第二十七話「遅れてきた声」
影は誰のものでもなく、自分についてくる存在。
けれど、それが遅れてついてきたら?
何かが自分に代わって、そこに“なりすまう”準備をしているのかもしれません。
「夜の公園で、誰かに名前を呼ばれた気がしたんです。
振り返ったけど誰もいなくて……。
そのあと気づいたら、自分の“影”が、一瞬遅れて動いたんです」
依頼人は、20代の大学生男性。
近所にある古びた児童公園で、ランニング途中に不可解な現象に遭遇したという。
影が遅れる? そう聞いたとき、俺はまず錯覚か疲労を疑った。
だが、その夜を境に、彼は眠ると“夢の中で影が話しかけてくる”ようになったという。
夢の内容はこうだ――
「おまえじゃない。だけど、おまえでいい。返してくれる?」
公園は小さく、ブランコと滑り台、ベンチが三つ。
夜になるとほとんど人通りもなくなる。
俺は深夜0時、現場に向かった。
依頼人と合流し、問題の場所――ブランコの前に立ったそのときだった。
カサ……カサ……と、誰かが砂を踏む音がした。
だが視界には誰もいない。
次の瞬間、依頼人が驚愕の表情を浮かべた。
俺の影と、彼の影が――一拍、遅れて動いた。
さらに調査を進めると、この公園では過去に**“迷子が一人も見つかっていない”**という記録が出てきた。
20年で3件、いずれも5〜8歳の子供。
遊びに来たあと、忽然と姿を消し、遺留品もなし。
そして全て、保護者が目を離した“数分の間”に起こっている。
不思議なのは、そのどの案件も**当日の天候が“曇り”**で、
影がはっきり映らなかったという点だった。
俺は翌日、晴れの日の正午に公園を訪れた。
地面に伸びる自分の影を観察しながら、あえて声を出して名を呼んでみた。
「……橘 誠一郎」
(※仮名:依頼者と同じ名前)
すると、俺の影が一瞬だけ、右にぶれた。
直後、木陰から微かな声が返ってきた。
> 「それじゃない……けど……もう……いい……」
俺は報告書にこう記した。
「対象地点における“影の遅延”現象を複数回確認」
「当該現象は声による呼びかけに反応。影の自己同一性に干渉の可能性あり」
「過去の失踪事例との関連性を検討。共通点は“影の不在状態”」
「現象は“取り残された影”が“名前を持つ者”に引き寄せられる傾向を示す」
「意識的呼びかけを停止し、影との乖離を防ぐことを推奨」
依頼者には、今後公園への立ち入りを控えるよう助言した。
また、夜間に名前を名乗ったり、返事をしたりしないことも伝えた。
現象は徐々に沈静化し、影も元の動きに戻った。
夢も見なくなったという。
けれど、一つだけ気になる報告があった。
依頼人が自室の床でふと影を見たとき――
そこに自分の名前とは違う“ひらがな”が影の縁に浮かんでいた。
それは、20年前に失踪した少女と同じ名前だった。
影とは、もう一つの自分だ。
でも、誰かの影が、自分に重なってしまったら?
名前は、自分を定義するもの。
それを呼ばれたとき、返事をするかどうか――
その一瞬が、別の何かを引き寄せてしまうこともある。
夜に名前を呼ばれたときは、必ず姿を確認してから返事をすること。
影は嘘をつかない。
だが、代わりに黙って“奪う”ことがある。




