第四十四話「戻る願い」
願いごとを結ぶ絵馬は、
書いた人間の想いを神に届ける“言葉の橋”。
だが時に、その橋は片道通行になってしまうことがある――
届ける先が、もう存在しないとき。
「外したはずの絵馬が、何度も戻ってくるんです。
しかも毎回、願いごとの文面が少しずつ違う。
最後には、“願ってないこと”まで書かれてて……気味が悪くて、連絡しました。」
依頼人は、郊外にある小さな神社の神職。
境内の整備中、古くなった絵馬をいくつか整理していたところ、
取り外した絵馬の一つが、翌朝には元の場所に掛け直されていたという。
絵馬にはこう記されていた。
「あの人が幸せになりますように」
だが、数日後には――
「わたしのことも、忘れないでください」
さらに一週間後には、こう変わっていた。
「どうして見つけてくれないの。まだここにいるのに」
俺は問題の神社を訪れた。
杉林に囲まれた、静かな境内。
問題の絵馬は、古びた木肌のまま、風に揺れていた。
裏に貼られたラベルには、平成十五年の日付。
20年近く前に奉納されたものだ。
俺は神社の過去の記録を調べた。
すると、その絵馬はある女性が奉納したもので、すでに事故で亡くなっていることが分かった。
絵馬は「事故からちょうど一年後」、遺族の手で外されたはずだった。
だが、なぜか今も“戻ってくる”。
夜、神社に滞在して監視を行った。
午前2時すぎ、誰もいないはずの境内で、鈴の音が一度だけ鳴った。
俺が駆けつけると、
絵馬の文字がまた変わっていた。
「わたし、ここで待ってるよ。ちゃんと見てるよ」
墨はまだ乾ききっておらず、誰かが今書いたような新しさがあった。
俺は報告書にこう記した。
「奉納絵馬に関する不可逆干渉現象」
「対象物は過去に撤去済の個体と同一。物理的再出現複数回確認」
「願文変化は心理的未練・記憶の固着によると推測」
「対象者の死亡記録あり。願意の変化は生前の未達成意識に由来」
「処理方法:再撤去ではなく、文面への応答により安定化の可能性」
俺は、絵馬の隣に小さな白紙の木札を一枚かけた。
そこに、こう記した。
「ごめん。見つけるのが遅くなって。
でも、今、ちゃんと読んだ。ここに来たよ。」
翌朝、例の絵馬は――風に吹かれて地面に落ちていた。
もう、どこにも掛けられることはなかった。
人が願うとき、そこには“祈り”がある。
けれど、祈ったことが届かずに終わったとき、
その言葉だけが、ずっとそこに残ってしまうことがある。
それが誰かに届いたとき――ようやく、願いは手放されるのだ。
願ったまま終われなかった想いは、
紙ではなく“木”に刻まれた記憶として残る。
その記憶が誰かに届くまで、
祈りは、何度でも戻ってくる。




