無い。灯りだ。
そら。わしの手元の洋燈をようく見てごらん。見えるか?ちろちろと輝くこの黄金の種火が。
これ、これ。触れようとするでは無い。言ったであろう。これは種火だと。それもただの種火では無い。消えてしまった灯りを再び蘇らせるために必要な灯りなのだ。
これが消えてしまえば、今度こそ季節は死に至る。確かに、お主らのように冬でも生きられる者ならばこれが無くても生きていけるであろう。だがな、多くの命は冬の先にある灯りを求めている。この寒い季節が終わる事を、切に願っているのだ。
お主らも一度目にすれば、きっとその暖かさを好きになるだろうさ。ああ、勿論わしも好きだよ。
だがな、忘れてはならんことがひとつある。
この冬という季節が何故あるか知っておるか?……知らんだろう。確かに冬というのは寒いばかりで嫌になるかもしれん。特に今しがた灯りの話をしたばかりでは、冬に良い事など何も無いと思うだろう。
この冬という季節は、寒さ故に眠りを与える役割を担っている。つまるところ、命の休息の意味も持ち合わせているのだ。
お主らも木の樹洞や土の中に潜り眠るであろう。同時にその木や土も眠りについておる。この森の中には葉のついてない木々もあるが、それは皆眠りにつき、そして次の季節を待っている。
次の季節……名を、「春」という。
春がもたらすのはあらゆる生命の恵み。新たな生命の芽吹きを呼び起こす。だが、その生命は蓄えが無ければ到底目を覚ますことはない。
そら、ここまで言えば分かるだろう。春がもたらす生命は、冬が用意する事で産まれてくる。そうして命は巡るということだ。
……そうこうしてる間に、ここまで来たな。
見えるか、あの塔が。
あれが件の女王の塔、呼称を季節巡りの塔という。
さくさくと。
雪を踏む音が、いつの間にか三つに増えていました。リスも、ウサギも、魔女と同じ歩幅で塔へと歩いているのです。
やがて目の前には、きっと大昔であれば荘厳な佇まいを見せていたのであろう古びた塔が天高く聳え立っていました。遠くから見ていた時はあんなに小さく見えたのに、ここまで来るともう塔の頂は雪闇に飲まれてしまって見ることさえ叶いません。
魔女は重苦しく閉ざされた扉にひたりと手を当てると__あろう事か、魔女が触れただけで外側に大きく開き始めました。
二匹は互いに顔を見合わせ、その驚いた表情を魔女の背に送りますが彼女がこちらを振り向くことはありません。挙句には扉の先へ進んでしまいそうになるので彼等もまた大急ぎで魔女の後に続きます。
石造りの冷たい塔の中には、螺旋状の階段が鎮座しておりました。その壁にはぽつりぽつりと灯りが灯っておりますが、しかしながら、その灯りはどれも青く凍えてしまいそうな冷たさです。
長く長く、見果てぬ階上を目指して、一体どれ程の段数を歩いたのでしょう。
ふと、目の前に外の扉とはまた大きく異なる四つの色彩に彩られた扉が現れました。リスも、ウサギも。その美しさに見惚れていれば、魔女は洋燈をかざした途端、なんと見る見るうちに扉の装飾が動き出したではありませんか。
装飾達は壁や天井、そして魔女達の足元を駆け巡ると扉としての姿を消してしまいました。
その先には__そう、その先には見た事もないような不思議な光景が広がっていたのです。
きらきらと輝く氷柱のシャンデリア、部屋中をまるで鏡のような氷面が覆い、中央にぽつりと天蓋のベッドがひとつ。まるで御伽噺の一幕に、二匹は先に進む事を戸惑いました。
ですが、魔女はそんな彼等に穏やかに微笑みます。
「これ、これ。何も恐れる事はない。
お主らには、これからの出来事を後世まで伝える役目があるのだから」
