第五十話「灯らなかった蝋燭」
探偵というのは、誰かの記憶に触れる仕事だ。
時には、手遅れになることもある。
だが、何年も経ったあとで、ようやく届く想いもある。
今夜の火は、**そんな“遅れてきた返事”**だった。
事務所の書庫に、古びた封筒が落ちていた。
差出人は不明、消印もない。
中には、一枚の写真と、短い手紙が入っていた。
「あの火は、まだ灯っていません。」
見覚えのある言葉だった。
五年前、俺がまだこの仕事を始めて間もない頃、受けた**“最初の依頼”**に繋がっていた。
依頼人は、当時まだ中学生の少女。
兄を亡くしたばかりで、こう言っていた。
「兄の部屋の仏壇にだけ、蝋燭の火が絶対につかないんです。
ライターでも、マッチでも、一瞬で消えるんです。
お坊さんにも来てもらいました。でもだめでした。」
調べても、原因はわからなかった。
器具の不調でもなく、空気の流れも正常。
“火だけが拒絶される”空間。
結局、俺は何も解明できず、依頼は自然消滅した。
少女も引っ越し、連絡は取れなくなった。
今回届いた写真は、その仏壇のもの。
相変わらず、蝋燭には芯だけがあり、灯った形跡はない。
それでも何かが違った。
背景に写る兄の遺影の表情――
ほんのわずかに、微笑んでいるように見えた。
俺は再び、その家を訪れた。
今は空き家。
少女が育った家は、誰にも引き継がれず、ひっそりと眠っていた。
仏壇は、そのまま残されていた。
埃はかぶっていたが、手入れはされていたようだ。
俺は、もう一度だけ、蝋燭に火を灯してみた。
すると――
“火が揺れながら、ゆっくりと安定した。”
あのときは拒まれた光が、
今は静かに、そこに居ることを許されていた。
少女のことを調べた。
大学を卒業し、今は海外にいるという。
兄の死を乗り越え、教師の道を目指していると。
きっと、兄はようやく安心したのだ。
灯らなかったのは、“想いが届いていなかった”から。
そして今、ようやく――
俺は報告書の余白に、ただ一行、手書きでこう記した。
「彼女が進んだ先に、光がありますように。」
灯らなかった火は、
消えたのではない。
ただ、“そのとき”を待っていただけだ。
誰かの悲しみが、乗り越えられたとき――
その火は、静かに灯るのだ。




