第二十一話「目をとじて」
石地蔵とは、子どもや無縁仏への祈りと供養の象徴です。
しかしそこに、形だけの供養が重なるとき、彫像は“語られなかった声”の代弁者になります。
「地蔵の目が……開いてるんです」
そう語ったのは、山間の町で寺を継ぐ住職の男だった。
境内の裏手にある“無縁供養地”に、数十体の石地蔵が並ぶ。
本来なら目を閉じ、穏やかに微笑んでいるはずのそれらが――
“目を開いたまま”埋められているというのだ。
その寺には“特別な供養の場所”があった。
戦後すぐに開かれた、身元不明の子どもの遺骨を埋葬するための地。
無縁仏、遺棄された胎児、身寄りのない孤児。
それらを祀るため、ひとつずつ小さな地蔵を彫り、墓標として並べた。
だが、住職が言うには――
「夜、山風が吹くたびに、誰かの“視線”を感じる」という。
俺は現地に入り、供養地を調査した。
驚いたのは、地蔵の顔立ちが一体ごとにすべて異なっていたこと。
表情、輪郭、髪型、細かな服の皺に至るまで、人間の顔の記憶から掘り出されたような精巧さだった。
そして、いくつかの地蔵の目元を拭うと、墨のような黒が埋め込まれていた。
“目が描かれている”のではない。
彫られたままの目が、何かの液体で“見開かされている”。
供養記録を調べると、ある共通点が浮かび上がった。
昭和30年代、この地には**“ある孤児院”が存在していた**。
その施設では、戦後の混乱の中で親を亡くした子どもたちを預かっていたが、
やがて、施設で起きた“ある事件”によって、複数の子どもが行方不明になった。
その後、孤児院は閉鎖され、跡地は整地されて今の供養地となった。
俺はある地蔵の足元に異常な亀裂を見つけた。
住職の許可を得て掘り返すと、地中に陶器のような箱が埋まっていた。
その中には、古びたノートと、乾いた赤い布が。
ノートの中には、子どもの筆跡でこう書かれていた。
>「あのひとが こわい」
>「よるになると だれかがいなくなる」
>「でも さわいだら わたしも つぎだから しずかにする」
>「めをつぶるのは こわい こわい こわい」
そして、最後のページにはただこうあった。
>「わたしは みてたから」
俺は報告書にこう記した。
「供養地における石地蔵の異常形状を確認」
「彫像ではなく、個別記憶に基づく『肖像型地蔵』の可能性」
「視線感覚は地蔵配置と周囲磁場との干渉から発生」
「埋設品より、過去の集団遺棄または施設内事件を示唆する文書を発見」
「“目を閉じることへの恐怖”が形式として彫像に転写された可能性あり」
夜、供養地を再び訪れたときのことだった。
風もないのに、一体の地蔵の首がわずかに傾いていた。
その顔は、たしかにこちらを“見ていた”。
だが――その視線には、憎しみも呪いもなかった。
ただ、見逃さないで、という懇願のような強さがあった。
地蔵とは、祈りの形。
その目が閉じられぬままなら、それはまだ、終わっていない願いの証だ。
忘れてはいけない。
目を開いたまま埋められた声は、見つけてもらえるまで目を閉じない。
「目を閉じてあげてください」――
それは、供養される側の願いであり、
供養する側の義務でもあります。
まだ終われていない過去に目をそむけることなく、
“見ていた者”の存在を、どうか、忘れずに。




