第百四十話 環の理
「ここは任せる」
それだけを告げて、フナモリがずるずると退がってゆく。アカシの前に、マ族の守りをたった一頭で崩壊させた巨体だけが残った。
「お前が被っているその殻。あいつらのものだな」
後ろのクロトラ族を示しつつ問う。アカシも静かにそうだ、とだけ返した。
「それだけ聞けりゃあ、充分だ」
パエリアが両のはさみを地に叩きつけた。砂煙が高く広く上がる。
それに紛れるように、クロトラ族たちが四方に散る。だがアカシは、真正面から目を逸らさなかった。
砂煙を割り裂いて。猛り狂う巨体が姿を現す。
はさみが突き出される。身体を捩じるようにして避け、渦を巻きながら、前進する。巻き上げられた砂でつくられた渦はアカシの肉体を隠し、パエリアまでの道をつくる。
アカシたちがここに留まったのは、族民たちを逃がすためだ。だが。
パエリア。この個体だけは、仕留めねばならぬ。
そのような思いに、アカシは捉われていた。この個体はどこまでも、執念深く追ってくる。そのような気がしたのだ。
食うために仕留める。群れが食ってゆけぬから、棲みゆく地を広げる。
そのような理とは外れたところで生きている。そのように、アカシには感じられるのだ。
環の理から外れること。それが、どのようなうねりと巡りを越えてきた先にあるのかはわからぬ。そしてそれは、アカシが僅かながらに希求したことでもある。
弱きものが一方的に喰わゆく巡り。そのようなところから抜け出せれば。いや、抜け出したい。
しかしながら、それは生きるための希求だ。生き残るための望みだ。ならばそれは、アカシがいまだ、環の中に生きているからこそ夢想したものであるともいえるだろう。
パエリアのそれは、アカシとは違う。
あのオマール族の雌は、すでの環のうちにては生きてはいない。
己が食い、生きるため以外の理であっても、狙った獲物を追い詰め、狩るということ。そういうものどもがもしも増えれば、いったいどのような環が訪れるのか。そんなことは、アカシでも少し考えてみればわかる。
ならば。そのはじまりの一頭と相見えているこのときであるからこそ。
ここで討ち果たす。そう、決めていた。
力の差はあまりにも大きい。アカシに勝つための策など何もない。パエリアと相対するというのは、喰い殺されるということと同義だ。
それでも。
マリネ。カルパッチョ。
ツクダニ。タツタアゲ。ゴマミソアエ。オドリグイ、ナムル。アヒージョにジェノベーゼ。それからケンサキ族のシオカラに、タラバ族のゾウスイ。
それらと環そのものを背負って。アカシは跳ぶ。




