第八十五話「夜を喰うもの」
夜は、
記憶を静かに包みこむ毛布でもある。
けれど、包まれすぎれば、
朝が遠のく。
依頼は、地方都市・浮夜町のとある住民からだった。
「この町、夜のまま朝が来ないんです。
時計も進まず、空も暗いまま。
……それなのに、誰も不思議に思ってない。
気づいているのは、私だけなんです」
俺が町に足を踏み入れたのは、午後8時。
だが、そこから一切、時間が動かなかった。
時計は8時14分で止まり、スマホの電波も途絶えていた。
不自然な静けさ――
それは“眠らない町”ではなく、“目覚められない町”だった。
住民たちは皆、微笑みを浮かべ、同じ言葉を口にする。
「夜が静かで、安心できるんです。
朝なんて、もういらない」
まるで、誰かにそう“思わされている”ようだった。
町の中心には、取り壊されかけた旧映画館があった。
上映はとっくに終わっているはずだが、微かに光が漏れている。
中に入ると、一つだけ映写機が動いていた。
映し出されていたのは、“夢の中の町”そのものだった。
ふと気づくと、俺の影が2つになっていた。
ひとつは自分のもの、もうひとつは――俺の“記憶を真似るもの”。
「キミは……誰だ?」
「“夜”だよ。
忘れたいこと、眠らせたいこと、
ぜんぶ引き受けてあげる」
影は、俺の過去の記憶を語り始めた。
失敗、後悔、死にかけた現場、逃げた依頼……
それらを「夜の静けさ」に変えて、永遠に閉じ込めようとしてくる。
俺は影に背を向け、ゆっくり歩いた。
目を閉じ、静かに唱える。
「夜は、終わるものだ。
夜を喰うなら、朝を吐き出せ」
その瞬間、映画館のスクリーンが破れ、外の光が差し込んだ。
町中に鐘の音が響く――“朝”を告げる音。
住民たちはゆっくりと目を覚ました。
止まっていた時計が、再び動き始める。
依頼人の女性がつぶやいた。
「やっと……夜が終わった……」
次回・第86話「白い踊り場」では、
一つの廃ビルの非常階段にだけ現れる“白い踊り場”。
昇れば昇るほど、戻れなくなるその空間で、
探偵は“上を目指すこと”の代償と対峙する。




