第十六話「宛先ナシ」
手紙というのは、送り手と受け手の“関係”を前提とした媒体です。
だからこそ、そこに“片方しか存在しない”という異常が生まれると、
それは宛先不明のまま、この世に彷徨う言葉になる。
本作はその想念をモチーフにしています。
「誰も住んでいない部屋に、毎日、手紙が届くんです」
管理会社の社員からの依頼だった。
場所は都内近郊、築40年の古い賃貸マンション。
301号室――そこは、10年以上空室のままだった。
なのに、ここ半年、ポストには日替わりで手紙が届いている。
どれも宛名はこうだった。
>「ミチコさんへ」
>「三〇一号室のミチコさんへ」
>「また明日も話せたら嬉しいです」
ミチコという住人の記録は存在しない。
不動産会社にも、そんな名前の入居履歴は残っていない。
手紙はすべて手書きだった。
差出人の名前はないが、文体からは小学校高学年くらいの少女と思われた。
>「きょうはカーテンがゆれてたね」
>「おにいちゃんが、もうすぐかえってくるって」
封筒の消印は、なぜかすべて違う都道府県から届いていた。
俺が実際に301号室を調べてみると、
部屋の空気は異様に“重たかった”。
家具は何もなく、埃だけが均一に積もっていた――ただし、中央を避けるように。
床には、かすかに爪で引っかいたような跡があった。
まるで、何かがここに“とどまっている”かのように。
数日間観察した結果、手紙は午前4時から6時のあいだに届いていた。
だが、配達員に確認したところ、その部屋宛ての配達はしていないという。
ポストには、いつの間にか新しい封筒が入っている。
監視カメラにも、配達する人影は映っていなかった。
ある日、封筒の中に小さな写真が同封されていた。
古い団地の前で、小学生の少女と若い女性が並んで笑っている。
裏面にはこう書かれていた。
>「ミチコさん、いつもごはん作ってくれてありがとう」
>「はやく、またいっしょにくらしたいです」
俺は、近隣の住民に聞き込みを行った。
10年前、この301号室には確かに若い姉妹が住んでいたらしい。
だが、ある日突然、妹だけが失踪した。
姉は錯乱状態で保護されたが、こう言ったという。
「ミチコは部屋の中にいる。
でも、ドアが開かなくて、返してもらえないの」
妹の失踪は未解決のまま。
そして姉は数年後、自ら命を絶った。
彼女が遺した唯一の遺品が、妹への手紙と写真だった。
俺は報告書にこう記した。
「空室である301号室に継続的に届く“物理的存在のある手紙”を確認」
「配達記録なし、消印は異常分散、物理移動手段不明」
「手紙の内容・文体は失踪少女のものと一致の可能性高」
「“宛先なき通信”が、時空または記憶の一部を通じて現象化していると推定」
手紙は、今も届いている。
差出人も宛先もいないまま。
だが、一通だけ、宛名が変わっていた。
>「おにいちゃんへ」
>「おへやのなか、ずっとさむいよ」
>「ドアあけて。わたし、まってるから」
今もどこかで、誰かが“届かない返事”を待っている。
返せない手紙、渡せない言葉、見えない誰か。
だが、言葉はいつか形になる。
それがたとえ、ポストの中の“空き部屋”宛てであっても。




