第三十九話「貸出記録にない一冊」
誰も借りていないはずの本。
なのに、返却されるたび、それを“確かに読んだ”という人間が現れる。
では、その本は――どこからやってきたのか?
「図書館でバイトしてるんですけど……最近、“おかしな本”の話が出てきて。
貸出履歴に一切残ってない本なのに、『返却したい』って人が何人も来るんです。
でも、どの棚にもその本はないし、データ上も登録されてない。
それなのに、『借りましたよね?』って、皆同じタイトルを言うんです。」
依頼者は、都内某大学の学生で、付属図書館のアルバイトをしている。
問題の本の題名は、『追想の園へ』。
架空の詩集のようなタイトルだが、国会図書館、民間蔵書、商業出版すべてに記録がない。
しかし、返却に来たという学生たちは皆、同じ感想を述べた。
「読んだあと、なぜか内容が思い出せないんです。
でも、“夢に出てくるような懐かしさ”だけが残っていて……」
俺は図書館を訪れた。
蔵書検索システムにも、“追想の園へ”という文字列は一切ヒットしない。
だが、レファレンスカウンターの下に、手書きの返却カードが束になっていた。
学生たちが“本を返すときに持ってきた”というものだ。
いずれも館内のものではない、微妙にサイズの違う古いカード型の紙。
カードの記載はすべて同一だった。
書名:追想の園へ
著者:記録なし
貸出日:空欄
返却日:記入済(すべて翌日)
俺はその中の1人――“返却したはず”の学生に会った。
彼女はこう語った。
「確かに読んだんです。薄い詩集みたいな本で、表紙は水色の布張り。
でも、内容は……思い出せない。
気がついたら枕元に置いてあって、“返さなきゃ”って、なんとなく」
つまり彼女は、借りた記憶が曖昧なまま、“返さなきゃいけない”という強迫観念だけが残ったのだ。
それが数人なら幻覚とも言える。
だが、証言者はすでに12名を超えている。
俺は報告書にこう記した。
「館内未登録の書籍に関する返却記録、多数確認」
「書名・装丁・読後感想に一致あり。対象物の実体は未確認」
「“夢中閲覧型非物質読書体験”の可能性あり。実本の存在より、“読書行為”が主」
「記録・証言ともに、自発的読了と返却行動により閉じる形式」
「対象への継続接触は認知干渉を招く恐れあり。記憶定着の曖昧性に注意」
俺は図書館の司書室に、以下の警告札を設置した。
この図書館には『追想の園へ』という本はありません。
それでも覚えている方は、静かに忘れてください。
以降、“返却”に来る者はいなくなった。
だが、カウンターの奥には、今も返却カードが一枚――
空白のまま、新たに追加されていた。
読み終えたはずなのに、内容を覚えていない本。
でも、そこにあった感情だけは、妙に鮮明に残る。
それは、過去の自分が“確かにそこにいた”という、ささやかな証拠なのかもしれない。
本を読むという行為は、
ときに“夢を見る”ことに似ている。
読み終えたあとに何も覚えていなくても、
その夢の余韻が心に残っていれば――それは本当に存在したと言えるのかもしれない。




