自分の正体
━━━いつも、何かが足りないと言う焦燥感、
ただそれだけが僕の心を満たしていた。
遠い過去に忘れて来たものを、もう取り戻せないそれを
ずっと憧れて焦がれ続けたまま、ここまで来てしまった。
それはまるで深い海の底に沈められたアンカーのように、
僕の心を自由に海原へと解き放ってはくれない。
きっと誰もがそんな思いを抱えたまま生きている。
そして、その正体がわかってしまった時僕達は
自分の正体を知る事になる。━━━
「ふぅ、今日も残業が終わった・・・。
まだ休みまであと3日、それまで心を消して働くか。」
僕は35歳の営業マン「中空 真一」。
地方の中心都市で働き、2DKのマンションで一人暮らししている。
生活には特に不満も無いが、これと言って取り立てる事も無い。
週末に友人と飲んだり、カラオケや釣り等をして遊び、
週が明ければまた会社へ働きに出る。ただその繰り返しだ。
彼女のような関係の人がいるにはいるのだが、
互いの休みが中々合わない事と、結婚を急ぐような関係でも無く
なぁなぁになってしまっている。
今週末は友人と、タイミングが合えば新しく出来たバーにでも行こうか。
そんな事を考えながら今日もルーティンを終えるとベッドに就く。
僕の部屋は203号室。
ベッドから見える窓越しの景色には道路向かいのマンションが見える。
その景色の中には木や空等の自然物は一切無い。
これをずっと眺めていると少し寂しい気持ちになってしまう。
最近よく、それが何故なのかを考えてみた。
昔、小学生やそれ以前の頃、僕は自然の中で育った。
同県の地方都市だったのだが、別に今住んでいる所と比べて
それほど田舎というわけでは無い。
ただ当時は、どこも今ほどには市街化が進んでおらず、
まだ自然の入り込む余地があったように感じる。
ふと、星空が見たくなりエレベーターに乗り込む。
僕の住むマンションは9階建てなのだが、
最上階の非常階段から街の景色と空が眺められる。
夜中に考え事をして息苦しくなった時、よくここに来るのだ。
真夜中、街は呼吸を止めている。
もちろん、灯りはそこかしこで灯っているし、24時間店舗や、
ともすれば深夜に勤務しているのか電気の点いたオフィスもある。
それでも、街全体は眠っていると言って良い静けさだ。
遠くのバイクの音や、道路の段差で音を立てるトラック、
貨物列車の音が僅かに夜の街のBGMとなっている。
出張に行った時、田舎の夜は案外うるさかったりするものだが、
地方都市の夜は人が意図的に営みを止めてしまえば完全に音が
遮断されてしまうような、そんな気さえする程静かだ。
しばらく、5分くらいだろうか、ただボーっと景色を眺めていると
不意にエレベーターが上がって来る音がする。
ヤバい、こんな所で景色を見ている所なんて見られてしまったら、
不審者だと思われ兼ねない。
僕は静かに非常階段を一階ずつ下へと降りて行く。
段々と下界へ近づいても、音は変わらず静かだった。
夜と言う匿名性と、そこで目的も無くただ動いているイレギュラーな自分、
この少し特殊なコントラストが更に目的をボカしている。
一体僕は、何の為に真夜中の街の景色なんて見たのか。
それで癒されたり、気持ちが落ち着いたような実感も無い。
ただ、何かに突き動かされたように衝動で登ってしまった。
それを見た所で、何の救いにもならないという事は知っていたのに。
僕は自分の部屋に戻り、布団を被った。
明日の仕事に差し支えるといけないので、あまり夜更かしはしたくない。
ただ、漠然とした不安が頭から離れず、寂しくなった。
本当なら深夜にわざわざ開きたくないスマホのSNS。
僕はそれを開き、彼女にメッセージを送る。
「起きてる?」
しかし5分ほど経っても返事は無かった。
当然だろう、良い子は寝ている時間だ。
正体のわからない感覚を抱えたままでも、いつしか僕は眠りに就いていた。
翌朝。
少し眠いながらも起きられない程では無く、無理矢理に起き出す。
朝のルーティンをこなし、会社へと向かう。
「まだ、あと2日あるのか・・。
いやそもそも、今日の仕事だってまだ始まってもいないんだよな。」
少し憂鬱な気持ちのまま出勤し、朝の電車に乗り込む。
当然、楽しそうにしている人などほとんどいない。
考えてもみれば電車通勤というのは便利な公共交通のようでいて、
一度乗り込んでしまえばあとは主体性を持たずとも半自動のまま、
半強制的に会社の最寄り駅まで送り込まれる冷酷な乗り物だ。
この”半”というのがまた厄介で、
そこに全く自分の意思が介さないわけでは無い。
ちゃんと降車駅で降り損なう事の無いように気を張らなければならないし、
降りてから会社に向かうまでは自らの足で、だ。
それは雨や風、雪、もしかすると停電の時であっても、
勇敢な戦士のフリをしながら元気に朝の挨拶をして業務へと向かう。
僕はふと、このルーティンに何の意味があるのか、と思った。
生きる為には働かなければならない。
それは誰だってそうで、その為に嫌な仕事を我慢している。
そしてその仕事は社会を回してもいるのだが、じゃあ無くなればどうか。
その答えは案外簡単で、「他の誰かが代わりを務める」ただそれだけだ。
社会は、世界は、誰かの仕事で出来ているが、
その仕事が無くても究極の意味では人は死なない。
なのに、これだけ多くの人達が心を殺して生きている。
誰のために?
