第二十九話 命名呼称
化け物の死骸が運び込まれた。
マ族の誰よりも大きい、その細長い姿を見て、族民たちはどよめいている。雌子たちはそのはさみの鋭さに慄き、戦士たちはその甲殻の堅さを触って確かめていた。
多くの族民が入れ替わり立ち替わり、その姿を見ようとやってきた。そのうちの一頭が、聞き逃せない一言を吐いた。
「こりゃあもしかすると、クロトラ族じゃないかねえ」
言ったのは、死骸を確かめにやってきたミズ族の老頭だった。いつ砂に還ってもおかしくない、やせて筋張った年寄りだ。
アカシや長老、その場にいたすべての者で問い詰める格好になった。
その老頭が言うには、マ族には伝わらず、ミズ族にだけ伝わっていた舞の中に、そのような名の種族が出てくるものがあるのだという。
マ族が南へ逃げてくる前の時代を舞ったものだ。一頭のタラバ族と、クロトラ族と呼ばれる殻持ちが、一頭のミズ族を捕まえた。殻持ち二頭はどちらがそのミズ族を食べるかで駆け引きをしていたが、捕まったミズ族はその話し合いに混ざり、互いを上手く怒らせて、喧嘩に発展させ、己はまんまと逃げだす、という話だ。本当にそのようなことがあったかどうかは怪しい伝承であったが、幼生向けの教訓話として、その昔は伝わっていたのだという。
皆の前で、老頭はその舞を一さし舞ってみせた。それは器用なミズ族とは思えないほど下手くそなものであったが、それでも大まかなところは、見るものたちに伝わったようではあった。
「まあ、よかろう」
微妙な表情を浮かべつつ、続けて別の話を舞おうとしていた老頭を、長老は慌てて止めた。そのままぽっくり逝かれても困るし、何より誰も見たくなかったからだ。
とりあえず、小型の化け物はクロトラ族、大型のものは大クロトラ、と呼称されることになった。敵の姿がまた一つ鮮明になったことは、いいことだった。
狙ったことではないが、老頭の下手な舞で、集落には久々の、和んだ水が流れていた。
化け物ではなく、これも一つの種族なのだ。そんな思いが、族民たちに浸透していくのが感じられる。厳しい状況の何が変わるわけではないが、相対する際の心持ちは変わるだろう。そうアカシは思った。
これはこれでよい。だが。
アカシは触手の一本を握り込む。果たさねばならぬ使命がもう一つ、残っていた。




