第二十二話「返し屋」
忘れ物や落とし物というのは、日常に潜む“穴”のようなものです。
でも、それが“何度も戻ってくる”となれば、
それはもう、単なる偶然では済まない。
「何度捨てても、あの交差点に戻ってくるんです」
依頼者は30代の男性、IT系の会社員。
彼が言う“戻ってくるもの”とは、亡き母の形見のブローチだった。
遺品整理の中で偶然見つけたもので、当時の記憶は曖昧。
ただ、見つけて以来、妙に気持ちが落ち着かなくなったという。
試しに処分しようとしたが――
捨てても、売っても、友人に預けても、なぜか“例の交差点”でまた見つかるのだ。
現場は、住宅街にある四差路の一角。
特別な事故歴や歴史があるわけではない。
だが、夜になると、交差点中央の白線が、わずかにズレているように見えた。
まるで、そこだけ“位置”が違う世界に引き込まれているような感覚。
俺は依頼人とともに、その交差点に張り込んだ。
ブローチはこの日も、前夜に川へ投げ捨てたという。
深夜1時32分。
何の前触れもなく、交差点の歩道脇に、そのブローチが置かれていた。
まるで、誰かがそっと“返してきた”かのように。
奇妙だったのは、ブローチの裏に記された彫刻。
それは依頼人の記憶では「母の旧姓が刻まれていた」はずだった。
だが、この夜、そこに刻まれていたのは――
依頼人自身の名前。
しかも、その書体は明らかに“母の筆跡”だった。
以降、捨てるたびに“何かが書き加えられて戻ってくる”ようになった。
返ってきたブローチの裏には、日付と共に、こう記されていた。
>「ちゃんと わたしたからね」
>「もう なくさないでね」
>「だって あなたの たいせつなもの でしょう?」
俺は報告書にこう記した。
「対象物品に対する“自律的返還現象”を確認」
「物理的消失の後、特定地点に再出現。干渉痕跡なし」
「記名情報および筆跡変化より、対象は“所有者への認識補完”を目的とした挙動を示す」
「本件は霊的干渉というより、“念による執着の物理化”と推定」
「現象の鎮静には『所有の受容』が鍵となる」
依頼人は後日、そのブローチを新品のガラスケースに収め、自宅の一角に飾った。
それ以来、不思議な現象は起きていない。
だがある夜、ケースのガラス面に指先で描かれたような跡が浮かんでいた。
丸い円を描くように、何度もなぞられたその跡の真ん中に、
小さく“ありがとう”と読める文字が、かすかに残されていた。
人は、忘れることで進む。
けれど、“返してくる誰か”がいるのなら――
それは、想いがまだそこに残っている証だ。
失くしてはいけないものも、
本当は、自分でもう知っている。
“拾われた”のではなく、“返された”のかもしれない。
その違いに気づけるかどうかで、
自分が何を忘れようとしていたのかが、ようやく見えてくるのです。




