第九十六話「赤い部屋のリプレイ」
誰かが、
いつか来るはずだった。
誰かが、
迎えに来るはずだった。
その「待ちぼうけ」が、
夢という形で繰り返される。
依頼者は、広告代理店に勤める若い女性。
彼女はここ数週間、まったく同じ夢を見るようになったという。
「古い和室にひとりで座ってるんです。
赤い障子の奥から、“まだ来てない”って声がするんです。
誰を待ってるのか分からないのに、なぜか悲しくて、泣いてしまうんです」
その部屋が、廃業した祖父の旅館の一室と酷似していたという。
旅館の名は〈赤滝荘〉。
都心から電車とバスで数時間、山奥の温泉宿だったが、十年前に廃業。
現在は取り壊し予定だが、いまだ一部の客室は残っていた。
依頼者と共に現地へ向かう。
目当ての部屋は――**二階の一番奥、“紅霞の間”**と呼ばれていたという。
部屋は思った以上に風化しておらず、
畳は干からび、襖の絵は褪せていたが、
赤い障子だけが、不自然なほど鮮やかだった。
俺が障子に手を触れると、ひんやりと濡れたような感触が伝わった。
そして、**「まだ、来てない……」**という声が、障子の奥から囁くように響いた。
かつて、この部屋は**“迎えの間”**と呼ばれ、
末期患者が最期を迎える準備に使われていたと判明した。
「山の温泉地では、昔“死出の間”として使う部屋があったんですよ。
もう家に帰れない人が、静かにここで旅立つための部屋です」
だが、廃業の直前――
認知症を患った老婆がひとり、この部屋で行方不明になった。
名簿にも記録がなく、誰も訪ねて来なかった。
俺は部屋に線香を焚き、赤い障子の前で、
依頼者にこう促した。
「“その人”が来るのを、あなたが伝えてあげてください」
依頼者はゆっくりと障子に手を添え、
やがて涙ながらに、こう声をかけた。
「……もう来てます。あなたを、迎えに来ました」
その瞬間――
部屋の空気がふっとゆるみ、障子が勝手にスッと開いた。
中には誰もいなかった。
ただ、床の間にあった古い掛け軸が、静かに風で揺れていた。
依頼者はその日を境に、夢を見なくなった。
廃旅館は数週間後に解体され、
“紅霞の間”は完全に姿を消した。
だが依頼者はふとした夜、
自宅の障子越しに、誰かが「ありがとう」と呟く声を聞いたという。
次回・第97話「笑わないかかし」では、
山間の村で毎年立て替えられる“かかし”が、ある年から笑わなくなったという。
笑わぬかかしを村人が撤去しようとした瞬間――
“誰かが代わりに笑い出した”。




