第五十三話 後退
マ族の戦士たちは集落に戻って来た。皆疲れきっている。最小限の守りだけを残して、全員を休ませることにした。
結果はすでに族民たちに伝えている。喜ぶものは少ない。だが、いくらかの安堵は与えられたようだった。
アマズガケの死を知った多くの若い雌たちが、泣いていた。だがこれは多分に、アマズガケ自身の罪であるともいえただろう。
北の岩壁を放棄し、集落の北門を防衛線とすることにした。出入り口はなだらかな上り坂につくっている。ここで幾ぶんか、敵軍勢の速度を弱められるはずだった。
集落を囲っている岩壁は低い。クルマ族はどうかわからぬが、クロトラ族は容易く泳ぎ越えるだろう。だが地に脚をつけぬ水中での戦いなら、マ族に分があるともいえた。
マ族を含め柔らかきものどもは、本来泳ぎながらの狩りに強い。奇襲と死角からの一撃こそが、柔らかきものどもの持ち味だ。敵が迂闊に腹を晒すとも思えぬが、そうなれば戦士たちの槍や銛は過たずそれを穿つだろう。
アカシは長老のもとへ赴いた。戦勝の報告と、被害の報告、そして思案の末、北壁の守りを放棄することを伝えた。
「仕方あるまいな」
苦々しく、長老は呟いた。厳しい戦になるのはわかっていた。勝てる見込みが薄いのもわかっている。だがそれでも者どもは、生きている間は次のことを考え、考えて、考え抜かねばならないのだ。
「食糧の備蓄の方は、どうですか」
気になっていることを聞いた。
「先ほど確かめさせたが、二うねり、いや、三うねりほどならば狩りに出ずとも持つだろう。安全な南や東で狩りをさせているが、集まる量は芳しくはないな」
こればかりは解決策はない、というのが長老とアカシの判断だった。
「敵を引き込むのは、そのためでもあります。集落の近くなら、狩った獲物のいくつかは、こちらの触手に入れられる」
「そう上手くいくかな」
「だが、それしかありません」
長老は頷き、戦のことは任せる、と告げた。アカシは右端と左端の触手を目の前で合わせた。
壺を辞去すると、タツタアゲという名の小頭が寄って来た。アマズガケの空いた壺を埋めるため、昇格させた戦士だ。胴に小さな斑を持ち、両端の大きく膨らんだ奇妙な棒を遣う。アマズガケとは対照的に無口だが、決められたことを淡々とこなす、今回の戦にはふさわしい資質を持った戦士だった。
「舞の準備ができました」
アカシは小さく頷くと、タツタアゲと共に広場に向かった。死んだ戦士たちに、舞いを捧げるのだ。




