第七十話「鍵穴に泣く子」
閉ざされた扉は、
閉ざされた記憶を守る。
泣く子は、まだそこにいる。
だが、誰もその鍵を開けられない。
都心の外れにある築40年のアパート。
住人から「夜になると鍵穴から子供の泣き声が聞こえる」という奇妙な通報があった。
俺は早速現地へ向かった。
アパートは古びており、廊下はひんやりとしている。
問題の部屋――303号室は、数年前から空き部屋だった。
だが、その扉の鍵穴からは確かに、夜な夜な子供のすすり泣きが漏れているという。
管理人の話を聞くと、かつてこの部屋に住んでいた母子が突然引っ越したそうだ。
理由は明かされず、誰も詳細を知らない。
俺は夜を待ち、鍵穴の前で耳を澄ませた。
深夜、かすかに聞こえたのは、まだ幼い子供のすすり泣きだった。
「……ママ……」
俺は鍵穴の向こう側に何かを感じ、ゆっくりとドアをノックした。
反応はない。
鍵はかかっている。
そこにいたのは、誰もいないはずの空間だった。
翌日、周囲の住人に話を聞くと、
母子の行方に関する微かな記憶が浮かんできた。
母親は重い病を患っており、子供を連れて療養に出たらしい。
だが、子供は突然亡くなり、母親もそれを耐えきれずに姿を消したという。
俺は鍵穴に懐中電灯の光を差し込み、内部を覗く。
そこにあったのは、埃に埋もれた古いおもちゃと、薄く色褪せた子供の絵。
泣き声は、どうやらこの部屋に染み付いた“記憶”そのものだった。
俺は低くつぶやいた。
「……君はここにいるけれど、もう動けない。
だから泣くしかないんだな」
夜、再びアパートを訪れると、泣き声は止んでいた。
代わりに、ドアの隙間から一筋の光が漏れていた。
俺は心の中で祈った。
「もう、泣かなくていい」と。
次回・第71話「赤い糸の先」では、
老舗和菓子屋の女主人が語る“呪われた赤い糸”の物語。
糸が結ぶ過去と現在。
探偵が紡ぐのは、結びと断ち切りの物語。




