第三十八話「出勤簿の名前」
出勤簿に名前を刻むというのは、
その日、自分が“確かにそこにいた”という記録だ。
だが、その名前が、もういないはずの人のものだったら?
「もうとっくに閉鎖されたはずの工場なんです。
でも、毎朝8時になると、出勤記録に“名前が一つだけ”増えるんですよ。
それも、二十年前に亡くなったはずの社員の名前が――毎日。」
依頼者は、郊外にある旧機械部品工場の管理者。
工場は十数年前に操業を停止し、現在は取り壊し待ちの状態。
出入口は施錠され、電気も通っていない。
ただ、事務所の一角にある古いタイムカードの記録機だけが、なぜかまだ動いているという。
俺が現場に入ったのは、早朝7時過ぎ。
セキュリティ上、誰も立ち入れない空間。
しかし――8時ちょうど、記録機が“カチャン”という音を立てた。
機械の電源は落ちていた。
だが、カードリーダーの内部に、“印字されたばかりの一枚”が差し込まれていた。
【出勤 08:00 氏名:工藤雅之】
印字は確かに新しい。
だがこの名前――工藤雅之という男は、平成16年に過労による突然死を遂げている。
工場の古い記録を調べると、
工藤は皆勤賞を十年以上続けた、誠実な職工だった。
だが、最終勤務日を目前に倒れ、そのまま職場に戻ることなく亡くなった。
奇妙なことに、その翌日から、毎朝同じように出勤記録が印字されているという。
誰がカードを入れているのか。
あるいは――カードが“自分から機械に入っている”のか。
俺は報告書にこう記した。
「廃工場内、物理封鎖下にて自動記録出現を確認」
「記録内容は故人のものであり、日付・時刻は一致」
「対象機器の電源未接続状態下での作動は物理法則外。外部操作の痕跡なし」
「現象は“本人の出勤意思の残留”と推定。形式儀礼の反復による時空的固定」
「強制停止・破壊は推奨されず。儀礼的終了処理が望ましい」
俺は依頼者に提案した。
最終日分のタイムカードに、こう印字して封をすること。
【出勤 08:00 氏名:工藤雅之】
【退勤 17:00 ありがとうございました】
そのカードを専用の札入れに収め、工場の出入口に一礼するよう指示した。
翌朝――出勤記録は印字されなかった。
仕事に人生を捧げた人間が、
その“最後の出勤”を果たせなかったとき。
心残りが時を止め、場所を縛る。
名前が毎日刻まれていたのは、
誰かに「ちゃんと来たよ」と知ってほしかったからだ。
最後の出勤を終えられなかった者が、
今も“遅刻せず”にやって来ている。
その律儀さが、どれほど強い想いを生むのか――
我々は、ただ受け止めるしかないのだ。