僕は、会社まであと3分という所で足を止めた。
今日はズル休みしてしまおうか。
そんな考えが頭をよぎった。
しかし、考える事と実際に行う事との間には大きな差がある。
始業まであと15分。
休むのであれば、その連絡はせめて10分前までには、
いやそもそも電車に乗ってここまで来ているであろう事を考えて
もう今すぐにでも連絡するべきだ。
悩む暇すら無い事を理解した僕はすぐにスマホを取り出し、
会社へ連絡をした。
「おはようございます。
すみません、今朝から体調不調でして、電車に乗ってみたは良いのですが
2駅前でやはり調子が悪く、このまま自宅に戻り、
本日は静養させて頂きます。本日は急ぎの仕事はありませんので。
すみません、それでは。」
やや無理矢理ではあったが、体調不良を押してでも来い、
とは言えないだろう。
これで僕はこの一日を自由に使える権利を得た。
しかし、特に何のプランがあるわけでも無い。
さて、どうしたものか。
少なくともこのままこの駅周辺にいれば気が休まらず、なおかつ
昼休憩時間に会社の人と顔を合わせるとマズい。
まずは駅に戻り、どちら側かへ目的地を定めて、移動しよう。
駅に着いた僕は、どちら側へ行くかを考えた。
このまま会社よりも遠い駅を目的地にすれば、
帰りの時間次第では会社の人達にバッタリ会い兼ねない。
と言う事は、一旦僕の住んでいる最寄り駅を通り越して、
反対側の駅を目的地にする他無い。
そうだ、僕の最寄駅から一時間ほど行った所に、
今の季節は開いていないが夏になると海の家等が軒を連ねる
少し広めの海水浴場がある。
あそこに行って人が少ない海辺に座り、波でも眺めよう。
ショッピングやカラオケ等のレジャーよりも、
そうした癒しや自然との時間を作る事の方が今は大切に思えて、
僕は目的地までの切符を購入して電車に乗り込んだ。
まだこれから出勤時間であろう人達や、朝一番から客先へと向かう人達、
出勤のピーク時間を超えても、まだ車内は『会社文化』の匂いが色濃い。
それでも、そんな中で一人自由な一日を満喫する事に、
何故だか罪悪感が首をもたげる。
別に悪い事をしているわけじゃないのに。
誰だって、休みたくなる日があるじゃないか。
それを事前に言うのか、始業15分前に言うのかの違いだ。
結果として一日休むと言うのは同じなのに、何故にこれほどに罪悪感が。
僕は周りの人達をあまり見る気になれず、中刷り広告に目をやる。
「一日一回、仕事の疲れに効くストレッチ!」
「仕事に疲れたら、旅行に行こう」
「明日から使えるビジネス英会話」
何故だか、今の自分の目に入るのはこうした広告ばかりだった。
その時ふと、広告から目を外した車窓の隙間から、
通り過ぎる駅のホームに少女を見た。
僕は何故だか不意にとても懐かしい気持ちになり、
その少女の事が気になった。
しかしもうその駅を通り過ぎてしまっている。
次の駅で一旦折り返して、先ほどの駅に向かったとしても
もうあの少女はいないだろう。
いやそもそも、居たとして、どうするんだ?
