第二話「雪の肌は死を招く」
今回は「雪女」をモチーフにした、古い宿での連続死事件。
幽霊も妖怪も姿を見せたようで、しかしそれはすべて“記憶”と“罪”が描き出した影でした。
深夜、アスファルトに雪が積もるのは東京じゃ珍しい。
それなのに俺は、よりにもよって山間の温泉街にいた。
観光じゃない。仕事だ。
依頼はこうだ。
「旅館で働いている若女将が“雪女に呪われている”と言い残して、消えました」
「しかも、ここ三ヶ月で宿の関係者が三人、不審死しています」
現地に着いたとき、すでに山は雪で閉ざされていた。
薄い空気に混じって、古い硫黄と、何か腐ったようなにおいが漂っていた。
「白神館」と名のついたその宿は、廃れた温泉地に似合いすぎるほど陰気だった。
木造三階建て。廊下の板はたびたびきしみ、障子の隙間から風が忍び込む。
館主の白神隆蔵は、寡黙な老人だった。
「娘の綾子が、雪女に目をつけられた……と言っておりましてな」
冗談にしては眼が本気だった。
話を聞くと、失踪した綾子は旅館を継ぐ予定の若女将。
だが、今年に入って奇妙な夢を見るようになり、体調を崩し、やがて“何かに見られている”と怯え始めた。
そして三日前、雪の夜に姿を消した。
同時に、宿の従業員が風呂場で転倒死。
その前にも、料理人が凍死、帳場係が浴衣で屋外に出て凍え死んでいる。
すべて冬の夜、雪の晩。
「“女が来る。冷たい手で胸を撫でる。白い息が耳を塞ぐ”
そう言って……綾子は、最後に日記にそう書いていたんです」
まるで詩みたいだな、と俺は思った。
詩か、あるいは――遺書か。
夜、俺は一人、宿の外に出た。
雪は静かに降り続けていた。
懐中電灯の光が、凍った木々を幽霊のように照らす。
そして、裏手の小道で――見た。
白い着物を着た女。
黒髪。素足。目だけが、氷のように光っていた。
こちらを見て、にやりと笑った。
そして――消えた。
館に戻ると、帳場で従業員が泡を吹いて倒れていた。
原因は、ショック死。急性の心不全。
その夜、白神館では誰も眠らなかった。
翌朝、山の中の廃屋で、綾子が見つかった。
冷たくなった体。自ら首を吊っていた。
傍らには、ノートがあった。そこにはこう書かれていた。
「“雪女”は……あの人の声だった」
「私が“消してしまった声”が、雪になって降りてきたの」
「もう、消せない……」
だが、調べてみるとその“あの人”とは、以前に働いていた従業員。
綾子が、あるトラブルを隠すために追い出した男だった。
男はその後自殺していた。
つまり、“雪女”は誰でもなかった。
綾子の罪悪感が作り出した亡霊の姿だった。
他の死者たちは、偶然の事故と、精神的な恐怖から来る症状。
だが恐怖は、雪よりも早く、人の心を凍らせる。
帰り道。
電車の車窓に、雪女は映らなかった。
だが、目を閉じると、ふと気配を感じた。
女は最初から“ここ”にはいなかった。
だが“誰かの中”に、確かに棲んでいた。
妖怪は化けて出るんじゃない。
思い出の中で化けるんだ。
雪はすべてを覆い隠す。
けれど罪だけは、消えないまま凍りつく。
探偵・城戸蓮司が雪の中に見たものは、
ただの怪異ではなく、人間の良心が壊れていく瞬間だった。