第四十一話「夜の歩幅」
夜道で、すぐ後ろに誰かがついてくる。
姿はない。振り返ってもいない。
でも確かに、そこに――もう一人の歩幅がある。
「夜の散歩が好きなんです。人も少ないし、静かで。
でも最近、誰もいないのに、すぐ後ろから靴音がついてくるようになったんです。
立ち止まれば止まり、歩けばついてくる。
……それが、毎晩なんですよ。時間も決まっていて、午後11時11分。」
依頼人は、リモートワークが増えたことで生活サイクルが夜型になった男性。
気分転換に川沿いの遊歩道を散歩しているうちに、
毎晩“音”の存在に気づいたという。
俺もその川沿いの道を歩いた。
街灯はまばらで、舗装された道には小石が点々と転がっている。
耳を澄ませば、自分の靴音が乾いた音で響く。
そして――確かに、自分の足音とは“わずかにズレたもうひとつの足音”が、ついてくる。
立ち止まる。
その音も、ぴたりと止む。
振り返っても、誰もいない。
俺は録音機と赤外線カメラを設置した。
23時11分。遊歩道に足音が響く。
依頼人は一人きりだが、記録には“二人分の足音”が確かに残っていた。
映像には異常はない。
だが、風の流れに揺れる木々の影が、一瞬“人のシルエット”に見えた。
依頼人が不意に立ち止まった瞬間、
カメラのマイクに、微かにこんな声が入った。
「……まって」
過去の事故記録を調べた。
その遊歩道の先――緩やかにカーブする橋のたもとで、
三年前、夜間の交通事故があった。
自転車通勤をしていた若い女性が、
曲がり角から突っ込んできたバイクに轢かれて死亡。
通報したのは、偶然散歩していた通行人――今の依頼人だった。
「見ていたが、助けられなかった」
その後、依頼人は事故の詳細を語ることを避けてきたという。
俺は報告書にこう記した。
「対象者の背後に現れる足音、物理的証拠あり」
「視覚情報には干渉せず、聴覚・空気振動レベルでの存在確認」
「過去の事故と対象者の関与履歴により、“認識を求める意志”の滞留と推定」
「対話・謝罪による解消可能性あり。除霊・封印行為は非推奨」
俺は依頼人に、事故現場の橋のたもとで立ち止まり、
たった一言だけ伝えるように言った。
「……ごめん」
それだけだった。
その夜を境に、足音は二度と現れなかった。
“声にならなかった思い”は、
時に、足音のような形で人の後ろをついてくる。
姿が見えないのは、責めるためではない。
ただ、最後に、気づいてほしかっただけだ。
人は、心残りの気配に気づきながらも、
なかったことにしようとする。
けれど、見えない何かはいつか、
“わかってほしい”と、音になって現れる。