話しかけでもしたら事案発生だ。
そもそも何て話かけるんだ?
いや何故話しかける前提でいるんだ、僕は。
結局、折り返してしまった。
いや本当に、あの少女がいてもいなくても、
何をするために戻ったのかわからない。
だけど、今日は一日自由なのだ。
別に前の駅に着いて少女がいなければ、
またもう一度反対ホームの海へ向かう電車に乗れば良いだけだ。
「プシュー」
電車が一つ前の駅に停まる。
僕はホームに降りて、あの少女を探した。
しかし、右を見ても左を見てもいない。
やはりか、さすがに当然だ。一つ前の電車、
もしくは先ほどの電車に他の車両から乗り込み、
行ってしまったのだろう。
さて、反対ホームに戻り、もう一度海へ向かおう。
そう考えていた僕の目に、またあの少女が映った。
駅を出て、向こうの方へと歩いている後ろ姿だった。
「見つけた。」
しかし、何度も自問したが、彼女を追ってどうするのだ。
本当に変質者になってしまったのか。
いや別にいかがわしい事をするつもりなど毛頭無い。
それならば、僕はあの子に接触して何がしたいのか。
わけもわからぬまま、僕は改札を出ていた。
目的地から考えれば数百円損していたが、今はそんな事はどうでも良い。
少女の身長を考えれば追いかければ十分に追いつける。
しかしあまりに急いで追いかければ、それこそ変質者だ。
僕は努めて冷静に早歩き程度に、彼女の背中を追った。
それにしても、どこかで会った事があるのだろうか。
彼女の後姿を見ながら歩いても、何も思い出せない。
そもそもここ数年の間で、僕に関わる人間の中に
小さな女の子、という属性は無かった。
小学生中学年くらいだろうか。
学校はどうしたんだろう。休んだのか?
家に帰る途中なのかも知れないな。
追いついた後、声を掛けようか、それとも追い越して、
振り向いて顔を見る・・・いや、見てどうする。
そんな事を考えていると、数百メートルは歩いていたようだ。
少女にはもうとっくに追いついていてもおかしくないのだが、
まだ少女の姿は僕の数百メートル先にあった。
おかしい。
少女の歩幅を考えると、確実に追いついているはずだ。
考え事をしていて、足が止まっていたのだろうか。
もしかすると本能的に、追いついてしまわないように
わざとゆっくりと歩いていたのかも知れない。
そんな事を考えながら、ただ無心になっていると、
ふとある事に気付いた。
街並みが・・・・
コレは・・・・・
25年前の実家の近くだ・・・・。
当時通っていた駄菓子屋や、今は潰れてしまったゲーム屋、
店の主人が亡くなって閉店した理髪店。
昔よく親にねだりおもちゃを買って貰ったスーパー。
何故だ?え、タイムリープ・・・?
いや、そんな非現実的な。
だけど目の前のこの状況を説明するには、そんな言葉しか無い。
少女はそのまま、まだ前へと進んでいた。
あぁ、あの理髪店の主人、生きているじゃないか。
言葉を交わしたい・・・だけど、そんな事をしていたら少女を見失う。
あのゲーム屋で、当時買い損ねたゲームを大人買いしたい。
だけど、少女を見失ってしまっては・・・。
この世界と関わってしまう事が正しいのかどうかはわからないが、
とにかくそうした衝動を全て抑えて、少女を追う事に集中した。
それでも、この状況は耐えきれないほどに僕の心を刺激した。
「全てに触れたい、匂いをもっと、堪能したい。
ここで降れる事の出来る温もりを、そして得られる全てを、
今の僕が記憶出来る全てをここで得て帰りたい。」
そんな気持ちが心を占め始め、しかしそれでも少女を追い続けた。
どこかで、この景色が幻であろうという考えもあった。
それでも構わないから、関りを持ちたかった。
せめて、もう居なくなった人達に、ここが夢の世界だとしても
一言、ありがとうと伝えたかった。
だけど、少女を見失ってしまえば元の世界に戻れなくなる気がして
僕は必至で彼女を追った。
あの時の変わらない笑顔のままでいる町の人達に、
僕は笑顔で返しながら歩いた。それでも彼らは僕の存在に気付かないように
彼らの世界の中で談笑し、タバコを吸い、TVを観ていた。
僕一人が箱の外側から眺めているのに、それはVR世界の中にいるような
