第八十二話「影踏み」
影は、
心の輪郭でもある。
踏まれたままの影が、
誰かを連れていこうとする前に――
「うちの子が……夕方から、帰ってこないんです……」
泣き崩れる母親の声を聞いたのは、区役所の紹介で訪れた小学校だった。
ここ数日、夕暮れになると“子どもが1人ずつ消える”事件が相次いでいた。
警察は誘拐と見て動いていたが、目撃者たちは口を揃えて言った。
「影を踏まれて、動けなくなったみたいだった」
現場の校庭は、冬の陽射しが長く影を伸ばしていた。
子どもたちはおびえ、誰も影を踏みたがらない。
「あそこにいると、自分の影が“勝手に動く”んだよ……」
そう話す生徒のひとりが指さしたのは、校舎裏の使われていない古い倉庫だった。
その倉庫の壁には、薄黒い染みが広がっていた。
夕陽が差すと、それはまるで“人の形”のように見えた。
俺は中に入り、埃を被った掲示板を調べた。
そこには、20年前の行事予定がそのまま残っていた。
「追悼式:失踪児童・永田明くん」
彼は、ある年の秋に忽然と姿を消したという。
目撃情報もなく、遺体も見つからず、事件は未解決のままだった。
俺は夕方、校庭に立って影を観察した。
日が沈み始めたころ、空気が変わる。
気づけば自分の影の輪郭が“にじむ”ように揺らいでいた。
そして、誰もいないはずの倉庫のドアが、**きぃぃ……**と勝手に開いた。
中に踏み込んだ俺は、壁の影がまるで意思を持つかのように“伸びる”のを見た。
それは、子どもの形をしていた。
泣いていた。――影の中で、ずっと。
「……ぼく、置いていかれた……
誰も、迎えに来なかった……」
俺はそっと言った。
「迎えに来たよ、明くん。
もう、ひとりじゃない」
その瞬間、影は静かにほどけていった。
まるで、陽の光が射したように。
そして翌日、消えていた子どもたちが順番に戻ってきた。
皆、口を揃えてこう言った。
「知らない子が、“ここにいていいよ”って言ってくれた」
次回・第83話「海鳴りの手紙」では、
届くはずのない“死者からの手紙”と、
海辺に響く泣き声の謎。
探偵は、潮騒の記憶に潜む嘘を暴く。




