第二十六話「時を刻まぬ針」
時計は“時を刻む道具”でありながら、
ときに人の心を閉じ込める檻にもなります。
針が動いているのに、進めない時間――それが最も重たい“今”なのかもしれません。
「廃屋なのに、リビングの時計だけが動き続けているんです。
しかも、数字がないのに」
依頼主は、不動産会社に勤める男性。
問題の物件は、都市郊外の古い一軒家。
十数年前に一家心中があって以降、買い手も借り手もつかない“事故物件”として知られていた。
定期点検のために立ち入った際、リビングに掛けられたままの壁時計が、今もカチ、カチと秒針を動かしていた。
だが奇妙なことに、文字盤は真っ白。
**数字も目盛りもない、ただ針だけが動く“時計らしきもの”**だった。
俺が現地に入ったのは、霧雨の降る午後。
内装は荒れ、家具は撤去されていたが、リビングの壁にその“時計”はあった。
針は確かに動いていた。
だが、いつ見ても同じ位置を指しているように思えた。
時間を追って観察したが、時針と分針の角度は変わっていない。
動いているのは、秒針だけ――
まるで、“一秒だけを永遠に繰り返している”。
かつてこの家には、母子家庭が住んでいた。
中学生の息子が引きこもりがちになり、
やがて母親は精神を病んで無理心中を図ったという。
遺書は見つからなかったが、
隣人の証言では、最期の夜、母親が「時間さえなければ」と口にしていたらしい。
時計の裏蓋を開けると、中には小さなメモが一枚、仕込まれていた。
鉛筆で書かれた、震えるような文字。
>「きっと 今をぬければ まえにすすめる
> でも こわい まえにも うしろにもいけない
> だから ここに とどまる」
>「ここには いましか ない」
>「いまだけが わたしをゆるしてくれる」
俺は報告書にこう記した。
「当該物件にて、時間表示機能を欠いた時計の稼働を確認」
「秒針のみ稼働。時分針の静止と不一致」
「内部より、心理的停滞を示唆する遺留メモを発見」
「現象は“時間進行の拒絶”と“現実逃避の固定化”を象徴するものと推定」
「心霊的干渉は受動的、害意なし。対応は象徴物の解放にて可」
俺は、時計の針をすべて外し、代わりに**“日付の書かれた紙”を文字盤に貼った。**
亡くなった日付、ではない。
依頼者がこの時計を見つけた“今日”の日付だ。
「もう、動かなくてもいい」と告げて、時計をケースに収めた。
以降、秒針は静止したまま、二度と動くことはなかった。
時間とは、進むためのものであると同時に、
“留まる言い訳”にもなってしまう。
動き続けることが、生きている証とは限らない。
止まることで救われることも、確かにあるのだ。
誰かの「今」が、永遠に終わらないことを選んだなら。
それを解くのは、“違う時間”を持つ誰かの存在です。
時計が止まったとき、
ようやくその人は、「次」に進めるのかもしれません。