妙なリアリティと仮想空間の中にいるような現実との乖離観。
それでも五感に訴えかける当時の空気感を僕は、必死に忘れないよう、
強く強く丁寧に、感じ取った。もう、この景色は絶対に忘れない。
短い時間の中でも、本当にそう思った。
不意に、少女が振り返った。
そして、ニッと笑う。
何かを、見透かされている気がした。
いや、と言うより、やはり彼女は僕の事を知っているんだ。
僕は彼女に声を掛けようとした。
だけど、名前も知らない。
「キミ」なんて呼んでみたって、次に続ける言葉が無い。
ただ口を大きく開けて、次に繋げる言葉も無いまま、
僕は無意識に手を伸ばしていた。
その次の瞬間、少女は消えて僕の目の前には、
僕の実家があった。
それは、25年前の新築当時の実家だった。
今のボロボロになり建て替えや住み替えを検討している実家の
建築当時の綺麗な状態の佇まいに何故だか涙が出そうになった。
玄関から、母親が出来てた。
あの頃の、僕を怒ってばかりいた、だけど風邪をひいたりした時には
不意に甲斐甲斐しく世話をしてくれた母親だった。
最近実家には帰っていなかったが、一昨年に帰った頃でさえ、
母親はもうかなり具合が悪そうにしていた。
今僕の目の前にいる母親は、まだどこも体は悪くなく、
ともすれば今の僕と同じ年くらいだろうか。
声を掛けたかった。いや、自然と声が出た。
「かぁさん。」
だけど、その声は聞こえていないようだった。
「やっぱり、ダメなのか・・・。
たとえ夢の世界でも良いから、一言でも、会話を。
話を、させてくれよ・・・。」
悲嘆にくれる僕の隣を、小さな影が通り過ぎた。
25年前の僕だ。
あぁ、そうか、母親は僕の帰りを待っていたんだ。
小さな僕は何かを母親に話している。
声は聞き取れなかった。
せめて、会話が出来なくても、音くらい聞きたい。
どうして、ただ無音で見るだけしか出来ないんだ。
僕の後ろには、友達達がいた。
リーダー格で、いつも面白い遊びを思いつくリョウ君。
常にテストの点数を競い合っていたタカシ君。
そして、一緒のグループだったのに影が薄くて、
名前が思い出せない、アレ?この子は・・・。
さっきの少女だ。
帽子を少し目深に被り、その表情は伺い知れない。
だが、口元には薄らと笑みが浮かんでいる。
しかしそれは今の僕に向けられたものでは無かった。
それはどう見ても、小さな僕に向けられたものだった。
そして小さな僕はその表情に気付いてすらいなかった。
「よし、男子だけで公園に遊びに行くか。」
リョウ君が言った。
少女の口元が力無げに開いたままになる。
そうか、この子はこうしてグループの中にはいても、
いざ遊ぶ段となると女子だからと言う理由で、
それ以上は踏み込めずに途中で帰らされていたのか。
だから、名前をハッキリ憶えていないんだな。
僕はその少女の表情から、
何となく僕の事を好きだったのかな、と感じた。
だけどこの年頃の子はそんなに強くアピールしたり、
そうした戦略を何も知らない。
秘めたままに終わる恋、そんなものも多いのだろう。
家にランドセルを置いて来た小さな僕は、
リョウ君達と一緒に遊びに出かけた。
母親は笑顔で手を振った。
声は聞こえないが、それは「気を付けていってらっしゃい」
である事は疑いようもなかった。
次の場面は、近くの池の周囲の斜面に降りて、リョウ君が花の実を取ろうと
手を伸ばしたり、木の棒で突いたりしていた。
しかし中々届かず、悔しそうにしていた。
どうやら小さな僕とタカシ君は遠巻きでそれを見ており、
「危ないから止めなよ。」
とでも言っているような雰囲気だった。
結果的にリョウ君は戻って来て諦めたようだったのだが、
そこへ先ほどの少女がやって来た。
どうやら、先ほどの花の実を自分が取るというような事を
言っているようであった。
しかしもう取れない花の実に興味が失せたリョウ君は
次の遊びとして鬼ごっこを提案した風だった。
そしてじゃんけんの後、鬼ごっこが始まった。
僕の頭の中では、運動会のBGM「天国と地獄」が流れていた。
どうやらリョウ君が鬼になったようだ。
追われている中で、小さな僕は池の方に目をやった。
