第六十二話 概念
真っ先に伸び上がったのは、やはり隣に座るアヒージョだった。
「この短か手め! いきなり何を言い出すのだ!」
短か手、というのはマ族やミズ族がメン族を貶めるときによく用いる言葉で、満足な触手すら持たぬ者、という意味だ。今までに何度もその言葉をぶつけられているカルパッチョには、すでに嫌味ですらない。
マリネは、集落の雌たち、特にアヒージョのような戦士たちからは、絶大な信頼を得ている。これを切り出せば、そういったものたちからの反発があるかもしれないことは、予想していた。
だからアヒージョの激昂にも、彼女はこころのうちに、波紋一つ浮かべない。槍を持っていたなら問答無用でひと突きにされていたかもしれない。だが、今彼女の手に槍はない。
カルパッチョはアヒージョに一瞥すら与えず、ワモン族の族長と若長を見返していた。
「このことは、マ族の長老にも内諾をいただいています。互いが信頼を結ぶために、これ以上のことはないでしょう」
婚姻、という概念が柔らかきものどもの中に入ってきたのは、ごく近い巡りのことだ。正しくいうならば、マ族とミズ族が共同で集落を営もうとした際にはじめてできあがったものである。
マ族もミズ族も、雄と雌がつがいになれば、ひとつの壺をつくり、それを最小の単位とした共同体となる。だがその際に、婚姻といった形の、そのつがいを周囲に向けて認めさせるための儀式や行為をすることはない。それらは自然のうちに、知られ、浸透し、水と混じり合い、集落のうちに溶け合って、いつしかそうだ、と誰からも認識されるようになるのだ。
さらにいうなら、それが認識されずともよかった。産卵場となっている岩陰に、つがいの知れぬ雌がやってきて、子らを産む。それはそれだけで、別によいことなのだった。
それらも生まれてしばらくしたのちには混ざり合い、多くのものが死にゆき、僅かな数の幼生どもだけが、生き残り、そして集落に迎えられてゆくのだ。
この水に囲まれたものどもの生き方というのは、そういうものなのだ。
巡りを経て、マ族もミズ族も、大いなる知恵を身につけていった。だがそれは変わらぬ、ここに生きるものとしての必然的な営みであった。
だが、マ族とミズ族が吸盤を結ぼうとするとき。そのときだけは、確かにその証が必要であった。
そのとき。互いの信頼と融和をあらわすため準備された、マ族とミズ族のつがいを。その結びつきを多くのものに知らしめる、婚姻という概念が必要となったのだった。
婚姻の儀には、ワモン族の代表も参加していた。つまりあのとき、その概念はワモン族にももたらされたはずだ。
それを利用しようと、カルパッチョは思っていた。




