第三十三話「ミラー、ミラー」
鏡に映るものは“今の自分”だけじゃない。
ときに、“過去の誰か”や、“そこにいた想い”をも写してしまう。
そして――
それが消えずに残ることもある。
「閉店したはずの店の鏡に、毎晩指紋がついているんです。
人なんて誰も入っていないのに。
しかも、**日に日に数が増えていってるんです――“明らかにおかしいくらい”に」
依頼者は、美容室跡地のビルオーナー。
テナントは昨年末に撤退。空室となって半年。
ところが内見のたびに**「鏡が不気味だ」と敬遠され、契約が成立しない**という。
特に夜明け前、窓も閉まっているのに、
鏡の中央から外周へ向かって、何本もの指跡が広がっていることが多い。
現場は、都内の一角にある築40年の雑居ビル3階。
内装は取り壊されず、美容室の面影がそのまま残っていた。
4面の鏡、椅子、古びた流し台――
だが、最も目を引いたのは**中央の鏡に浮かんだ、数十もの“手のひらの跡”**だった。
ライトを当てると、指紋の脂が微かに浮き上がる。
その数、数十人分。それも、大人の手ではない。どれも、小さな手だった。
調査のために鏡面の拭き取りを実施。
アルコール処理を行い、すべての指紋を消去。
カメラと接触センサーを設置してその夜を待った。
深夜3時15分。
センサーは反応せず、何も“入って”いない。
だが――再び、鏡には複数の指紋が浮かび上がっていた。
センサーをすり抜けている。
つまり、“それ”は物理ではない。
俺は管理会社の記録と近隣証言を洗った。
すると、店の開業当初、この美容室では地域の福祉団体と連携し、施設児童の無料カットを定期的に行っていたことが分かった。
だがその活動は数年で終わり、
それ以降、店は「不穏なことが起きている」として内部で問題を抱えていたらしい。
夜間、鏡に“誰かがいる気がする”という従業員の証言。
そして退職者のメモには、こう書かれていた。
「シャンプー台の後ろに、いつも誰か立っている気がしてならなかった。
しかも――それが鏡にだけ映るんです」
俺は報告書にこう記した。
「鏡面への異常な指紋出現を複数回確認。時間帯・位置に法則性あり」
「対象は物理的侵入を伴わず、センサー回避型の干渉」
「出現指紋は複数の児童サイズのもので、地域活動記録と一致」
「存在の目的は明確ではないが、強い“記録欲求”または“再訪”の意志が推定される」
「除去に加え、“認知と受容”の儀式的対応が望ましい」
俺はオーナーに提案した。
鏡の一面を“完全に撤去する”ことと、
当時の活動に関わった人々の名前を記した木札を一枚、跡地に飾ること。
その木札には、こう記した。
「ここに来てくれて、ありがとう。
君たちのことは忘れていない」
それ以降、指紋の増加は止まり、
誰もが“入りづらい”と敬遠していた物件は、数ヶ月後に新たな入居者が決まった。
“鏡”は、誰かがそこにいた証拠を写し出すもの。
触れた痕が残るのは、
触れてほしかった記憶が、まだそこにあるということだ。
小さな手が、何かを求めて触れた鏡。
それは悲しみではなく、
**「また来たよ」**という、ささやかな挨拶だったのかもしれない。




