第八話「髪喰の社(かみくいのやしろ)」
今回のモチーフは「髪」と「食人信仰」。
“髪”は古来より魂の宿る場所とされ、
それを供えるという習慣には、何かを抑える意味が込められていたのかもしれません。
その神棚は、米ではなく髪が供えられていた。
依頼人は地方の古民家を改修中の建築業者だった。
数十年空き家になっていた屋敷の一室、床の間の上段に奇妙な祭壇があったという。
「人間の……髪の毛が束になっていて、毎月“新しい髪”が供えられてるようなんです。
でも、誰も住んでないんですよ。鍵も閉まってた」
地元の役場も、屋敷の所有者の消息は不明のまま。
俺は調査のため、件の屋敷を訪れた。
山のふもと。鬱蒼とした木々に囲まれた屋敷は、静かすぎるほど静かだった。
だが、内部には**不自然な“生活の気配”**があった。
神棚は本物だった。
榊で飾られ、灯明もあった。
その中央に――髪の束が一本、布に包まれて置かれている。
長さは30センチ。
手入れされていたように艶があった。
それは、人の“遺体”よりも、“生きた人間”を感じさせた。
調べを進めると、村の古老がこう語った。
「……ああ、あれは“髪喰さま”じゃな。
昔、このあたりには“口のない神”がおった。
喰えぬ代わりに、髪を与えれば災いから逃れられると」
神棚の奥には、かつて“人を喰らう神”を封じたという社があったという。
だが、敗戦後、廃れて祠は埋められ、村の記憶からも消された。
「供えが絶えると、髪喰さまは“喰いたいものを喰いにくる”」
それは、“人”だ。
その夜、屋敷に泊まった俺は、午前3時に物音で目を覚ました。
何かが天井裏を這うような音。
そして、神棚の下に黒い染みが広がっていた。
まるで、何かが棚から滴り落ちているかのように。
見上げると、神棚の中にあったはずの髪が――なかった。
翌朝、屋敷の裏で、動物の死骸が見つかった。
だが、奇妙なことに頭部だけが綺麗になくなっていた。
歯で引きちぎられた痕もない。
何かが“吸い取った”ような空洞。
その直後、村の若い女性がひとり、行方不明になった。
彼女の部屋からは、切り落とされた長い黒髪の束が残されていた。
俺は報告書にこう記した。
「明確な怪異は確認できず。ただし、神棚の存在と“髪の供え物”の実在、
および関連する行方不明事件の時系列は一致」
「髪喰の信仰は、人身御供の隠喩である可能性あり」
「忘れられた信仰が、生き延びようとしている気配がある」
帰る道すがら、古い祠の跡を見つけた。
石で塞がれた穴。
そのわずかな隙間から、黒髪が一本だけ、風に揺れていた。
俺は見なかったことにした。
それが一番安全だと、本能が告げていた。
神は祀られれば加護となるが、忘れられれば禍となる。
人が神を作ったのではない。
人が忘れたものが、神になるのだ。