第十三話「片喰(かたばみ)の杜」
左右一対であることが前提の“狛犬”。
その一方が欠けたとき、失われるのはただの造形物ではなく、
“結界”そのものかもしれません。
今回は「消えた片方」が生む不均衡を、“産み落とされた何か”という形で描きました。
都内某所、住宅街の奥にある小さな神社――片喰神社。
社の由来は古く、地元では“子を守る神”として親しまれていた。
その神社で、ある朝、左の狛犬だけが忽然と消えた。
石造で重さもあり、盗難とは考えづらい。
だが、土台は綺麗に空いており、跡形もなくなくなっていた。
同じ日に、近くのアパートで若い母親が変死体で見つかる。
死因は不明。部屋には荒らされた様子もなく、
ただ一つ、リビングの中央に――“小さな歯型が付いた哺乳瓶”が落ちていた。
俺が現地に赴くと、右の狛犬だけがぽつんと鎮座していた。
首がかすかに傾いているようにも見えた。
地元の老人は言った。
「狛犬は、左が“あ”で右が“うん”……。
片方だけになると、守れなくなるんだよ。
“あ”がいないと、“始まり”が無くなるからな」
被害女性の部屋には神棚があり、片喰神社の御札が祀られていた。
だが、奇妙なことに御札の中央に“ひっかき傷”のような裂け目があった。
そこだけ、何かが“通った”ような、向こう側とつながった感じがあった。
さらに調査を進めると、
過去にもこの神社の左狛犬に破損や倒壊が起きた年に限って、変死事件が発生していることが分かった。
死者はいずれも母親か妊婦だった。
俺は神職のもとを訪ねた。
彼は重い口を開いた。
「左の狛犬は“入り口”なんです。
神様を迎える……だけじゃない。何かを“外に出さない”役目もあった。
本来は“封印”だったんです」
それが壊れたり、消えたりすると、
中にあるものが“外”に出てしまう、と。
「かつての御神体は、実は“人ではなかった”。
それを鎮めるために狛犬が必要だったんです」
翌日、神社近くで新たな変死体が発見された。
今度は、妊婦の腹部に**奇妙な“噛み跡”**があった。
犬ではない。
人でもない。
乳児のような形、だが異常に大きな“顎の跡”。
そのそばに、折れた石の一部が転がっていた。
狛犬の“左後肢”のかけらだった。
俺は報告書にこう記した。
「片喰神社の狛犬消失と変死事件には時系列的・象徴的な相関あり」
「“左狛犬”は、単なる守護ではなく“封印機構”と推定」
「事件現場には、“幼児の形を取るが、実体のない存在”の痕跡あり」
「今後も狛犬の修復なしには、同様の現象が継続する可能性がある」
その夜、神職たちによる神社の再封鎖が行われた。
新しい左狛犬が仮設され、社の周囲に塩と米が円を描くように撒かれた。
俺が帰り際、神社を振り返ると――
右の狛犬が、わずかに頭を垂れていた。
まるで、「ようやく守れる」とでも言うように。
守り神の“片割れ”が欠けると、
神はもうそこにいない。
そして、神がいない場所ほど、妖は入りやすい。
護っていたのではなく、
閉じ込めていたのだとしたら――。




