第三十一話「差出人不明、返信あり」
言葉が交わされなかった過去は、
ずっと誰かの中で、“返事待ち”のまま沈んでいることがある。
その声が届くのは、
思いもよらぬ相手を通して、ようやく、だったりする。
「……届いたんです、“返事”が。
でも、僕は何も書いていない。手紙なんて、出してもいないんです」
依頼者は、都内にある古い平屋を借りたばかりの会社員。
部屋は静かで、駅からも近く、格安物件だったが――
引っ越して一週間、ポストに差出人不明の“返信らしき手紙”が届いた。
内容は、紙一枚、走り書きのような文字でこう綴られていた。
「まだいるよ。
ここにいる。
忘れてない。君もそうだよね?」
恐怖よりも、最初は“意味がわからなかった”と彼は言う。
だが、それから毎晩、決まった時刻にだけ家の中で物音がするようになった。
俺は現地を訪れた。
昭和中期に建てられた平屋。リフォームは最小限で、
居間の床板は薄く、廊下の窓は擦りガラス。
音が響きやすい静けさ――いわば、“気配”が残りやすい家だった。
俺は依頼者に訊いた。
「この家、借りたときに“何か残ってませんでしたか?”」
すると、彼は思い出したように言った。
>「……そういえば。
押入れの奥から、封筒が一枚出てきたんです。
古い紙で、中は白紙。気味が悪くて、捨てました」
深夜0時。俺は廊下に録音装置と定点カメラを設置した。
そしてその時刻――“誰かが、廊下を歩くような音”が録音された。
カメラの映像には何も映っていない。
だが、音だけは、確かに廊下の板を踏むように響いていた。
そして――またポストに“返信”が届いていた。
「捨てないでよ。
あれは“返事”だったのに。
今度はちゃんと読んでくれる?」
調査の結果、この家の前の住人は“孤独死”ではなく、失踪扱いになっていたことが分かった。
手紙の筆跡と警察の保管資料にあった失踪者のメモは、ほぼ一致していた。
どうやら、その住人は誰か宛てに手紙を書き続けていたが、返事が来ることはなかった。
そして、“返事が来る日を信じて”消えた。
依頼者が見つけて捨てた封筒こそが、
最後に出された、返事を待つ手紙だった可能性が高い。
俺は報告書にこう記した。
「当該貸家における返信現象、実在の筆跡に基づくものと推定」
「音声・視覚干渉は受動的。物理的害意なし」
「存在の目的は“返事の確認”。完了すれば沈静化の可能性高」
「意図的応答、または供養的儀礼により終息処理を推奨」
俺は依頼者に提案した。
白紙の便箋に、一言だけ“返事”を書いてもらうこと。
彼は戸惑いながらも、こう記した。
「……受け取ったよ。ずっと待たせてごめんね」
その手紙を、封筒に入れてポストに戻した。
翌朝、ポストは空だった。
それ以降、何の物音も返信もなくなった。
“まだいる”とは、残された者の声か、消えた者の願いか。
でも、返事が届けば――
ようやく、誰かは“いなくなる”ことができる。
差出人不明の手紙がポストに入っていたら、
それは“あなた宛て”ではないのかもしれない。
でも、あなたしか、それを読めないのかもしれない。