そして、僕も驚いた。
少女が、足を滑らせて池の中に落ちてしまっている。
「早く、大人の人を呼ばないと!!」
僕はそう叫んだが、小さな僕には聞こえていない。
小さな僕は驚いた顔のまま固まり、
そこへリョウ君が来て、タッチをする。
「イエーイ、次、お前が鬼な~。」
と言う言葉が聞こえて来るようだった。
しかし小さな僕はリョウ君の腕を掴み、池を指さす。
異変に気付いたタカシ君も近づいて来る。
3人は、池の中に沈みながら藻掻く少女を見ていた。
大人に助けを呼ぶという事も忘れて、ただその状況を、
ボーっと見ていた。
池は深いようで、少女は少しずつ沈み行く中で必死に
声をあげて助けを呼んでいた。
リョウ君がハッと気付いたように、そこら辺にあった木の枝を
少女の方へと差し出す。
すがるようにそれを掴む少女。
しかし、当然の事ながら同学年の濡れた子供を引き上げる力など、
普通の小学生には無い。
再び池の中に沈んで行く少女。
すると、小さな僕が木の枝を再び拾い上げて、少女に差し出した。
再びそれに掴まり、必死によじ登ろうとする少女。
次の瞬間、
小さな僕は、その木の枝を手放した。
重かったと言う風でも無かった。
本当にただ無心の表情だった。
「あ”っ!!」
と声を上げてしまったが、もちろんそれは彼らには届かなかった。
リョウ君とタカシ君も、それを見ていた。
この場を支配していたのは、子供の残酷な好奇心だった。
沈み行く少女がどうなってしまうのかを、確かめてみたくなったのだ。
頭まで池に浸かってしまい、何度か顔を水面に上げる少女だったが、
やがては力尽きて、そのまま水面に顔が上がらなくなってしまった。
3人はその光景をただただ無心に見つめていた。
やがて、3人はそれぞれに少し険しい表情でいくつか言葉を交わし、
口元に指を立てて、「シー、誰にも言うなよ。」のポーズをした。
何と言う事だ。僕は忘れていた。
こんなにも残酷な、いわゆるコレは・・・・殺人だ。
いくら小学生だからとは言え、大人を呼びもせず、
自分達の力で何とかしようとして、そして挙句には力尽きるでは無く、
自らの意思と好奇心で最後の命綱を手放す・・・・。
しかもその最後の犯人は、リョウ君やタカシ君では無く、
僕だった・・・・。
二人と別れた小さい僕は、家に帰り母親から「おかえり」を言われ、
そのまま冷蔵庫のアイスに手を伸ばした。
何事も無かったかのように、日常を過ごしていた・・・。
場面は翌日の小学校の体育館。
全校集会が開かれていた。
どうやら、少女の訃報が学校にも知れたらしい。
3人は、神妙な顔つきで他の生徒達と同じ佇まいだった。
そして、全校集会が終わった。
3人は、クラスの男子達に混じりドッヂボールをした。
その後、少女の席に置かれた花束以外は何も変わらず
学校生活が続いたようだった。
僕がこの事をすっかり忘れていたのは・・・、
自然に忘れたんじゃない。
意図的に、忘れようとしたのだ。
それは今になり、そうであったのだと強く確信した。
卒業写真にも残らない、卒業時点ではもう居なかった少女。
何らかのキッカケで僕に好意を寄せてはいたが、チーム内でも
女子だからと言う理由で無視されがちだった少女。
そして彼女は思いを寄せていた相手から最後に命を救われようとして、
最後にはその思い人自らの意志により、殺された。
僕は、目の前を過ぎ去るこれらの光景を一旦ストップして、
頭の中の整理をしたかった。
しかし、映像は止まってはくれなかった。
次の場面は、どうやら彼女の自宅らしかった。
女の子らしく可愛い人形やぬいぐるみ等で満たされた部屋。
キチンと整えられた教科書とノートに文具類。
ただ一つ変わった事は、もうこの部屋を使う主は帰って来ない事。
少女の母親が少女の部屋の入口に立ち、一言。
「一体、誰があなたを殺したの。
あなたは自分から池に入って死ぬような子じゃないでしょ。
私、あなたを殺したヤツを殺したい。
このままじゃ、あまりにあなたが不憫過ぎるわよ、愛子。」
この声だけは、僕の耳にハッキリと、
まるで耳元で囁かれているかのように聞こえて来た。
僕は背筋がゾクッとして、体全体が身震いした。
