八尺様 その参
「ごめんね。急に呼び出しちゃって」
「ううん。気にしないで。でもどうして急に健治君が会ってくれるようになったの?」
「それは、これ」
そう言って彼女はコンビニの袋を軽く持ち上げた。
中にはおにぎりにお弁当、ペットボトルなどが入っている。
「ようするにお腹が減ったって事?」
「うん。もう一週間丸まる何も食べてないらしいの」
「それは、また…」
僕はそこまで言って、言いよどんだ。
本当に閉じこもりっぱなしなのか。何も食べないで。八尺様がどんなに怖いか知らないけど、先生の言うとおりここまでくると異常だ。
健治君のアパートの前に着いた。もうすっかり夜になってしまっている。
夕方に来た時とは違い、この暗闇にこのボロアパートは雰囲気があるっていうか、一種の趣のようなものさえ感じる。
僕たちは二階に上がり、健治君の部屋のインターホンを押す。
その音は静寂にえらくこだました様に聞こえた。
反応がない。
もう一度押す。
すると、
「み、美希か?」
消え入りそうな掠れた男の声がドアの向こうから聞こえた。
「そうだよ。健治。ちゃんと言われたの買ってきたよ」
「合言葉」
「え?」
「あ、合言葉だよ…!」
「…。」
美希ちゃんはドア越しに合言葉を伝える。
自分から呼びつけておいて、合言葉を言わせる。
声を聞けば自分の彼女ってことくらいわかるだろうに。
ぎぎぎと、ゆっくり部屋のドアが開く。
顔面蒼白で、少し頬がこけた様な印象の男が顔を出す。
この男が健治君なんだろうか?
「本当に美希、だよな」
「当たり前じゃない」
美希ちゃんがそういい終わらないうちに健治君が僕を見た。
その目は血走っている。
僕は男の目を見て背筋が少し寒くなった。
「そ、そいつが電話で言っていた?」
「そうだよ」
「取りあえず入ってくれ」
「あ、うん」
「早く!」
健治君は急に声を張り上げ、僕らを半ば強引に部屋の中に引き込む。
中は蛍光灯がいくつか切れているのか、薄暗い。
部屋の中に僕たちが入ると、健治は美希ちゃんからひったくる様にコンビニの袋を
受け取り、一心不乱に中のものを食べ始めた。
地獄の餓鬼のようにコンビニのおにぎりをむさぼり食らう健治の姿を見て、
僕は浅ましさと同時におぞましさも覚えていた。
この様子じゃ、本当に何も食べてないのか?一週間も?
健治のあまりの様相に気をとられていたため気づかなかったが、
部屋中、新聞紙で目張りされていた。
そしてそこかしこに、御札、御札、御札!
何なんだこの部屋は。
僕は圧倒されていた。
これじゃ、これじゃまるで先生が話してくれた八尺様の話そのものじゃないか。
「そっか、夕方にも来てくれてたんだな」
一通り食べ終わった健治君は、美希ちゃんにようやく言葉を返してくれた。
ドアから出てきた時は幽鬼でも出てきたのかと思ったが、
よく見ると服装も若く、茶色に染めた髪で僕と同年代だとわかる。
「そうだよ。ずっと家にいるんでしょ?何で出てくれなかったの?」
「ごめん、八尺様が俺を騙そうとしてるのかと思って」
「その八尺様って何なのよ。ただの怪談話じゃない。そんなになるまで部屋に閉じこもって、バカみたい」
最初は心配そうに話しかけてた美希ちゃんも、だんだん怒りをあらわにしてきた。
「八尺様は、八尺様は怪談話じゃねえよ…!」
健治君は搾り出すように反論した。
「まあまあ」
このままではケンカになりそうだったので僕は二人の間に割ってはいる。
「ああ、確か四塔先生のところの?」
「あ、うん。僕は猿頭寺智。先生に様子を見て来いって言われてきたんだけど、何があったの?ちょっと言いづらいけど、君の怯えようは少し異常だよ。この部屋にしても」
「八尺様を見たんだ。あいつ、俺の前に来て、ぽぽぽって笑いやがった。目をつけられたんだ。とうとう見つかっちまった。」
「見つかった?」
「亮のやつもきっと八尺様を見たんだ、だからいなくなった」
健治君の口調にどんどん怯えが混じり始める。
もう間違いない。
健治君はネットで八尺様の話を知っているなんてもんじゃない。
もっと、深くかかわっている。八尺様に。
「もっと詳しく話してくれる?君は八尺様となにか…」
ぽぽっ。
「え?」
ぽ、ぽぽぽぽっぽぽぽっぽっ。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃい!」
健治が素っ頓狂な声で怯え始めた。
この音は、いやこの声は、まさか。
いや僕にも聞こえる。
低い男の声のように聞こえるが、この声がまさか。
「八尺、様?」
僕は立ち上がり、辺りを見回す。
そこには闇しかなかった。
誰もいない、ナニもいない。
それでも不気味な声がこの部屋を満たしていく。
「健治、どうしたの健治?猿頭寺君も急に立ち上がって、どうしたの?」
「え?美希ちゃん、聞こえないの?」
「何が?何も聞こえないよ?」
どうやら美希ちゃんには聞こえないらしい。
僕にはこんなにもはっきり聞こえるというのに、きっと健治君にも聞こえてる。
―コンコン
その音に三人ともいっせいに、新聞紙に目張りされている窓のほうを向く。
「何?」
その音は美希ちゃんにも聞こえたらしい。
―コンコン
小石を投げつけられてるんじゃない。本当に人がノックしてるような。
そんな、ここは二階だよ。そんなはずは。
そうは思っても、もう僕には背の高い女が、八尺様がその長い手を伸ばして
窓を叩いている光景しか想像できない。
―コンコン
「うわあああああっ!俺が悪かったぁぁあ!」
健治が絶叫する。
もうなりふり構わず頭を抱えて怯えている。
美希ちゃんが心配そうになだめるが、その声はまるで耳に入っていないようだ。
「俺が、俺たちが、お地蔵様を壊しちまったから!」
俺たちがお地蔵様を壊した?
健治の怯えようも異常だが僕も内心すごく怖かった。
それでも聞き流すことが出来ない言葉を健治君は口にした。
どういう意味だ。
不意にぽぽぽという声がやむ。
窓を叩く音ももう聞こえない。
しかし、健治君はずっとがたがたと震えていた。
もう二十歳を超えた大の男が子供のように怯えている。
けど、僕は聞かなければならない。
さっきの言葉の意味を。
夜の闇は静けさを取り戻した。
何時だってそうだ。
怪異が去ったあとの闇はいつも静かだ。
なぜならそれは更なる怪異の前の静けさだから。




