第十五話「午前四時の音楽室」
学校のチャイムというのは、どこか無機質であると同時に、
“記憶を縛る音”でもあります。
時間を区切り、生活を刻んだその音が、
もしも何かを繰り返し、呼び戻しているとしたら――。
「午前四時、誰もいない廃校からチャイムが鳴るんです」
依頼者は市役所の職員だった。
とある地方都市の廃校で、毎週木曜の早朝、誰も触っていないのに校内放送が鳴るという。
音は、昔と同じ“チャイム音”だ。
しかも、その音が鳴った後――必ず町内で人身事故が起きていた。
件の廃校は10年前に閉鎖された旧・市立桜原中学校。
以降はほとんど手つかずで、空気はよどみ、窓の多くは割れていた。
放送室には電気も通っておらず、録音機器も外されている。
それでも“午前4時”になると、
校内全体に響き渡るような電子音のチャイムが鳴るという。
俺は水曜の深夜、現地で張り込みを行った。
午前3時59分、何の前触れもなく校内の空気が沈黙に包まれた。
そして、“キーンコーンカーンコーン”――。
明らかに放送用スピーカーからではなく、
校舎全体から滲み出るようにチャイムが鳴り響いた。
その音には、何か妙な“ゆらぎ”があった。
録音してみると、音の周波数に人の声に近い周波が混じっている。
逆再生すると、かすかに聞き取れる言葉があった。
「もう いかないで」
「きょうも きょうも きょうも」
俺はこの廃校の過去の事件を調べた。
閉校の前年、生徒がひとり、放送室で首を吊って亡くなっていた。
彼はイジメを受けていたという噂があったが、
教職員の間では“問題はなかった”と処理されていた。
彼が亡くなったのも、木曜日の午前4時前だった。
旧放送室に入ってみると、
機器が撤去されたはずの場所に、なぜか古いカセットが落ちていた。
再生してみると、何も録音されていないはずなのに、チャイムの音だけが鳴った。
ただし、通常の音と違っていた。
最後の“コーン”が、子どもの嗚咽のような音に変わっていた。
俺は報告書にこう記した。
「廃校における定時の不可解な音源を確認」
「音源の特定は不可。放送設備なし」
「逆再生により“残響型感情記録”の可能性あり」
「生前、放送室で死亡した生徒の“未処理の声”が時刻を媒体に再現」
「発生後の事故との関連性は不明ながら、同時刻に注意を要する」
市は校舎の解体を決定。
だが、作業は度重なる不具合で遅れている。
チャイムは、今週もまた鳴った。
夜明け前の空気の中に――
音でも言葉でもない、“何かの呼び声”が混じっている。
それは、ずっと授業を待ち続けている誰かの声かもしれない。
チャイムは始まりを告げ、終わりを知らせる。
だが、それが「終わっていない者」の耳に届いたとき、
それは永遠の“開始合図”になる。
音が消えても、そこに“誰かの想い”が刻まれ続けている限り、
その校舎は、まだ授業中なのだ。