そして、自然と口から言葉が溢れた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめん
なさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。」
何度も何度も口にしても、罪悪感は消えなかった。
25年間も忘れていたくせに、
今ここで何十分、何百分謝った所で、それが何になると言うのか。
それでも僕は呪文のように唱え続けた。
やがて僕の前に、あの少女が立っていた。
少女は泣いていた。
そして、僕に新しい光景を見せて来た。
それは、ところどころが精細さに欠ける光景、つまりは想像の世界。
そこでは、小学生の僕がそのまま大人になりヒゲを生やして、
新聞を読んでいる。いかにも当時のお父さんのイメージそのままで
現代の僕からするとセンスがズレている。
そこへ、料理を持った大人になった少女がやって来る。
つまりはコレは、少女が描いていた未来像だ。
何の事は無い、片思いの相手に対するささやかな妄想だ。
だけど僕のあの残酷なたった一つの過ちで、この光景は完全に
いつまでも叶えられる事の無い残酷な夢の景色になってしまった。
少女が、僕にあの花の実を差し出して来た。
僕はそれを静かに受け取る。
少女の表情は、笑っていた。
どうしてだ?
キミを、殺してしまったんだぞ?
そんな笑顔で僕を見ないでくれよ。
僕は気付けば涙がとめどなく溢れて、嗚咽さえ漏らしていた。
やがて、少女が少しずつ遠くなる。
待って、行かないでくれ。
もっと、懺悔をさせてくれ。
いや、せめてキミの描いた夢を、今ここで、
せめて・・・・。
気付けば僕は、電車の中で目を覚ました。
ちょうど、海が見える駅に着いた頃だった。
仕事で疲れて、変な夢を見てしまったのか。
いや、だけど・・・あの光景は確かに、思い出した。
アレは僕が意図的に忘れた、消えない罪。
そしてそれはずっと僕の中で消えずに残っていたんだ。
駅から降りて、ふとある花が目に留まった。
あの時、リョウ君が取ろうとして取れずに、
少女が取って池に落ちてしまった花。
そしてあの夢の中で少女が僕に手渡した花。
僕はその花をジッと見つめた。
すると、一人の子供が僕に近づいて来た。
あの少女にそっくりな女の子だ。
「お兄さん、この花好きなの?
この花、何て言うか知ってる?」
「え、いや、まぁ、好きって言うか・・・。
名前?何て言うんだろう、キミは知ってるの?」
「うん、愛花知ってるよ。
この花はねぇ、ガマズミって言うんだよ。
花言葉は、・・・・
『私を無視しないで』
少女は消えていた。
ガマズミの花、花言葉・・・・。
そうか、愛子ちゃん、キミはずっと、一人で寂しかったんだね・・・。
僕はその足ですぐに電車に乗り、実家のある町へと向かった。
そして彼女が見せてくれた彼女の家の光景から、その周囲を探した。
彼女の仏壇に手を合わせて、この花を供えてあげるんだ。
せめて、25年越しに、キミの事を無視したくないんだ。
だけど、どれだけ探しても見つからない。
おかしいな、確かこの辺りに・・・・
既にそこは、空き地になっていた。
そうか、愛する独り娘が亡くなり、もうこの町に残る意味も無く、
むしろここに住んでいても悲しくなるだけなら、いっそ違う町へ。
そんな風に、僕は考えた。
空き地には雑草が生えており、そんな中でひと際目に付いた、
ガマズミの花。
愛子ちゃん・・・・こんな所に、いたんだね・・・。
僕はその花をそっと両手で包み、彼女の頭を撫でるようにそっと
優しく手で何度も何度も撫でた。
ふと、どこからか
「ありがとう、大好きだよ。」
と、彼女の声が聞こえたような気がした。
僕はいつまでも、夜になっても朝になってもそこにいた。
飲まず食わずで、ただそこに居続けた。
前を歩く人達は関わらないようにサッと通り過ぎて行く。
どれくらい経っただろうか。
また、彼女の声が聞こえた。
「迎えに来たよ、これからはずーっと、一緒に居ようね!」
愛子ちゃん、やっとキミの思いに応えられるみたいだね。
本当に、長い間、待たせてごめんね。
-完-