魔女は二匹を伴い、天蓋のベッドの傍へと近寄りました。
ベッドの上には美しい白い娘が一人。穏やかに眠っております。きっとこの方が冬の女王なのでしょう。
「ああ……やはり、やはりか。
すまぬなあ、わしが気付いてやれなくて」
ベッドの上で眠る女王を見て、魔女はぽつぽつとすまぬ、すまぬと繰り返してはさらにその奥へと歩を進めます。
天蓋の裏、そこには大きな大きな洋燈が暗く静かに佇んでおりました。これこそ、魔女が言った太陽の正体。消えてしまった灯りの大元なのだと。
魔女は手元にあった洋燈からゆらゆらと今にも消えてしまいそうな火種を取り出して、塔の洋燈の中へとするりと落とし入れました。
暫くの後。塔の洋燈にぼんやりと灯りがつくと、そこからはゆっくりと輝きが増していきます。
ああ、これで太陽が戻るのだ。リスとウサギは手を取り合い、大喜びで魔女を見て……そうして、絶句するのです。
魔女の身体が、あの火種と同じようにゆらゆら、ゆらゆらと消えかかっているではありませんか。
慌てふためく二匹を、魔女は緩やかに制します。
「慌てるな。恐れるな。
これは逃れようのない現実。そしてわしの運命でもある。そもそも、何故わしのような老婆が此処へ来たと思う?
それは、わしが春の女王に頼まれたからだ。
姉君をどうか救っておくれとな」
微笑んだ魔女の笑顔に、リスとウサギは気づきます。
その微笑みは、あのベッドの上で未だ眠り続ける女王と似た面影を持っているという事に。
「ひとつ、話をしてやろう
わしはあの子達の母方の血縁でな。
春の女王も、冬の女王も。もう二人の女王も皆、わしの孫にあたる者だ
わしもな、遠い昔には冬の女王としてこの塔で過ごしておった。もう随分と懐かしい話だが……」
魔女がゆっくりと話している間にもその身体は薄く儚く透けていきました。まるで、小さな種火が消えてしまうかのごとく。
「……ところで、冬の女王は眠りの他にもうひとつ意味を司っておる。
それはな、死、という意味だ」
死。
それは眠りと同じ意味合いを持ち、しかしながら異なる結果を齎す言葉。
「冬の女王は眠りと共に死を司る。故に、冬の女王は死なない。
死を司る者が死ぬなど、可笑しな話にも程があるだろう?
そのおかげでわしは今の今まで死ぬ事すら許されず、こうして醜い老婆になるまで生きる他無かった。
……だが、それも今終わる」
塔の洋燈は既に眩しい程につよい灯りを放ちます。それを背に受ける魔女は……否、先代の冬の女王はとても、とても綺麗な顔をしていました。
「この種火はわしの命。
洋燈の糧となり、わしは漸く息絶える。
……若者よ、娘よ、泣くではない。わしは一人愚かに生き延びるよりも、これからの命の為の灯火となるのならこれ以上幸せな事はないのだから。
ああ、だが。
どうかこの哀れな老婆の願いを、最後に聞いては貰えないだろうか」
先代の冬の女王の願いは、本当に些細なものでした。
リスとウサギは頷きあい、彼女の願いを聞き入れます。
「大丈夫、我等は必ず約束を果たします」
二匹のその言葉に、彼女は満足気に笑い……
やがて、その姿は光の中へ緩やかに包まれていくのでした。
ゆらゆらと。
塔の洋燈が揺れます。
天蓋のベッドの上で眠る女王の瞼が、僅かに瞬いたかと思えばぼんやりと持ち上がりました。
そうして、青い瞳が最初に捉えたものは。
白い毛の、二匹の獣だったそうな。
それから延々、延々と。
二匹の獣は冬も、春も、夏も秋も。
己の一族を伴って季節巡りの塔に住み着いたのでした。
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冬童話2017投稿作品。
童話らしく、を心掛けました。