第九十話「光のない信号」
信号とは、
人と人との“確認”の灯。
けれど、消えた灯の下には、
なおも交差する影がある。
都内郊外、小さな町にある四叉路。
そこには、故障したままの信号機が一本だけ立っている。
点灯しない赤。
灯らない青。
反応のないボタン。
けれど、深夜2時になると、誰もいないはずの交差点で、
“クラクションとブレーキ音”が響くという。
町の住人たちは、その交差点を**「死角の交差点」**と呼んでいた。
「見えないのに、確かに通ってる。
車じゃない、“何か”が……」
子どもがボールを追って走ったら、何もいないはずの道で転倒し、
後ろにタイヤ痕のようなものが残されていた。
依頼を受けて俺が現地に赴いたのは、ちょうど夜の2時前。
交差点は人気がなく、信号も沈黙している。
ただ、風が吹かないのに、髪が逆撫でられる感覚があった。
そして、2時ちょうど。
空気が急に“揺れた”。
一台の車が交差点を突っ切ったような風が通り抜け、
俺の耳にブレーキ音と、短い悲鳴が届いた。
俺は警察記録を調べ直した。
15年前、その交差点で交通事故が起きていた。
犠牲者は高校生の兄妹。
信号が故障していたにも関わらず、確認を怠ったトラックが突っ込んだ。
その後、信号機は予算不足で修理されないまま放置された。
「声を上げる者がいなければ、事故すら風化する」
その言葉通り、町は事故を忘れ、信号も誰も直さなかった。
俺は交差点に戻り、信号の下に小さな“鏡”を置いた。
これは、東北のある風習に倣ったもの。
“見えぬものの通り道”を照らすための反射器具だ。
風も音もないまま、ただ、鏡が一瞬だけ曇った。
「渡っていいよ」
そんな声が、風にまぎれて聞こえた気がした。
翌日、町の有志によって交差点の信号機が撤去され、
横断歩道と一時停止の標識が設置された。
事故は以後、起きていない。
鏡は、今も交差点の片隅にそっと置かれている。
次回・第91話「虫の眼をした部屋」では、
あるマンションの一室が、内部から外を監視するような構造を持っていることが発覚する。
だが、その“視線”は、人のものではなかった――。




