第三話「声なき子の棲む座敷」
第三話は「座敷童」を題材にした、地方の廃業宿での調査。
都市伝説や“招福の神”として扱われがちな座敷童を、
**「記憶と罪の亡霊」**として描きました。
玄関の引き戸を開けた瞬間、鼻をつくのは線香と古い畳の匂いだった。
山奥の民宿。営業は数年前に終わっている。
それでも、誰かが毎日掃除しているのが分かる程度には清潔だった。
依頼人の老婆が言った。
「夜になると、子どもの足音がするんですよ……」
夢なら結構。現実なら、もっと面倒だ。
件の民宿「山ノ音荘」は、かつて“座敷童が出る宿”としてテレビに取り上げられたこともあるらしい。
客が枕元で足音を聞いた、襖が勝手に開いた、夜中に子供の笑い声がした――そんな口コミのせいで、ブームの時は予約が三ヶ月待ちだったそうだ。
だが、ある年から**「出なくなった」**。
それ以降、宿は急速に客足を失い、数年後に廃業。
「出なくなったら、商売も終わりです。皮肉ですねぇ」
老婆は苦笑して言ったが、その目は笑っていなかった。
今になって「また足音がするようになった」と言う。
俺は泊まり込みで調査を始めた。
一階の広間にカメラを数台仕掛け、奥の座敷に寝袋を敷く。
気温は5度。
部屋の片隅には、埃をかぶった雛人形と、色褪せた千羽鶴。
子どもなんていない。それでも、“気配”だけがあった。
夜中の二時、カメラが反応した。
廊下で“何か”が動いた気配。
足音。軽い、子どもの足音。
だがモニターには、誰も映っていない。
俺は廊下に出た。
すると――
座敷の中から、三味線のような音がした。
鳴っているのは空の箪笥。
風が吹くはずもないのに、扉が勝手に震えていた。
中には――誰もいなかった。
翌朝、老婆にそれを伝えると、ぽつりと言った。
「それでも、出て行ってくれとは言えないんです。
あの子は、うちの“家族”でしたから」
「……あの子?」
「昔、ひとり……引き取っていたんです。孤児でした。
でも、ある冬の日、雪で崩れた納屋の下敷きになって――
それ以来、あの子の声は、座敷に残ってるんです」
記録にも新聞にも、その子の名前は残っていなかった。
つまり、どこにもいなかった子。
だが、存在していた。確かに、誰かの心には。
俺は調査報告にこう書いた。
“明確な怪異の記録なし。ただし、継続的に夜間音が確認されている”
“当該施設における霊的現象の断定は不可。
ただし、依頼人の証言には一貫性があり、現象との符号が見られる”
つまり、そこにいたかもしれないが、それを証明する気はない、という報告だ。
帰る朝、玄関の上がり框で、何かに足首をつかまれた気がした。
見れば、畳に小さな足跡が残っていた。
水の跡のように、消えていった。
その夜、事務所の棚が一つ、勝手に倒れた。
中から、古い七輪の写真と、子ども用の草履が落ちてきた。
身に覚えは――なかった。
けれど、どこかで、誰かが“忘れられたこと”に怒っている気がした。
子どもの幽霊は、時に最も残酷な存在になる。
なぜなら、大人が“いなかったこと”にするからだ。
誰にも思い出されないものは、
やがて怪異へと変わる。