第三十六話「終点、まだです」
誰もいないはずのバス停に、
夜な夜な現れる一台のバス。
乗り遅れても、乗ってしまっても、
もう“戻ってはこれない”かもしれない。
「誰も降りないし、誰も乗らない。
なのに、そのバスは毎晩、同じ時刻に同じバス停に停まるんです。
終電バスは、もう無いはずなんですよ?」
依頼人は、終業後に散歩を日課とする年配の男性。
郊外の住宅街にある古いバス停で、
深夜1時過ぎ、路線外の古びたバスが静かに停まるのを何度も見たという。
発車メロディもなければ、ブレーキ音すらない。
ただ、闇の中からスッと現れ、しばらく停車し、また去っていく。
運転手も乗客も見えない。
それでも、ヘッドライトは確かに灯っている。
俺はそのバス停を訪れた。
停留所の名は「狐ノ坂」。
現在は路線廃止により、正式なバス運行は止まっている。
だが、舗装の古いアスファルトには、タイヤ痕だけが今も残っていた。
周囲の街灯は薄暗く、
防犯カメラも存在しない。
人知れず、何かがやってきて、そして去っている。
調査用に超低照度カメラを設置。
深夜1時13分、レンズに“それ”が映った。
白いボディに緑の帯。昭和期の旧型路線バス。
走行音はない。
扉は自動で開閉されるが、誰も乗り降りしない。
車内の明かりだけが、まるで満席のように灯っていた。
運転席には、顔の見えない運転手らしき影。
バスは数十秒の停車後、再び音もなく走り去った。
俺はバス会社の資料を調べた。
すると、昭和63年、狐ノ坂の近くで大型交通事故が発生していた。
大雪による視界不良で、最終便の回送バスが崖下に転落。
乗客はいなかったが、運転手ひとりが消息不明のまま捜索が打ち切られた。
不思議なことに、事故を起こしたはずのバス車両が、
会社記録では「廃車手続き未完了」のままになっていた。
俺は報告書にこう記した。
「狐ノ坂バス停における深夜停車現象、映像記録により実在を確認」
「当該車両は過去の事故記録と類似。現在の運行路線・時間と一致せず」
「乗降行動なし。物理的干渉もなし。だが明確な“運行意志”を持つ挙動」
「存在目的は“終点に辿り着くこと”。未完了の運行履歴が感応化した可能性」
「地縛的干渉ではなく、周期性に従う儀式型。無干渉を維持する限り安全圏内」
俺はバス停に小さな木札を設置した。
そこには、こう記した。
「本路線は現在、全ての便が運行終了しております」
「長い運転、お疲れさまでした」
以降、依頼人の目の前にバスが現れることはなくなった。
ただし、誰もいない深夜の映像には、今もなお“その車両の影”がうっすら残っている。
“終点”は、誰が決めるのだろうか。
止まるべき場所を見失ったまま、走り続けている者がいる。
誰も降りず、誰も乗らないそのバスは――
きっと、ずっと“誰か”を探しているのだ。
最終便の記録が曖昧なままなら、
“運行中”であることを、
誰かが忘れてはいけないのかもしれない。




