第十八話「最終便の客」
公共交通機関というのは、誰もが使う日常の装置であると同時に、
“人の移動”にまつわる想いが残りやすい場所です。
「帰りたい」「行きたい」――
それだけで、この世に“とどまる理由”になることもある。
「最終のバスに“ひとり分だけ、座れない席”があるんです」
運行会社からの依頼だった。
路線番号は深夜23番――
終電を逃した客のために都内を走る深夜バスだ。
問題が起きているのは、平日午前0時35分発の最終便。
特定の曜日、特定の区間で、必ず最後尾左側の座席に“誰かがいる”。
車内は無人。目撃者はいない。
だが、ドライブレコーダーには、誰も座っていないはずの座席が歪む瞬間が映っていた。
俺は実際にそのバスに乗ることにした。
金曜深夜、0時35分発、起点から終点までの約35分。
乗客はまばらだった。
中年のサラリーマン、女子学生、コンビニ帰りの若者。
だが、最後列の左端の席には誰も座ろうとしない。
何気なく座ろうとした若者が、その席の前でピタリと止まった。
そして、何かを見たような顔で、反対側に腰を下ろした。
やがて、車内の空気が静かに変わっていった。
車内アナウンスの音がかすかに歪み、
“蛍光灯の光が、一瞬だけ”暗くなった。
ふと視線を最後尾に向けると――
左端の席に、“何か”がいた。
姿は見えない。
だが、そこだけ時間が遅れているように見える。
乗客の視線も、自然とそちらを避けていた。
誰も何も言わないのに、全員がそこを“見ないようにしている”。
途中停留所で、バスが一時停車したとき。
女子学生が席を立ち、うっかり最後尾に向かって歩いた。
すると――車体がギシリと大きく揺れた。
見えないはずの“何か”が、動いたのだ。
運転手が慌ててマイク越しに叫んだ。
「最後尾左端、空いてても座らないでください!」
そのまま、バスは終点まで着いた。
降車客は全員、無言で足早に去っていく。
最後尾の座席だけが、
濡れたようにじっとりと湿っていた。
過去の記録を調べると、
5年前、この路線で飛び込み自殺が起きていた。
夜勤明けの看護師が、最終便のバス停で轢かれた。
遺書はなかったが、スマホには下書き状態のメッセージが残っていた。
>「帰る場所がなくても、バスは走る」
>「せめて、乗せてもらえるなら、最後まで行きたい」
俺は報告書にこう記した。
「深夜路線バスの特定座席における“残留思念型の存在”を確認」
「視認困難だが、空間異常、物理反応、周囲の心理的回避傾向により検出可能」
「生前における『帰宅不能』の意識が“移動手段に残存”したケースと推定」
「排除不可。むしろ空席の維持により安定」
「干渉しない限り、事故等の発生なし」
最終便は、今も変わらず走っている。
最後尾左端の席は、誰にも座られぬまま、
毎夜、同じ区間を静かに巡回している。
“帰る場所”のない誰かを、乗せたまま。
座ってはいけない席があるのではない。
座っていた誰かが、まだそこにいるだけだ。
その存在を否定しないこと。
ただ、黙って、そっとしておくこと。
それが、最後まで乗せる側の礼儀なのかもしれない。




