第四話「沼に消える声」
今回のモチーフは「河童」。
だが事件の本質は、“家庭の闇”と“信じたい物語”の中にありました。
人は時に、現実よりも妖怪のほうが優しいと思いたくなる――
そんな夜に浮かぶ、静かな沼の記憶。
午前四時、湿った風が耳元を撫でた。
車の窓の外、白く霞んだ山の影が沼に落ちている。
この村には、河童が出る沼があるらしい。
そして先月――そこに子どもが消えた。
「河童に連れていかれたんだ。村じゃ、みんなそう言ってます」
依頼人は、失踪した少年の母親だった。
警察は事故と断定。地元の捜索隊も諦めかけている。
だが、母親だけが「息子は生きてる」と信じていた。
いや、信じなきゃやってられないだけかもしれない。
村は山奥に沈むように存在していた。
灰色の屋根、濁った川。雑草の生えた道。
そして、村の外れには確かに沼があった。
濃い緑の水面。波紋すらない静寂。
それでも“底”から見られている気配がした。
村人に話を聞くと、皆こう言う。
「昔っからだよ。気を抜いたら、子どもなんかすぐ沼に連れてかれる」
「尻子玉ってあるだろ。あれを抜かれると、魂が戻らねえんだ」
だが誰も、“なぜ沼に近づいたのか”は話そうとしなかった。
失踪した少年の名前は篠田隼人。小学四年生。
明るくて、外遊びが好きな子だったという。
学校の先生に聞くと、最近、家でトラブルがあったらしい。
「ちょっと……父親さんがね。きつい人で……
隼人くん、よく図書室で時間をつぶしてました」
家に居場所がなかった。
だから、沼にいた“誰か”の言葉に惹かれたとしても、不思議じゃない。
俺は夜に沼へ行った。
靴の裏に泥がまとわりつく。虫も鳴かない。
しばらく待つと――
水面が揺れた。
音もなく、何かが浮かび上がってきた。
だがそれは河童ではなかった。
子どもだった。
痩せた体。顔に擦り傷。泥だらけ。
だが、まだ生きていた。
「……きた、の?」
声は掠れていたが、目だけがはっきりと開いていた。
俺の手をつかんだその腕は、震えていた。
後の調査で分かったこと。
隼人は家にいたくなかった。
夜、家出しては沼に隠れていた。
唯一優しくしてくれた近所の老人が“河童の話”をしてくれた。
「河童はね、悲しい子を連れていくんだよ。
でも、ちゃんと見つけてもらえれば、帰ってこられる」
だから彼は待っていた。
誰かが自分を見つけてくれると信じて。
沼に怪異はなかった。
河童も、尻子玉も、噂話にすぎなかった。
でも、人の言葉は時に“怪物”になる。
たった一つの話で、子どもがどれほど救われ、また壊されるか。
その夜、隼人は母親の胸に泣き崩れた。
俺は報告書に一言だけ書いた。
「河童は見つからなかった。
けれど、子どもは、まだ帰る場所を求めていた」
“見捨てられた”と感じた心が、怪異を呼ぶ。
だが、それを否定するのではなく、寄り添って見つけ出す人間もいる。
探偵・城戸蓮司が拾うのは、事件の真相だけではない。
ときに、それは“生き残ったものの声”でもある。