第九十七話「笑わないかかし」
笑いは、祈りだ。
誰かが笑うことで、
誰かが救われてきた。
それを忘れたとき、
笑いは“呪い”に変わる。
山間の集落・外淵村。
この村には古くから、「春祭りのかかし」が伝わっていた。
毎年、田の真ん中に立てる“顔のあるかかし”には、
必ず“にっこり笑った顔”が描かれる。
それが、村の五穀豊穣と無病息災を願う印だった。
だが――三年前の春、急にそのかかしが笑わなくなった。
「どうしても、笑った顔が描けなくなったんです。
誰が描いても、気がつくと口が消えてるんですよ……」
依頼者は村の青年団の団長だった。
「今年はかかしを立てるのをやめる」と話したところ、
長老たちが全員強く反対したという。
「“笑わないなら、人が代わりに笑わされる”って言って……」
意味不明なその言葉の真意を確かめるべく、
俺は村に赴き、田んぼの真ん中に立つその“かかし”を確認した。
夜。
かかしのそばに立つと、ひとつ違和感があった。
顔が、描かれていない。
輪郭はある。だが、口も目も何もない――
まるで、白い布に“何かが描かれようとしている途中”のようだった。
不意に、背後から「クスッ」と笑い声がした。
振り返っても誰もいない。
その晩、村のひとりの若者が突然発作的に笑い出し、
病院に搬送されるという騒ぎがあった。
その時彼はこう呟いていたという。
「かかしのぶんまで、笑わなきゃならない……」
俺は翌朝、村の古文書を見せてもらった。
そこにはかかしに関する、こんな一節が記されていた。
「村の厄災は、かかしの“笑い”に込めるべし。
笑えぬときは、人の笑いを以て、帳消しにす」
つまり、かかしは“笑いを預かる器”だったのだ。
笑いを込められぬ年は、誰かが身代わりとして“笑い続ける”ことで災いを封じていた。
俺は、顔のないかかしの頭を外し、
白布の裏に封じられていた古い“仮面”を取り出した。
それは、木彫りのぎょろ目と裂けた口が描かれた笑顔の面。
本来これが、かかしの“顔”だったのだ。
俺は仮面を清め、再びかかしに取り付けた。
翌日から、かかしの顔ははっきりと笑うようになった。
不思議なことに、誰が見ても“笑っている”としか思えない笑顔だった。
そして、それ以降――
誰も「代わりに笑う」ことはなくなった。
村の田には、今年も黄金色の稲が風に揺れている。
その真ん中、満面の笑みをたたえるかかしが、
静かに、しかしどこか嬉しそうに立っている。
次回・第98話「鏡のない化粧室」では、
とある地下街にある古い化粧室。
そこには鏡が一枚もない。
だが、使用した女性たちは必ず口を揃えて言う。
「鏡で、見た気がするの。私じゃない“私”を」




