第七十九話 業前
その白い柔らかきものが雄であると決まったわけではない。だがジェノベーゼはそうなのだと、こころで認めていた。
岩場から飛び出した。触手には、二本持ちの短い槍を握っている。
触手の一本を背に回した。そこには槍よりもさらに短い銛を二本、海藻で結わえている。
一本を抜き、タラバ族に放った。
ジェノベーゼは驚いた。そのタラバ族は片側の脚を地より浮かせ、身体を半回転させてかわしたのだ。
タラバ族は、攻撃をかわすことなど、ほとんどしない。彼らはマ族の攻撃を、受け止める。なぜなら、それだけの堅い甲殻を持っているからだ。守るのは殻の隙間や目、目と目の間といった弱点だけだ。
だがこのタラバ族は、そうしなかった。
タラバ族は貧弱なマ族の攻撃に憤ることもなく、その場にとどまっている。これもまた、常のタラバ族の行動とは違う。
槍を握り、突き込んだ。
ジェノベーゼは目を見張る。穂先が、掴まれている。タラバ族のはさみの先だ。
速さで、マ族と拮抗するというのか。この殻持つものは。
はさみが振り回される。咄嗟に槍を離した。
地に叩きつけられる前に、己から距離を取った。
残り一本の銛を触手に取る。だが、勝てる気はまったくしなかった。
肉体の強さや力だけではない。鍛え上げた技ですら、負けている。
殻持つものども相手にそのような思いを抱くのは、これが初めてだった。
短い投げ銛一本で、どう倒すのか。いや、倒すのではない。あのケンサキ族の若者が、逃げる時間を稼げればいい。
あのケンサキ族は若者だと、ジェノベーゼはもう、決めつけていた。
ケンサキ族はどうしたか。少しだけ注意を向けてみると。
ジェノベーゼのすぐそばに、彼はいた。
「なっ」
驚いて、己の触手で彼の触手を掴む。思った通りのすべすべした、柔らかな触手だった。
そのまま彼を抱えて、後方に跳ぶ。銛を構えて、背に白皙の美雄を庇った。
どうするか。そう考えて、気付いた。
タラバ族が、攻撃を仕掛けて来ない。それどころか、はさみで背をかいて、困ったようなそぶりを見せている。
何か思っていたのと違うような。そのような予感が、ジェノベーゼにはしてきた。
「落ちついてください、お姉さん」
その声は、背の方からした。思った通りの、繊細な若い雄の声色だった。




