第四十三話「宛名なき部屋」
郵便受けに、存在しないはずの部屋宛ての手紙が届く。
書かれているのは、誰かの記憶の続きを綴った文章。
読まれなくても、返事がなくても、
“送り続けること”に意味があるのかもしれない。
「このマンション、301号室なんて存在しないんです。
でも、管理人室の郵便受けに、“301”宛の手紙が毎月届くんですよ。
消印も差出人も毎回違う。
でも、中身は全部、“同じ人に向けた内容”なんです。」
依頼人は、古い都心のワンルームマンションの管理人。
築四十年、三階建て。各階に10戸ずつ。
問題は「3階に301号室が存在しない」ということ。
30X号室の番号は“欠番”として、昔から“飛ばされていた”。
俺は現物の封筒を見せてもらった。
安っぽい白封筒。達筆な筆文字で「**青木 様(301号室)」と書かれている。
中身は手紙一通。内容はどれも似たような文面だった。
「お元気ですか。あの日のことを、私は忘れていません。
あなたの名前はもう呼べませんが、
毎年この季節になると、ふと思い出してしまいます。」
差出人の名前はなし。
筆跡と内容からは、どこか後悔と哀悼がにじんでいた。
管理会社の古い図面を探った。
1970年代の図面には、確かに“301号室”があった。
だが、それは落雷による火災で半焼し、
その後「安全面の都合」として物置きに転用、居住扱いから外されたことが分かった。
当時の住人は、青木孝志(男性・28)――死亡。
死因は煙の吸引による窒息。
火元は推定「仏壇の蝋燭」。
帰省予定だった日に、誰かを待ちながら眠ってしまったらしい。
俺は報告書にこう記した。
「欠番部屋宛の郵送物継続出現。物理的手配による実体確認」
「封筒の発信源は毎回異なるが、内容と文体の共通性高く、同一人物による長期投函と推定」
「“記憶の中の相手”に宛てた習慣的手紙。投函先を管理人室に選んだ理由は不明」
「対象者青木氏の死亡記録との一致あり。心理的な未送信手紙の反復現象」
「処理推奨:手紙は開封せず保管、年一度の“返事代行”による儀礼的解消可」
翌月、管理人室に届いた“301号室 青木様”宛ての手紙に、
俺は簡単な“返信”をつけて送り返した。
「今でも、あなたの手紙は届いています。
今年も思い出してくれてありがとう。
私は大丈夫です。」
それを最後に、手紙は二度と届かなくなった。
この世に存在しないはずの部屋番号。
だが、誰かの心の中では、そこに“確かに人が住んでいた”。
そして、手紙はその記憶に、静かに返されていったのだ。
届かないとわかっていても、
それでも手紙を出す人がいる。
それは、もう会えない人への祈りのようなもの。
そして、誰かがそれを“受け取った”と信じたとき、
ようやく心は静かになるのだ。




