第九十四話「灰の降る店」
燃えて消えたものも、
灰となれば、風に乗って戻ってくる。
形見は、記憶のよりどころ。
たとえそれが、白く冷たい灰になっても。
古い通りにひっそりと佇む、骨董店〈煙雨堂〉。
昭和の香りが残るガラス戸に、営業日を示す札がぶら下がっていた。
だが、最近この店で**“営業していない日にも灰が降っている”**という噂が立っていた。
依頼者は近隣の喫茶店の店主。
「定休日でも、朝になるとショーウィンドウの内側にだけ白い灰が積もってるんです。
誰も入れないはずの密閉空間に、まるで火葬場みたいな匂いがする」
俺が店に入ったのは、店主の許可を得た閉店後の夜。
照明を落とし、静かに室内の空気を感じる。
時計の秒針と、古い柱時計のカチリという音だけが、時間を刻んでいた。
だが、午前1時を過ぎた頃――
天井の梁からふわりと、白い粉のようなものが舞い落ちてきた。
灰。
焚火のそれよりも細かく、静電気に吸い寄せられるようにゆっくり落ちる。
その灰は、決まって一つの棚の前に積もっていた。
棚には、古い白磁の湯呑みと、小さな手鏡、赤い帯。
そして、誰も触れていないはずの湯呑みが、わずかに震えていた。
俺は棚の裏側を調べ、床板の下に焼け焦げた紙片を見つけた。
それは半分だけ読める古い手紙だった。
「……ひとりでも……この器だけは……
どうか、灰になっても……」
地元の火災記録を調べると、戦後間もなく、
この通りである女が店ごと焼死したという記録が残っていた。
女性は店の中で失火に巻き込まれ、
身元が帯と鏡でしか判別できなかったという。
おそらく彼女は、自分の“形見”をこの棚に残し、ここに還ってきていた。
灰となった身体は、時間が経っても、
“店と共に在りたい”という想いで戻ってきたのだ。
俺は静かに湯呑みに酒を注ぎ、
帯と鏡を和紙で包み、棚の奥に納めた。
その上で、一枚の短冊にこう記した。
「煙は空へ 灰は土へ 想いはここに」
その夜を境に、灰の降る現象は消えた。
そして、ふたたびその棚の前に立つと――
ほんの一瞬、湯呑みの中から立ちのぼる湯気のようなものが見えた。
次回・第95話「指の落ちる音」では、
ある美術館の収蔵室で、深夜に“何かが床に落ちる音”が繰り返される。
見ればそこには、石膏の指が一本ずつ――
けれど、その像には指など元からなかったはずだった。




