第百十二話 脱殻
カニカマが身体を半身に傾け、刀を水平に構える。はじめてはさみにしたとは、思えないほど壺に入っている。おそらく、ゾウスイがそれを扱う様を、しっかりと見極めていたのだろう。
突き出された口腔を、刀の峰で受けた。
カニカマの身体が浮く。それを利用して、そのまま脚を動かし、アカシのもとまで泳ぎ戻って来た。
「退くのだ、カニカマ」
脚に触手を巻きつけ、引っ張る。だが、カニカマは微動だにしない。
「む」
アカシは両目を寄せた。以前は容易く突き転がされていたはずのカニカマが、今やどっしりと構えている。しかもこの、僅かな戦いの間にだ。
カニカマは固められた壺の如くに動かず、刀を構えている。その飛び出した二つの眼は、まっすぐにパエリアを射抜いている。纏う水の揺らぎが、それまでとは変わっている。
まるでシメノ=ゾウスイがひと回り小さくなってそこにいるような。そのような像を、その瞬、アカシに見せた。
そうか。今このうねりにも、この若者は、育っているのか。
ひとつの狩りが、戦が、戦士を大きく変える、ということはよくあることだ。カニカマは今、身体でなくこころの殻をひとつ、脱ぎ捨てようとしている。そのように、アカシには感じられた。
この若者を生かしてやりたい。突然アカシのこころに湧いた思いは、それだった。
なぜかはわからぬ。だが今、変わりゆくこの頑迷なるタラバ族を、何とか生かしてやりたい。その先を、見てやりたい。そう、思ってしまったのだ。
迷ったのは僅かの間。アカシは、己のこころに従うことにした。
「修練を積め、カニカマ」
諭すように、アカシは語りかける。
「修練を積め、カニカマ。お前は、いまだ未熟だ。まだ幾度か、殻を脱ぎ捨てねば、戦士にはなれぬ。ここで戦ってはならぬのだ」
刀の先が、ぴく、と動いた。
「この先のうねり。もしかしたらお前は、ゾウスイ殿以上の戦士になるやもしれぬ。そうでないやもしれぬ。それはわからぬことだ。だが」
水を吐き出し、言った。
「お前があの化け物を打ち倒す。そんな巡りが、もしかしたら、あるのやもしれぬ」
カニカマの構える刀の先が下がってゆく。脚に込められていた力が、抜けていった。
「退くぞ」
触手を離し、それだけ告げた。今度はついてくるだろう。その確信があった。
だが。その泡の切れた少しの隙を、パエリアは逃さない。
凶悪なはさみで地を押し潰すように、パエリアが襲いかかってきた。




